第8.5話 El último día

 疲れて眠ったボクは、変な夢を見た。


 目の前の風景をボクは見た事が無かった。凄く綺麗で透明なガラスの向こうに広がるのは、物凄く沢山の建物が立ち並び、中には塔のようにそびえる背の高い建物も見える信じられないような光景。スカイスチームの上層民が住む地区みたいに小奇麗な街並みだけれど、その規模は較べようもなく今見ているこちらの方が立派だ。高い建物だって特別な物ではないらしく、幾つも見えるんだ。空が曇りでなければ、もっと遠くまで見えたのかも知れない。


 不意に何だか変な音が鳴り響く。ボクの視線は横に逸れた。そこで初めてここも建物の中だと分かった。あんなに透明な、視界いっぱいに広がる窓ガラスを持っている建物の中に居るのかと思うと緊張する。大金持ち何てレベルじゃない。少なくともスカイスチームでは。……ええとね、それで視線は大きな机の上で音を鳴らしている四角い何かを見定めて、そちらに近づいていく。……ああ、これは誰かの視線なんだ。ボクはまるで歩いて近づいていくように微かに揺れる周囲を見て、そんな事を考えた。


 音を鳴らす四角い何かに指が伸ばされる。しわの多いお爺さんの手みたいだ。この視界の持ち主はお爺さんなんだ。その手が、赤いボタンを押すと声が響いた。


首領チーフ! や、奴が、奴がやってきました!」

「……霧方きりかた、何を今更ほざきおる。お主が篠雨しのさめの相棒を殺した時から、こうなるのは分かっていただろうに。フラター・カリドゥス・プロッケラの約定を、お主が破ってな。……なぁ、霧方。いや、サングイン・ネブラよ。ワシが気付かんと思ったのか?」

「……それは……がっ!……ぐっげっ!」

「破門だ、愚物。お主にはエデンの蛇の資格など無い。ミルトンを読んでおれば分かる事だが、悪魔にも相応の気品が必要なのだ。」


 聞こえてきたのは中年くらいの男の人の声。それに答えたお爺さんの声は静かだったけれど、今まで感じた事が無いような怒りを感じさせる。そして、その怒れる声があの名前を告げたんだ。サングイン・ネブラ、レイジーが殺したって言う魔術師の名前を。そのレイジーの敵は、姿を見せず声だけを響かせていたけど、それは物凄く苦しそうにもがく様な声と音に変わっていた。


 お爺さんは、さっきの赤いスイッチを押した。途端に音声は何事も無かったように途切れた。机の傍にあった椅子に深々と腰を下ろすと、微かに椅子が軋んだ。お爺さんが深く息を吐き出す音が響くと同時に、ドアをノックする音も響いた。


「入れ。」

首領チーフ、ルフス・テンペスタースが現れました。」

「決着をつけるか、篠雨しのさめの孫め。……復讐は甘美な自己愛、それに浸っているならばワシには勝てん。」

「恐れながら、ルフス・テンペスタースは恐るべき敵でございます。並の魔術師が陥る精神的疾患には程遠いかと。」


 ドアから入って来た人は、凄く渋いおじさんだった。仕立ての良さそうな、スカイスチームではちょっとお目に掛かれないスーツを華麗に着こなして、白が混じる黒髪を後ろに撫でつけている。そのおじさんはお爺さんと誰かについて話している。誰かは……分かっているけれど。でも、あんまり認めがたい物があるんだ。何でかは分からない。


「サングイン・ネブラは破門にしたわ、あの阿呆め。とは言え、奴を含めて階下には僅かに三名か。お主も準備しておくが良い、フラター・カリドゥス・プロッケラ。」

首領チーフ……その件に関しまして、お願いがございます。奴とは一対一で決着を付けたいのです。」

「奴は三人の魔術師と戦って登って来る。それを無傷のお前が一人迎え撃った所で誉にはならんな。」

「我が命の一部は、既にエエカトルに捧げております。」

「……貴様、陰腹を切ったか? 歌舞伎でもあるまいに。……戦いの最中、悟られるなよ、馬鹿弟子め。」

「……御意。」

「仕方ない、看取ってやるわ。……さて、篠雨しのさめの孫はワシに届きうるかのぉ。」


 良く分からない言葉が幾つも出てくる。でも、この視線の持ち主がどういう人か少しだけ分かった気がする。レイジーの言ってた、敵の親玉みたいだ。多分だけど……あの話が引っ掛かって夢を見ているのかな。


 それから、どの位時間が経ったのか良く分からない。おじさんは勿論、お爺さんも逃げ出す時間はあった筈なのに、その場を動くことなく誰かが来るのを待っていた。そして、荒々しく扉が開くとそこには……。随分若々しい感じがするけど見知った顔だった。


「良く来たな、篠雨しのさめの孫、玲人れいじだったか。或いはルフス・テンぺスタースと呼ぶべきか。」

「結社エデンの蛇の首領……夜刀神 源三郎やとがみ げんざぶろう! 今日で全て終わりにしてやる!」

「粋がるなよ、小童こわっぱ! ……まずはカリドゥス・プロッケラに打ち勝ってから大言を吐けぃ!」


 お爺さんの怒声を受けたレイジーは、それだけで一歩後ろによろめいた。怪我をしていると言うのもあったけれど、その言葉にはそれだけの力がこもっていた。……良く分から無いけれど、力の流れみたいなのが見えた。まあ、夢だから何でもありだよね。


「二歩は下がるな、篠雨の名が泣くぞ。」

「ほざけっ!」


 肩で息しながら怒鳴り返すレイジー。その二者の間に割って入ったのは、ずっとそばで控えていたおじさんだ。


「帝国魔術調査室付き魔術師、ルフス・テンペスタースとお見受けする。」

「……エデンの蛇、上海支局長カリドゥス・プロッケラだな?」

「我が友、結社ヤマタノオロチ首領アクア・ウィーペラの仇を取らせてもらおう!」


 その言葉を聞き、レイジーは微かに笑みを浮かべ、血で所々汚れたジャケットに手を伸ばした。カリドゥス・プロッケラもジャケットの内側に手を入れながら、ボクの視点から、つまりお爺さんから離れる。


「2年前のやり取りを今更か?」


 レイジーの笑みは微かだから、当人は笑っている事に気付いて居るのかどうかわからない。ただ、銃とナイフを取り出して、僅かに体を曲げて前屈みに構えながら、レイジーが動き出した。


 ボクの知るレイジーとは全く異なる姿が其処にはあった。銃口を相手に向けながら咆哮し、駆けるレイジー。その銃口が火を噴き、立て続け様に3発の弾丸がカリドゥス・プロッケラに飛んだ。でも、その弾丸はカリドゥス・プロッケラに届く前に変な動きをした。銃の弾って横に回転しているらしいとは聞いていたけど、縦に回転するなんて聞いた事無い。そして、あろう事か撃ったはずのレイジーに向かって弾が戻っていく! その速さは、銃で撃った速度と何ら変わりがない……。だけど、レイジーは構わずに突っ込む。スーツのポケットから何か零れ落ちて、弾はそちらに向かって逸れていき、床に弾痕を残す。


「サムハラ大神の銭とは、古臭い物を。」


 戦いを見ているお爺さんの声が小さく響いた。何、サムハラって? って言うか、なんでボク銃の弾を見る事が出来るの? それに戦いだした二人の動きも正確に見て取れる。そこで思い出したんだ。ああ、そうか、やっぱり夢なんだって。なら、見れるのは当たり前だね。驚いて損した気分だ。


 カリドゥス・プロッケラは回転式拳銃を構えて、レイジーに向かって撃ち放った。一際大きな一発の銃声が響いた。だけど、驚いたことに銃口からは六発の弾が次々に放たれたんだ。右手はトリガーを引きっぱなしにして、左手はハンマーに添えられていてすごい速さで前後に動いていた。さっきのサムなんとかはもう効力がないのか、弾はレイジーに向かって飛ぶ。これが同じ所に飛んでいるならば、避けられたのかもしれないけれど、一発撃つごとに反動はあったみたいで、一応レイジーの方向に飛んでいるけど弾はバラケテ飛んでいる。そして、だからこそ、危険だった。


 レイジーは何を思ったのか、なお突っ込みカリドゥス・プロッケラとの距離を削った。一発、二発、三発がレイジーの腕や頬を掠めて飛んでいく。でも、四発目を避けるのに僅かにつんのめり体勢を崩した! 危ない! 五発目がそのレイジー目掛けて飛んできていた。夢だけど、すごくハラハラするよ。疲れて寝たのに余計疲れそうだ。そんなボクの思いを知らずに、夢の中のレイジーは左手に持っていたナイフを振るい上げて、迫っていた五発目の弾を切り裂いた。でも、足が止まってしまった。六発目は……全然違う所に飛んでいく、良かった。


「我が神の風は、八方より吹く。」


 カリドゥス・プロッケラは、朗々と告げた。途端に、切り落とされた五発目以外の弾丸が縦に回転を始める。そしてレイジーの背後を捉えれば、弾は速度を落とさずいずれもレイジーに向かって迫った。なにそれ! ずるい! ボクの意識としては叫んだつもりだけど、声は出なかった。夢だから、そういう事もあるよね。面白くないけど!


 レイジーは、弾が迫るのに慌てずにカリドゥス・プロッケラに向かってまた駆け寄る。そして、銃口を向けてトリガーに力を籠めようとした。途端に、レイジーの肩や足、それぞれ一発ずつ弾が当たった。他の三発は外れた事だけが幸いだったけれど、二発も当たっちゃ痛いよ。左肩と右足から血が噴き出て、黒いジャケットとズボンを赤く染める。でも、レイジーは痛みを感じていないかのように、吼えてトリガーを引く。カリドゥス・プロッケラとは目と鼻の先……これなら当たる! と思ったんだ。


 弾は当たる事は無かった。カリドゥス・プロッケラは撃ち尽くした回転式拳銃でレイジーの銃を横に押しやっていた。まるで、剣と剣で鍔迫り合いでもするかのように。レイジーは横に逸れた銃口を再びカリドゥス・プロッケラに向けようと力を込める。その銃同士による迫り合いの最中、信じ難いんだけど……カリドゥス・プロッケラはシリンダーを振り出して、空薬きょうを捨てた。え、その状態で弾込めるの? と言うボクの驚きを他所にカリドゥス・プロッケラの腰当たりからふわりと六発の新しい弾が浮いて、ひとりでにシリンダーに収まる。もう、何でもアリだ……。


 すごく地味な絵面だけど、凄く真剣で命がけの迫り合いは、カリドゥス・プロッケラの銃に弾が込められた瞬間に転換期を迎えた。いきなり、カリドゥス・プロッケラは力を抜いたから、レイジーの銃が少し横にずれた。それでも一瞬だけ敵の身体が射線上に入る為か、レイジーは問答無用でトリガーを引く。弾はカリドゥス・プロッケラの頬を掠めた。でも、次にカリドゥス・プロッケラの銃口がレイジーを捉えかけていた。でも、捉えきる事はなかったのは、レイジーがトリガーを引くと同時に、突き立てようと機を伺っていたナイフを捨てて、左手で銃口を押しのけたから。レイジーの肩を掠めて弾は飛んだ。


 流石に今の状態じゃカリドゥス・プロッケラは風を操れないみたい。互いが銃をぶつけあい、或いは空いている素手で銃口を逸らし、命を狙っている。機が来たと思えば躊躇なく彼らは引き金を引く。見ているこっちが息苦しくて堪らない戦い。このまま決着が付かないんじゃないかって思えた。


 でも、最後の時は近づいていた。レイジーが七発、カリドゥス・プロッケラが五発撃った。レイジーの銃は後弾が何発あるのか分からないけれど、カリドゥス・プロッケラはあと一発だ。その段になって地に落ちた空薬きょうがクルクルと縦回転しながら宙を舞う。それで気を逸らせてリロードする心算なのかな思ったその時に、それは起きた。


 レイジーが銃を撃った途端、排出される薬きょう。ずっと繰り返してきた行為だけど……ボクはその出来事にただただ唖然とした。開いた薬室に宙を舞っていた空薬きょうがとびこんでしまったんだ。いや、飛び込ませたんだろう、カリドゥス・プロッケラが。あんな状況の最中、こんな事誰も考え付かないよ……。薬きょうの排出なんてほんの一瞬の出来事だよ? あまりの行いにボクはただ驚くしかない。先からずっと驚いてばかりだけど。何なの、この夢……。


「……終わりだ、ルフス・テンペスタース。弾を撃てねば戦乙女の加護も関係なく、サムハラ銭のご利益もこの距離では意味はあるまい。それとも、手動で排出して早撃ちでもするか、この俺と。」

「……何、まだまださ。」


 それでもレイジーは戦うつもりだった。例え素手でも戦う気なんだ。たとえ負けて、死んでしまうにしても。これは夢だから、死なないのは分かっているけれど……レイジー……。ボクの思惑なんか関係なくカリドゥス・プロッケラは引き金を引くべき指先に力を込めて……。


 彼は血を吐き出した。血を吐いたのはカリドゥス・プロッケラだった。


「時間切れだな、フラター・カリドゥス・プロッケラ。そして、ワシに届きおったか、篠雨……。」


 良く見ればカリドゥス・プロッケラの腹部からじんわりと赤い物が滲んでいた。一体どういう事なんだろう。この人も怪我をしていたのに無理に戦っていたと言う事なんだろうか。お爺さんは無傷じゃ誉じゃないとか言ってたのに……。カゲバラ? お腹を切ったの?


首領チーフ……まだ……決着は……。」

「いや、終いだ。カリドゥス・プロッケラ……。」


 レイジーは……いや、レイジは手動で飛び込んだ薬きょうを排出し終え、一言告げてから口端から血を流し続けていたカリドゥス・プロッケラの頭を撃ち抜いた。その顔には、一切の感情は浮かんでいなくて、まるでお面の様だった。だけど、ボクはその顔が凄く悲しそうに思えた。


 僅かな時間、その場にいる二人は動かなかった。死んだ魔術師を悼んだのか、偶然なのかはボクには分らない。そして、椅子が軋みを上げる視界が高くなる。お爺さんが椅子から立ち上がったようだ。立ち上がりしわがれた声が朗々と名乗りを上げた。


「我が名は結社エデンの蛇が首領、アエテルヌム・アングイス。またの名を、アエス・セルペンス。我が守護神イグの力をとくと見よ!」


 その言葉が響くと世界が一瞬で暗闇に覆われた。レイジーは此方を向く前だったのでその表情は分からない。そして、暗闇に覆われた事に慌てる前に、ボクは目を覚ました。


 バンカー居住区の天井を見上げて、あまりに生々しい夢を反芻していたけれど、ゆっくりと体を起こして首を左右に振った。何でこんな夢を見たんだろう、思わずそう呟いた時、微かな声が聞こえた気がした。お主にもその才があるからだろうと。それは先ほどまで夢で聞いていたお爺さんの声に良く似ていた気がして、まだ夢の中かとボクはもう一度横になった。

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