ボクっ娘ライネ、蒸気鎧を纏って魔術師と共に巨悪と戦う

キロール

プロローグ

 そうだね、何処から語ろうかな。そして、何処まで語ろうかな。こういう事には慣れていないからさ、如何にも緊張するよ。


 ……これからボクが語るのは、ほんの数年前の事。スカイスチームから逃亡したボク等の旅路は、あの時から始まったんだ。あれからたった数年しか経っていないけれど、実に多くの事が起きた。それでも、克明に話をすることが出来るのはね、文字を習って日記を付けるようになったからさ。


 ふふ、別にね。勉学は身を助けるとかそんな話がしたいんじゃないよ。今後の事に関わるからね、皆に話しておこうと思ったのさ。そうだね……旅路の始まりは、あの日から始まった。風向きの関係か、工場でストでもあったのか知らないけど、その日は久々に、スカイスチームの空は、スモッグの無い青空が広がっていたんだ。



 ※                ※                 ※



 久方ぶりの青空どころか、前方の視界すら白煙がもくもくと吹き上がりふさぐ。でも、そんな事を構っている暇はない。フラハティが、スカイスチームの有力者の一人であるフラハティが彼女を狙い、遂に動き出したんだ。


「急げ、急げ……っ。石炭はたんと食わせただろうっ!」


 愛用の強化蒸気鎧に身を包み、駆ける。駆けて、駆けて、駆ける。時々、強化蒸気鎧の四肢から吹き上がる白煙が視界を邪魔するし、荷物運搬用のワット型だから走ると凄く揺れるけれど。でも、それ所じゃないんだ! 早くしないと間に合わない!


 視界に目的の場所がようやく見えてきた。何体もの強化蒸気鎧……あれは、戦闘用のキュニョー型だ。真っ向から立ち向かえば、負けるのは目に見えている。けれど、それでもボクは行かなきゃいけない! 強化蒸気鎧やフラハティの部下達が取り囲んでいる二人を助けるために!


 エリックは震えながら彼女に前に立っている。幼馴染で気心が知れたエリックは、臆病な筈の彼は、彼女を守ろうと必死になっている。少しだけ心が痛む。ボクだって彼女を守る為にはその位できると言う自負と、今そんな事を考えた自分が酷い奴に思えて。

 

 エリックの後ろで、彼女が……サンドラが駆け寄るボクに気付き一瞬笑顔になった。エリックも安堵したように一瞬だけ笑ったように見えた。そうだ、自分にがっかりしている時間なんてない! 二人を助けなきゃ。ズンズンと足音を響かせて、ワット型強化蒸気鎧を走らせる此方に漸く気付いた連中。


「どけえぇぇぇっっ!」


 力の限り叫んで、後ろを向いていた強化蒸気鎧に飛び掛かった。けたたましく激しい金属音を響かせて、ぶつかり合う鉄の塊。ぶつかったままの勢いをそのままに、拳を叩きつけた。右、左と交互にぶつける。それを三回か四回繰り返した所で、急に強化蒸気鎧の腕が動かなくなった。動かそうとしても、軋んだ悲鳴を上げるばかり。何っ?


 まるでか細く泣く様な鉄の両腕、そして響く何かが裂ける様な不快な音。途端に、蒸気が激しく両腕の関節から吹き上がったのが分かる。左右の腕を背後から掴まれているのだと気付いた時には遅かった。腕が、蒸気機関で動く歯車と人工筋肉を鉄で覆った腕が、凄まじい力で後ろに引っ張られる。このままじゃ、鎧の腕ごとボクの腕も折られる!


「離せっ! はなせっ!」


 折れた腕、雨の日、何もできなかった自分。不意に思い出された過去の記憶。心の奥底で蓋をしていた筈の恐怖が、じんわりと湧き出てきた。嫌だ、いやだ、いやだっ!! !!!


 恐怖を抑え、二人を助けなきゃと頑張ろうとする自分と、あの日を思い出して悲鳴を上げたい自分がごっちゃになる。追い立てる様にギシギシと強化蒸気鎧の腕が軋みを上げ、そして血液を吹き出すように黒い煙を吹き出したのが分かった。強化蒸気鎧の足が折れたのを見た時も、そんな感じだったから想像がついた。如何でも良い考えが一瞬だけ頭に浮かんだ後に訪れたのは、物凄い痛みだった。


 ボクの左腕は折られたんだ。


 その痛みに屈して動けなくなった。きっと今、自分が泣いているんだろうと思う暇は、与えられなかった。抵抗しなくなったと感じた連中は、背後のハッチをこじ開けようとしている。怖い、怖い。怖い……。でも……。


 でも、二人を助けないと……!


 歯を食いしばって視界窓から二人を見る。涙でぼやけてしまった視界に映る二人の影は、凄く不安そうに感じた。大丈夫、大丈夫、今助けるから……。そう思い、願い、祈った。

 

 だけれども、神様は残酷だ。こじ開けられたハッチからボクの髪を掴んで奴らは引っ張り出そうとする。抵抗したけれど、全然駄目だった。引っ張り出されたボクを見て、ニヤけた男が口を開いた。


「躾のなってねぇに、世間の礼儀を叩き込んでやるよ……。」

「や、止めろ! 汚い手で触……ぐっ!」

「ライネっ!」

「ライネさんっ!」


 抵抗するボクの腹を殴りつける。痛い……。痛みと衝撃で息が苦しくなって、動きを止めてしまった。動く左手で腹を抑えうずくまったボクの耳に、エリックとサンドラの悲鳴が聞こえた。そして、ベルトを外している金属音も。嫌だ、いやだ……。二人の前でそんな事されるのは、いやだ……。


「やだよ……母さん……」


 小さく呻いたボクをあざ笑う男を残して、数名の男たちがエリックとサンドラに向かっていくのが分かった。サンドラと初めて出会った数か月前から、フラハティとの攻防は続いていた。その間、ボク達でどうにかやってこれた。でも、もう無理みたいだ。いい加減業を煮やしたフラハティは問答無用でボク達を押しつぶしに来た。その結果、サンドラは連れていかれ、エリックとボクは……。



 涙が零れ落ちた、目の前の荒くれ男がその汚い手でボクの顎を掴んで無理やり上を向かせた。そして、何か言葉を口にしようとした瞬間に、ジャラジャラと鎖の音が響き……伸びてきた鎖の先についた手が男の顔を掴んだ。


 その手。指先は凄く綺麗で真っ白なその手に、その指先に見覚えがある。レイジーが、旅人だと名乗っている変わり者だけど人の良いレイジーが、一生懸命直していた人形の手。人形って言っても大人の女の人と変わらない大きさのそれを、凄く丁寧に、一生懸命直していたからよく覚えている。レイジーは、彼女はこっちに来た時に助けてくれた人形さんなんだと言っていたのを思い出す。


 顔を掴まれた下半身丸出しの男は、きょとんとした顔をして、そしてボクの視界から消えた。絶叫を残して。


「マリオン大佐、やり過ぎだよ、死んだよ、あれ。スカイスチームから落っこちて。」

「旦那様、あんな物をゴミ捨て場に捨てても迷惑です。っていうか、くずは死ね。」

「いやぁ、相変わらず殺伐してて良かった。旦那様言われたときは失敗したかとマジで焦ったんだよ。」

「胸部装甲に厚みがましてやがりますが、どういう事ですか、旦那様。」

「ほら、そこは、ね。男のロマン! メイド服と豊満な胸は何と言うのかな、うん、私の夢だ。余人は知らず、この玲人レイジの夢!」


 最後の部分だけは、キッと凛々しく言う当たりいつも通りのレイジーだ。外套に身を包み、その下はキャサリンさんが仕立てたスーツを着ているレイジー。右手には紳士ぶってかステッキを持っている。もう一人と言うか、人形さんの方はメイド姿で冷たい雰囲気の美人。何でこんな所にこの二人は……。


「何なんだ、テメェらは! こっちは馬鹿なガキの躾に忙しいんだ!」

「私たちは、馬鹿な大人の躾に忙しいから気にしないで。あ、マリオン大佐、ドリル使う? アタッチメントは持ってきたよ。」

「少年少女の前で、阿鼻叫喚の地獄絵図を作れと? 旦那様は鬼畜ですね。」


 正直展開について行けない。でも、彼らの登場でエリックとサンドラの二人に向かっていた連中は引き返してくる。フラハティとの諍いに首を突っ込んでくる大人は、スカイスチームにはいない。生活の場が、自分の居場所がなくなるから。だけど、レイジーとメイド人形さんは首を突っ込んでしまった。


「レ、レイジー……逃げなよ、フラハティの手勢だよ? 巻き込まれたら酷い目に……。」

「ライネ、君はまだ子供だ。こういう時は大人を頼りたまえよ。最も、駄目な大人は何処にでも居るんだけどさ。まあ、私はほら……魔術師だから。」


 レイジーはこの期に及んでも口元に笑みを浮かべて、でも、いつものヘラヘラとした笑みでは無くて、もっと優しくて心の籠った笑みを向けてくれた。隣の人形さんも、頷いているのが見えた。


「……馬鹿は何処にでもいる、まったくだなぁ!」


 その二人に銃を抜き放って一斉に男たちは撃ち出した。銃声に混じって聞こえてきたのは、鉄か何かが飛んでくる硬い物を弾くような乾いた音。リズミカルに響く音の源は撃たれながら、両腕で円を描きながら迫る人形のメイドさんだ。その姿には、とてつもない凄味があった。って言うか、撃たれている筈なのに、まったくの無傷……!


「ど、如何なっていやがるっ!」


 慌てふためく男たち、撃ち尽くしてしまったのかただ徒にトリガーを引いていた一人が、突然吹き飛んだ! いつ、どう動いたのかメイドさんが踏み込んでその腹にパンチしたみたいだ。早すぎて良く分からないけれど、気付いてみたら男は吹き飛び、吹き飛ぶ前に男が居た少し手前でメイドさんが大地を踏みしめ、拳を突き出した状態で止まっていた。だから殴ったと思ったんだ。それも束の間、あっという間に二人目をなぎ倒していく。なに、このメイドさん、強すぎる……。


「お、男の方を殺れ!」


 叫びが上がった。ヤバい、レイジーがやられてしまう! そう思って痛みをこらえながらレイジーを見ると、黒塗りのステッキを振るうレイジーが見えた。そして、こんな言葉が聞こえたんだ。


「大いなる東の王、風の霊よ、汝が諸力をここに遣わさん!」


 普段のレイジーとは較べ様もないほど凛とした声で告げると、風が巻き起こった。一陣の風。でも、それで終わり。その筈だったのに。鈍い金属音が幾つも響いて、強化蒸気鎧達が一斉に倒れたんだ。瞬間、銃を向けていた男達は呆然としてしまった。そんな隙があれば、一瞬でメイドさんが生身の男達を全て殴り倒してしまうのは分かっていた筈なのに。


「流石は旦那様、見事な腕前で。」

「そりゃね、私はこの世界では唯一の魔術師らしいからね。……大丈夫かい、ライネ、エリック、サンドラ。ともかく一旦逃げよう。」


 そう言うとレイジーはボクの傍まで寄ってきて、ひょいと抱え上げた。男の人に触られるのは苦手なんだけれど、レイジーに抱えられるのはあまり気にならなかった。サンドラとエリックが走って来れば、ボクに大丈夫かと質問してきたが。


「急ぎましょう、流石に有力者相手に喧嘩を売っては、遊んでいる暇はないでしょう。」


 そうメイドさんに窘められた。レイジーも頷きエリックとサンドラに付いて来るように指示を出して、ボクを抱えながら走り出す。そう、この日から、ボク達の旅は始まった。

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