大学生集団失踪事件の真実9              作成日時 2136年11月06日0:33

 テーブルの上に置かれている食器が空いてきていた。3人のお酒も進み、蓮口の顔は少しだけ赤くなっている。しかし、部屋の中は静寂に包まれていた。


「気味が悪いですね」


蓮口は落ちた気分のまま呟く。


「何だろうな。越本の目的は」


楠木はタレに漬け込まれた骨付き肉をほおばる。


「え? 冤罪だったことを証明しようとしてるんじゃないんですか?」


楠木の問いにいぶかる蓮口。


「それもあるだろうけど、もっと違う目的もあると思うんだよな」


「反証したいなら、わざわざ演出をする必要はないし、××署に送るよりも、報道機関やネット上に拡散させた方が効率がいい」


鳥山は神妙な面持ちで捕捉する。


「確かにそうですけど、じゃあ越本の目的って何ですか?」


「復讐」


鳥山の重みのある声が告げる。


「当時越本薫が犯人であると断定され、公開捜査が行われてましたからね」


 楠木はしみじみと語る。


「だが、捜査の甲斐も空しく、越本薫の目撃証言はなかった。あの山荘周辺以外、越本の逃走の痕跡さえも何も見つからなかったんだ。それどころか、同行していた大学生の安否も不明。逃走後の居場所さえ掴めず、捜査は打ち切りとなった」


悔しそうに語った鳥山はそれをアルコールと一緒に呑み込んだ。


「もし生きているなら、何かしらのアクションがあってもいいと思うんですけど……」


蓮口は捜査資料を見ながら呟いた。


「あ、すみません。変なこと言って」


蓮口の顔が曇る。鳥山は苦い顔をして口を開く。


「失踪中の大学生の家族の中で、今も自分の子供の情報提供を求めようとしているのはごく少数だ。被害者の両親は亡くなったり、体を悪くして寝たきりになっている。兄弟姉妹が必死に活動を続けているようだ。

一方、越本薫の家族の実家に報道陣が押しかけ、家族は対応に追われた。更に住民の心無い嫌がらせを受け、心身共に疲れ果てた家族は逃げるように雲隠れ。

ネット上じゃ、面白半分に越本の家族のあることないことが書かれた。越本薫が見つからない現状は警察の無能さへの批判だけに収まらず、家族にも及んだ。

その後、越本薫の両親は隠れ家で死体となって発見された。睡眠薬の過剰摂取で自殺を図ったんだ。越本薫の妹は名前を変え、海外で暮らしている」


 鳥山はグツグツと音を鳴らす小さな鍋の中を見つめながら遠い目をしていた。卓上コンロの中の固形燃料が青い火に包まれ、鍋の中の水炊き料理の旨みをもっと引き出そうとしている。


「じゃあ、越本薫は海外に逃亡してるんじゃないですか」


蓮口は眉を顰めて問いかける。


「その可能性もあると思って妹を監視した。だが、妹は兄のことを酷く嫌っている。妹にとっては、両親を殺した犯人みたいなものだからな。

彼女の監視は1年で終えて、結果、兄との接触は一切なかったという報告がなされた」


「そうですか」


「だが、彼女の怒りは兄だけに向けられたものじゃない。日本の国民と警察だ」


「だから彼女は海外に」


「ああ」


「次の動画を観ましょうか」


湿っぽい空気を裂くように楠木が切り出した。


「そうだな」


蓮口は次の動画ファイルにカーソルを合わせてクリックした。


 画面キャプチャーが映像を映す。白い粒は依然として出ているが、さっきより鮮明に見えている気がする。少し暗さがあるのは夜に撮影されているからじゃないか、という楠木の推測で2人は納得した。

画面は同じアングルで撮られているが、中央にある絵画は真っ赤に染まっていた。更に、赤い液体が絵の中から染み出すように額縁に伝い、床に落ちている。鮮血は床に血だまりを作り、画面の下で妖しく主張している。


「××警察署のみなさん、先の動画では不具合により、映像と音声が途切れてしまいました。なので、途切れた途中から話をします。

宮橋和徳は今ここにいない安西美織が犯人なんじゃないかと発言しました。僕と三嶌璃菜は、安西美織に白川琴葉の殺害ができないことを反論しましたが、宮橋和徳が唱えた可能性を完全に否定できませんでした。

すると、仮に安西美織が白川琴葉を殺害したとしても、山口春陽の殺害も安西美織がやったとは思えないと、三嶌璃菜は主張しました」


3人は食べるのも飲むことも忘れて、画面に集中して見ている。


「山口春陽の遺体の表面はどこも黒焦げでした。そして、下半身が切断されていた。下半身を切断したとしても、胴体だけで20キロ以上あると思われました。それを屋根の上にある煙突まで持ち運ぶのを1人で行うのは無理がある、と言ったんです。外から梯子をかけたら物音で気づかれるかもしれないし、胴体を持ちながら梯子を登るのは困難だと考えられた。

宮橋は、胴体を運んだのはロープで引き上げれば簡単だと言いましたが、三嶌は宮橋の主張を制しました。

下からロープで引き上げようとして、屋根から落ちてしまうなんてこともあり得る。また、ロープで引き上げる途中で少しでも揺れがあれば、遺体が外壁に当たってしまうかもしれない。物音を立てず屋根に登り、遺体を煙突に放ることはできない。それが三嶌の言い分でした。

宮橋はさすがに無理があったと思ったようで、何も言えませんでした。僕にはもう1つ、気になることがありました。なぜ、安西美織が2人を殺さなければならなかったのかです」


 楠木は「そこだよなぁ」と呟く。


「僕はそれをみんなに提示しました。それは火野を許せなかったからじゃないかという宮橋の意見がありましたが、なら何で火野翔馬が殺されてないのか、疑問が残ります。もし浮気をしたことを怒っているのなら、火野翔馬を殺すはずです。

僕は火野に心当たりはないか尋ねましたが、首を横に振るだけでした。その時、僕はなんとなく火野の様子に違和感を覚えました。ベッドの上で足を放っている火野は一見すると普通に見えましたが、僕と目を合わさず俯いて、自分の握られた拳を見つめていたんです。

すると、僕の視線が気になったのか、火野は『なんだよ?』と聞いてきました。その問いかけは苛立ちが篭っている。僕は咄嗟にそう判断しました。それでなんとなくですが、閃いたんです。それを確かめるべく、カマをかけてみました。

僕は火野に、『美織はお前とも付き合ってたんじゃないか?』と尋ねました」


「マジかよ」と零す蓮口。その口元は少し笑っていた。鳥山はまるでドラマでも見ているかのような反応をする蓮口に呆れる。


「火野は目を見開いて強く否定しました。三嶌は僕に説明を求めました。

安西美織は火野翔馬と現在進行形で付き合っている。しかし、安西美織は白川と付き合っていることを密かに知りながら交際を続けていた。どうせ殺すから。

そして、この山荘のことをよく知るために山口春陽から情報を得て、計画を練った。安西美織ならそうすると思いました。

宮橋は思い出したように、『あっ』と声を漏らしたんです。この泊まり込みの予定を詰めていた頃に、山荘の写真を持ってないか山口に尋ねられたことがあると証言しました。その証言で僕は真実に近づきつつあると自信を持ち、饒舌じょうぜつに話を続けました。

安西美織は計画通りに白川琴葉殺害に成功し、白川琴葉の遺体を僕らは発見した。その後に脅迫文を見てしまい、僕らはここに閉じ込もるしかなくなった。しかし、山口春陽だけは脅迫文を無視して出ていこうとしたため、安西美織もついて行き、計画の邪魔になった山口春陽を殺した。さすがにあの脅迫だけでは出て来てしまうと感じた安西は脅迫文を追加し、山口春陽の胴体を煙突から落とした」


固形燃料に纏っていた火は小さくなり、鍋の中で鳴っていた音も消えていた。固唾を呑んで成り行きを聞く3人。ずっと同じ姿勢だったことに気づいた鳥山は、固まっていた体を解く。


「僕は火野に、本当のところどうなのか尋ねました。それでも火野は付き合ってないと言いました。火野の命もかかってることを提示して、再度問いかけましたが、強く否定しました。にっちもさっちもいかなくなり、どうにか確かめる術はないか考えました。

すると、同じように火野も主張を信じてもらいたいと思ったようで、自分の携帯を見せてきました。火野は、『ここに安西美織とのやり取りが残ってるから見てほしい』と言ったんです。判断材料にはなると思った僕は、火野の携帯を見ました。そこに付き合ってるような雰囲気のメールはありませんでした。通話履歴もほとんどなく、メールの頻度も少なかったんです」


 プツプツという不規則な音が二十数秒前から聞こえ始めた。また何か起こるのかと画面に注目する。


「三嶌は消去できるから当てにならないと一蹴しました。他にも内緒で連絡のやり取りができるツールはたくさんあるため、三嶌の言っていることは理解できました。

火野は自分の疑いが晴れなかったことに落胆していましたが、まだ決まったわけじゃないし、とりあえずここにいる3人には犯行が不可能だということは知っていたので、すぐに対策できると思いました」


すると、画面が浮かび、部屋の中を移動し始めた。これも不可解な現象かと思ったが、越本の指が下から入り込んだことから越本が持っていると推測できた。

どこかがっかりした表情をする蓮口。楠木は冷めた視線を向けて、「何期待してんだよ」と声をかけた。


「別に期待なんてしてませんよ」


蓮口は唇を尖らせた。

越本のカメラは廊下に出て、階段に向かって行く。


「僕らは再度窓や玄関の施錠を確認しました。安西美織は外にいるはずなので、中に侵入されないようにするため、宮橋と火野に備品室から釘を持ってきてもらいました」


 1階に下りた越本は、画面をキッチンに向ける。キッチンの窓に人のシルエットが見えた。越本から怯えた小さな声が出た。影は右に逸れて素早く消え去った。

カメラは右に左にと素早く振られ、後方にも注意を向ける。特に変わった様子はない。相変わらずプツプツという音は鳴っているが、1階のリビングやキッチンの鮮やかな茶色の色彩、小物などにおかしなことは起こってないようだった。忙しなく振られたカメラの動きが落ち着きを取り戻し、再びキッチンの窓に向けられる。


「釘は数本しかなく、圧倒的に足りませんでした。とりあえず、2階の窓枠は木製のため、下端に釘を打ちつけました。足りない部分は窓の鍵穴に紙屑を詰めて、ガムテープで3重に張り付けました」


カメラはキッチンの窓にゆっくり近づいていく。死角となっていた右側の通路口前のスペースをカメラが一瞥し、キッチンの窓にアングルが戻される。画面は窓の鍵のアップになる。


「1階の窓枠はアルミになっており、釘は使えません。クレセント錠に金具を入れ、クレセントのロックをかけました。ロックの上からガムテープを貼り、動かないようにしました。レバーも、簡単に動かないようにガムテープで固定しました。

××警察署の方の中には、これだけで侵入を完全に防ぐことはできないと思う人もいるでしょう。ですが、侵入に時間をかけたくないと思う犯人にとって、この嫌がらせのような方法は有効なんです。その間に僕らに見つかってしまわないか、気が気じゃないでしょうから」


「よく知ってますよね」


蓮口は素直に感心する。


「今の時代、ネットで調べれば簡単に分かるからな」


鳥山は腕組みをして呟く。

 カメラは振り返り、リビングを映す。


「僕らは外部からの侵入対策を終え、それぞれ武器を持つことにしました。既に内部に侵入しているかもしれないからです。枝切りバサミやモップという貧相な武器ではありましたが、ないよりはマシでした」


越本の足音と共に、カメラが暖炉に近づいていく。


「包丁や斧などの明らかな凶器は、さすがに危ないという結論に達し、刃を足で踏んで、柄と刃の部分をてこの原理で折り曲げて暖炉の中に捨てることにしました。これから襲ってくるかもしれない犯人が、僕らの親友だったらと思うと、自分の手で殺してしまう武器は向けたくなかったんです。

そこにはまだ、山口春陽の胴体らしきものが残っていました。三嶌璃菜は見ないように顔を背けてソファにいました。火野翔馬は暖炉の前で正座をし、涙声で何度も『ごめん』と暖炉に向かって頭を下げていました。

暖炉の前に立ち、揺れる火を見つめていた宮橋和徳も、涙こそ出ていませんでしたが、隣から鼻をすする音が聞こえていました。

なんでこんなことになったんだろうと、後悔しても仕方がなかった。でも、僕らは気の置けるかけがえのない親友だったんです。もっと前に何かできたんじゃないかって、思っていたんです」


悲哀する声は言葉尻にかけて小さくなった。感傷的な演出であることは分かっていた蓮口だったが、うるっと来てしまい、目頭を押さえていた。


「今日はここまでにします。ご視聴ありがとうございました。また後程、お会いしましょう」


 動画が切れて、部屋の中には悲しみを帯びた空気が反響していた。

体を退いた楠木は腕時計を見て、「そろそろ出ましょうか」と促す。3人は荷物を持って立ち上がり、会計に向かった。



 帰りの徒、3人は肌を撫でる夏の夜風を受け止め、思い思いに耽っていた。夏虫が電光看板の周りで飛び回る様は、今ならまだ優しいものに感じた。

囁くように街路樹の葉が鳴くと、3人の中で越本の悲しみの声が甦り、余韻を誘った。


「動画って、あれで終わり、じゃないですよね?」


蓮口は複雑な表情で呟いた。


「だろうな」


鳥山が小さく応える。


「また送られてくるかもな」


楠木は苦虫を噛み潰すように言う。


「もう観ないっていう選択肢はないですよね?」


蓮口は不安げに問いかける。


「観たくないなら無理するな。この件は元々俺の問題だ」


鳥山は優しく答える。蓮口は思いつめた顔になって黙る。


「怖いか?」


 楠木は蓮口を気遣う。


「なんていうか、執念ですよね。越本がどれだけの憎しみを持っているのか、今日になってようやく分かった気がしました。それに耐えられるのか、不安で……」


鳥山は蓮口から視線を外し、前を見据える。


「俺だって不安だよ。誰だって不安になる。でも、奴の証言で、まだ見つかってない被害者の居場所が分かるかもしれない。事件はどうにもできないだろうが、少なくとも家族は救われる。そう信じて、俺は被害者家族と一緒に戦う」


静かな歩道を歩く 3人の背中は夜の街灯に照らされ、言いようのない哀愁を感じさせる。もやつく感情は行き場もなく、優しい風にも触れることは許されない。

この先に何が待っていようと、おそらく受け止めることしかできないだろうという悲観的展望は、3人の背中に重くのしかかっていた。

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