第31話 魔術師の箴言

 真っ黒い輝く蛇が、マリオン大佐を壊していく。腕はひしゃげ、足は砕け落ちた。黒い光は、何かの力を発生させるのか、マリオン大佐から零れ落ちるタールは上昇して渦を巻き、彼女の指先に、レイジーが一生懸命直していたその綺麗な指先にはひびが入り、ボロボロと崩れて、渦巻くタールに飲み込まれた。


 ボクを抱きしめてくれた二本の腕が、砕け散った。メイド服はボロボロに崩れ、人形の体が露わになる。そんな最中だと言うのに、マリオン大佐は顔をこちらに向けて、その双眸を細めて……そして、ボクの無事を確認したかのように小さく笑みを浮かべた。優しい微笑みだった。その笑みも霞んで滲んで見えなくなる。


 ボクは、何かを言わなきゃいけないのに、なにも言葉が出てこない。マリオン大佐の端正な顔にピシッと縦に亀裂が入り、右の薄青の瞳がぐしゃりと砕け散った。ボクは、ボクは……。ボクはっ! 泣いている暇なんてないんだ! 助けないと!


 凍りついた心は、そんな状況になって漸く動き出した。アルジャーノンを立たせようとするんだけど、待ったく動かない。何で、何で動かないんだよ! 今まで動いてくれたじゃないか! どうして! 何で!? 早くしないと、大佐が……ボクの友達がっ!!


「自己犠牲か、これだから人形に感情が宿るのは嫌なのだ。折角、面白い見世物が見れると……」


 自壊して、黒い輝きを放っているフラハティは、最早首だけになったのに、まだ喋っていた。ボクが怒りを向ける前に、フラハティの額は一発の弾丸に打ち抜かれた。そして、遅れてやってきたのはジェットパックを背負ったレイジーだった。


 レイジーはボクを黒い輝きから守るように背を向けて立つ、右手には銃を左手には……神様の像を持って。その表情は全く分からなかった。きっと、物凄く怒っているのだと思う。


「……分って居た筈だ。外道の術を得た外道が何を行うのか。分って居た筈だ。気高い彼女が何をするのかを。…………分って居た筈だ。家族を奪われれば、誰でも容易く憎悪に染まる事を」


 レイジーの言葉は、冷静な声音に聞こえたが、ボクは背筋を凍らせた。ボクを助けるためにマリオン大佐が犠牲になった。レイジーの背中で良く見えないけれど、大佐は壊れ続けているんだ。ボクの所為で……。ボクが、フラハティの挑発に乗った所為で! 聞いて居たのに! 召喚術って言うのがどんな物か! 何を呼び出そうとするのか! 何で、さっきまで思い出せなかった!


呪圏スペルバウンドに囚われておったからな。魔術師は術の行使に際して、己の心象を描く事がある。力ある魔術師はその心象で相手を射竦め、術の行使を容易くする。……フラハティ、あ奴は何だ? そんなレベルに至るのに僅か数年で至るだと?」


 お爺さんの声。その呪圏スペルバウンドに囚われた所為でボクは正常な判断が出来なくなっていた? そして、マリオン大佐を巻き込んでしまった……。


「分かって居ながら有効打を何ら打てなかった……そんな自分に腹が立つ! だがマリオン、君のおかげでそいつはサタンにまでは系譜を降れない。アポピスのままだ。ありがとう……後は、ボクがやるよ。マリオン……」


 マリオン大佐に話しかけるレイジーの声は酷く優しかった。そして、漸く振り返り言ったんだ。


「決して立ち止まるなよ、ライネ。ボクの友人は死ぬときに言った。玲人れいじ、成すべき事があるのだ、立って戦えって。ボクも、その言葉を贈る。まだ、終わりじゃない。」


 真っすぐにボクを見据えてレイジーは言った。そして、ジェーンの方に顔を向けて叫ぶ。


「ジェーン! ライネを頼む! ここは、ボクが抑える! フラハティを追え!! 奴は自分の命と引き換えに世界の終わりを願うタマじゃない! 絶対に、本体が何処かに居る筈だ! 今、撃った顔も仮面のようにはならなかった。これは元よりこう言う顔に作られた義体だ、フラハティの真の姿ではない」

「言わんとする所は分かる。だけど、アンタ一人で如何にかできるの……?」

「一人じゃ、ない」


 ジェーンの言葉にレイジーが返した言葉は、重い。ジェーンは少しの間黙っていたようだけど、ボクの方へと蒸気鎧を滑らせてやって来た。


「ライネ、忘れるな。後悔なんて後からすれば良いんだ……。成すべき事を成せ。そして……皆と幸せになるんだ。それこそが、マリオンの願いだ」

「レ、レイジー……」

「レイジーはマリオンと共に死んだ。ここに居るのは、魔術師ルフス・テンペスタースだ」


 レイジーはそう告げやってから、一度何かを逡巡するように首を傾げて再び口を開いた。


篠雨玲人しのさめれいじ、最終階級は少尉、兄弟姉妹は無し、魔術師だった祖父に鍛えられて今に至る。この名前、君らが覚えておいてくれ。この先のボクには……私には必要が無い」

「そんな……」

「元より捨てた名だ。ここに来てからは、名乗ることすら無くなった名前だ。だが、数多の魔術師を倒し、生きてきた名前でもある。……立って戦って、それでも如何にもならないと感じたら、一度だけ……一度だけ助力しよう」


 レイジーはそれだけ告げて、黒い光を放ち今や蛇の様に長細く宙をくねる何かに向かって歩いていく。垣間見えたマリオン大佐の姿は、原形なんて留めておらず、それが人と同じ形であったとは思えないほど。


「レイジー……」

「……行くわよ、ライネ。魔術師が抑え込んでいる間に、ここを抜け出す」

「で、でも……」


 呟くと同時に背面のハッチが明けられて、ジェーンが顔を見せた。そして、脱出を示唆したけど、ボクはレイジーの背中とジェーンを交互に見やり口ごもる。ジェーンは口元をへの字にしながら告げた。


「アレを相手に私もライネも何もできない。私たちは出来る事をやらなきゃならないのよ……そうで無けりゃ……」


 言葉を最後まで告げなかったけど、ジェーンの言いたい事は分かった。やれる事をやる。そうでなきゃ、マリオン大佐の犠牲も、レイジーの足止めも意味がなくなる。後悔は……後からすれば良い。ボクは、死んでもフラハティを倒す……!


「阿呆。篠雨の孫もマリオンと言う人形の娘もお主の死は望まん。生きて事を成せ。毎晩枕元に立って教えた事を思い出せ。良いな、ライネ」


 そう決意した途端に、出鼻を挫く様に頭の中のお爺さんに叱られた。幸せになれって言われても、ボクの所為でマリオン大佐は……。思考のスパイラルに陥りそうになった時に、ジェーンに無理やり引っ張り出されて、そのジェーンが操るペネトレイトの腕に担がれてその場を離れる。ボクはレイジーとアルジャーノンを置いて、その場所から離れたんだ……。


 遠ざかる黒い輝きは、まるでボク等が離れることを確認したかの様に、不意に自身の周辺を闇で覆い、その姿をレイジー共々閉ざしてしまった。そして、闇の向こうから激しい物音が響きだした。ボクの頭は未だに良く回って居ない。だけど、これだけは分かる。何としても、フラハティを倒さないと……。


 まだ、何を仕掛けるのか分からなかったけれど、ボクの頭の中にはそれだけが木霊していた。

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