オマエは誰か
越本は壁を背にして寄りかかる。
「彼女は高橋佑助に裏切られ、殺されてしまった。島川は恨み、高橋佑助を殺した。それでも、島川の人生は戻らない。夢や希望は全て絶たれたんです。島川はやり切れない思いを引きずったまま、ここに留まっていた」
「なんのために?」
「島川はまだ好きだったんです。高橋佑助のことが」
越本は薄く笑みを浮かべていた。それが
「ここは高橋佑助が誰にも言わなかった秘密の隠れ家。ですが、元々は島川と密会するために用意した山荘だったんです。彼女を
自分への思いが詰まったこの山荘は、いわば愛の形とも言えるわけです。だから、この山荘を壊そうとする者を追い払い、時には殺した。
彼女の殺しには、もう 1つ意味があります。自分を思ってくれる人を自分の世界に引き込むことです」
「
「
「どういうことだ?」
「コントロールできないことがあると言うことです。元々、彼女はここに留まることを本意としていません。
彼女は誰かに愛してほしかった。だから、殺すことで自分の世界に引き込み、
「じゃ、何で三嶌を殺す必要があった? 島川彩希が殺したんだろ」
楠木は納得のいかない様子で問いかける。
「誰でも良かったんですよ。自分を愛してくれさえすれば。死んだ人間には、もう思ってくれる人しかいない。それだけが、死んだ彼女の希望だったんです」
越本は神妙な顔で視線を落とす。
楠木は越本の肩に触れる。体の中に手が入り込んだ。受け入れがたい事実だったが、越本薫は既に死んでいた。
楠木は手を引き、自分の手に目を移す。
「僕は霊体となり、彼女の思いを知った。そして、何度も
だから、僕は必ず
鋭い目つきが楠木に刺さる。
「警察への復讐……いえ、あなたへの復讐を」
「俺?」
うんざりと言いたげにため息をつく越本は首を横に振る。
「本当にあなたには感服しますよ」
越本はベッドに座る。島川は無表情で越本の動きを目で追う。
「お前の動機が分からない。お前の言ってることが本当なら、警察よりも宮橋和徳が一番憎いんじゃないのか?」
「ええ、だから苦しめたんです」
当然という反応に違和感を覚えた。かい離する間が見える。
「あなたじゃないですか。宮橋和徳は」
突きつけられた名前は、間違いなく自分へのもの。空想に溺れる凶悪犯罪者は、またおかしなことを言い始めた。
「何言ってんだ、お前」
楠木はぎこちなく片側の口角を上げる。
「宮橋和徳は生き残った僕らを全員殺した後、山荘周辺に散らばった遺体を隠した。最終的には、ご丁寧に僕が犯人であるかのような証拠を残し、山荘を去った」
「ちょっと待て」
「そして、捜索願を受けた警察は僕らの行方を追い、この山荘に辿り着く。そこには血痕があった。血塗られた山荘。傑作ですね」
越本は自嘲するように笑う。
「待てって!」
越本は冷たい顔に戻る。
「お前やっぱりおかしいだろ。大学生にもなって、そんな飛躍した話、誰が信じるんだよ」
「信じる信じないとか、どうでもいいでしょ。彼女はあなたの犯行を見ていましたから」
楠木は眉間に皺を寄せ、島川に視線を振る。島川は楠木の視線を避けるように俯き加減になる。
「霊の言うことを信じるってのか。本当にイカれてるな、お前」
「契約を交わした後に、彼女は僕に教えてくれました。嘘をつく理由がない」
「お前と、
「それはないですよ。お互いの同意により、
僕は拒否しました。だから、島川彩希と鳥山和也の
「お前の計画通りと言いたいのか」
「ええ」
越本は脚を組み、薄ら笑いで勝ち誇る。
「でも、僕と彼女との契約はまだ終わってない。だから、彼女は僕の命令で富杉蓮とあの儀式に関わった者を殺した。邪魔されると厄介なんでね。
僕との契約で、彼女は仕事をしただけです。あなたに恨みなんかありません。憎んでいるのは、この僕です」
越本は挑発するような仕草で前のめりになる。
楠木はまとまらない頭を働かせる。信じるにはあまりに現実離れしている。洗脳されようとしている。自分の精神を侵す悪霊でしかない。
楠木は心を奮い立たせ、再び反論する。
「仮に、宮橋がお前たちを殺し、生きていたとして、何で俺が宮橋になるんだ。言いがかりもここまで来ると、ただの当たり屋だな」
楠木には冗談として受け入れる様子は感じられない。それでも、越本は冷たい語りをやめない。
「宮橋和徳は山荘を去った後、警察や他人の目から隠れるために地下社会へ潜りこんだ。自分は死んだことにしたかったからです。
そのためには、家族にも、警察にも見つかってはならない。宮橋は地下社会にコネのある整形外科医を探したんです」
「地下社会って」
「またまたとぼけちゃって。聞いたことくらいあるでしょ。表では清廉潔白な顔をしながら、裏では非合法な経済活動が行われる社会がある。とても大きな社会だ。そこなら、自分の素性を隠せる方法があると思ったんでしょ。
整形外科医を見つけた宮橋は、なり替わる対象を探した。一番自分が身を隠すのに最適な人間を。自分と同じ年齢で、同じ身長の、自分とは接点のない者」
越本はベッドのサイドテーブルの引き出しを開け、いくつかの紙を取り出した。
紙を持った越本は、楠木に差し出す。
「探しましたよ。あなたの主治医。殺す必要はなかったですが、あなたに手を貸した奴が堂々と大金を持っているのも
楠木はおずおずと紙を受け取る。紙に領収書とあり、宮橋和徳の名前、施術項目と料金。合計は3500万。
「こんな大金、宮橋1人で稼いだって言うのか?」
楠木は真実味に欠ける領収書に意見する。
「人の臓器は高く売れるんですよ」
越本は無感情な声色がまた突飛した話を口にする。さすがに固まってしまう楠木。
「危険と言われている非合法の薬の治験なんかもできるし、元気な体なら値は更に高くなる。そうアドバイスを受け、本当の
あなたは整形外科医によってフルチェンジし、楠木将伸に生まれ変わって、第2の人生を歩んできた。ちょうど、30年前に」
楠木は嘲笑しながら首を横に振る。
「あるわけない……。俺には、宮橋の記憶はない。俺は楠木将伸だ。産まれてから、今日まで!」
強い瞳で言い放つ楠木。
「人生をやり直したいと思う人間はいます。合法となる整形も同じ欲望によってなされている。その延長線上に、他人と入れ替わりたいという手段と欲望があるんですよ。
しかし、簡単に名前まで変えることはできません。記憶はもっと難しい。
他人と入れ替わるなんて考える人は、嫉妬と憧れに身を焦がした人間か、特殊な状況下に置かれて切羽詰まった人間くらいです。
さっきも言ったじゃないですか。非合法の薬の治験が行われていると」
「記憶を操作する薬があるとでも言いたいのか」
越本は体を揺らして笑う。
「そんな薬ができたら、世界征服なんて馬鹿げた話もありそうですね」
茶化すように話す越本はくだけた姿勢になる。リラックスした越本は、まるで自分の家にでもいるかのようだった。
「記憶を消すだけです。記憶に関係している脳機能をピンポイントで破壊する薬。
でも、これだけじゃあなたの目的は達成されない。欠損した後は、脳細胞の成長を促進する薬の服用と、行動訓練をしなくてはいけません。表に出ても、不審に思われないようにしないとまずいですから」
楠木は紙を握り潰し、床に投げつけた。
「こんな紙じゃ、俺が宮橋和徳だって証拠にはならない! これくらいほとんど書かれていない領収書なら、小学生でも作れるだろ! 偽造された物に決まってる!」
楠木は息を荒々しくして反論した。
すると、越本は自分のポケットからまた携帯を取り出す。
「これ、僕の携帯なんですよ」
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