呪怨の棲家
雨に打たれながらも強い幹に支えられて茂る緑。100年もの歴史からなる木々は、山のほとんどを埋め尽くす。山の中に作られた道は、山に生息する生き物の調査や林業に携わる人たちのためにあると言っていい。ここをよく利用している者たちは口を揃えてこう言う。
"あの道の上に行ってはならない"
一時は通行止めのフェンスが設置されたり、ロープを張って立ち入り禁止を示す札があったが、次に訪れた時には例外なく通行防止の物は山林の中に放り込まれていた。
監視カメラは必ず原因不明の故障を起こし、人による監視すら無益となった。監視していたはずの2名の警備員は忽然と姿を消し、捜索が行われる
1週間後、警備員2人は汚れた制服姿で自宅に帰ってきた。何があったのか家族や警察が聞いても、何も話そうとしない。ただ一言、女に追われていた。思い出したくないと泣きながら声を荒げるため、本人からの聞き取りは断念。警備員2人は精神科への通院を余儀なくされ、仕事も退職することとなった。
県立図書館で得た情報をメモしておいた携帯を確認して、暇を潰していた楠木は携帯をしまい、運転する後輩を横目で見る。むくんだ顔にある目ははっきりと赤い。赤い目はしっかり前を見て安全運転をしている。車は両隣りに高々とそびえる落葉樹林の間にある坂道を通っていく。躊躇ってしまうほど薄暗い落葉樹林の中から誰かが見ているんじゃないかと疑ってしまうほど、瘴気みたいなものを感じる。
フロントガラスの向こうが広がっていく。
この目で見るとなんてことない豪勢な山荘だった。写真で見たまんまの山荘がどんどん迫る。車は山荘の玄関を横切り、山荘の外壁の前で止まった。
「長旅ご苦労様です。ようこそ、刑事さん」
ラジオからまたあの声がからかいを含んで歓迎を示す。
「どうすればいいんだ?」
楠木は呆れつつ尋ねる。
「中に入って下さい。鍵は開いてます。2階の宿泊部屋、『angel 11』。 場所は知ってますよね?」
「……ああ」
「では……邪魔者は消えていただきましょう」
越本が発した言葉に引っかかった時、隣でゴトッと小さな音を聞いた。頬で感じたことのある温度が触れる。視界の端では、何かが運転席の足場へ入ったのが見えた。楠木がそれに視線を向けた。
運転席の足場にある顔。後輩の足の上に頭があり、赤い目がこちらを向いている。あまりに異様な画に時間が必要だった。傾く後輩の体はハンドルにつっかかる。
首から上がなくなっていた。首の断面から溢れる大量の血がハンドルにかかり、糸を引いて運転席の足場に落ちている。足場に転がった後輩の顔に血がかかり、ぽかんと開けた口にも入っていく。
「お前ぇっ!!!」
楠木は怒りを露にする。
「なんですか。うるさいなー」
「
越本はため息を零し、不機嫌な様子で話す。
「何度も言わせないで下さいよ。僕にとって××警察署の方々は、僕を犯罪者に仕立て上げた恨んで当然の人たちなんです。時が経ち、違う人間に変わっていたとしてもね。
早くして下さい。早く僕に会いたいでしょ? 僕はずっと待ってますよ」
ラジオが勝手に切れた。楠木はダッシュボードにおでこにつけ、両手を力強くぶつける。雨と血で濡れたフロントは山荘の外観を正しく映してはくれない。また強くなった雨がフロントガラスの上を滑り、視界をぼやかす。
怒りに満ちた目が2階の窓を見ていた。カーテンがかかり、中は見えない。
ずっと
楠木は車を降り、ドアも閉めずに山荘の玄関へゆっくりと進む。雨に濡れていく腕がそっとスーツの内側へ入り、出てきた手に握られた黒の銃が火を吹きたがっているかにようにカチっと音を立てる。
楠木は小さな階段を上がり、短い木製の通路を通って玄関の前に立った。恐怖より
勢いよく開いたドアが開いて全開になる。暗さのあるリビングが広がる部屋の中には埃が舞っている。誰かしらの足跡が複数残っていた。写真で見た時より酷い有様だ。スプレー缶で書かれた『FucK』の文字や外部から持ち込まれた西洋人形が赤い革製のソファに横たわっていたりとやりたい放題されている。
事件は30年も経っている。今や警察の管理下にないこの山荘は、誰でも入ることができる。
ここは本当に危険だと、オカルト映像を期待した人間がここにやってきて動画を撮っていたようだ。行方がわからなくなった者もいれば、無事に帰ってきた者もいる。だが、半年以内にありとあらゆる生存者のSNSアカウントは、半年も経たずに更新が止まっていた。
楠木は部屋を見回してみるが、電気の場所が分からない。部屋の内観くらいは分かるため、足取りをゆっくり保ち、玄関近くの階段を上る。
片側だけに棒状の柵の壁が最初の階段にあり、踊り場を通って左に曲がると、薔薇の絵が彫られた壁に変わる。今まで聞いてきた同じ景色がずっとここにあった。修復が行われたこともあるだろう。100年以上も経って存在できる家などなかなかないはず。何かしらの未知なる力が働いていると感じてしまう。
2階の暗さは窓もないためもっと酷い。どこにドアがあるのかも分からない。携帯のライトで視界を確保しようとスーツのポケットに手を入れる。すると、廊下の上部に並んだランプが光を放った。電気的な音を立てて光は強弱を見せていく。安定しない光から不穏な空気を感じた。銃を構え、周りに警戒する。血で濡れた指がトリガーを滑る。
オレンジ色の光が安定を極め、簡素で汚らしい廊下がお目見えした。靴跡がフローリングの床にびっしりとある。風もないのにドアがゆらゆらと揺れている。ドアノブはなくなり、欠けた部品は行方知れず。楠木は銃を下ろし、警戒をしながら廊下を進む。
『fear』、『juncture』、『indebt』、『gate』のドアを確認しながら廊下の真ん中を通っていく。左に曲がると、書庫の扉が突き当たりに見えた。楠木は右側にあるドアに視線を振る。一番奥にある宿泊部屋、
『angel 11』とはっきり書いてある。ドアノブを握り、ゆっくりと回す。体を退いたまま、ドアを押した。苦しそうな唸り声みたいな音を鳴らしてドアが開く。焼けつくような光に照らされた部屋のベッドに腰掛ける越本の姿があった。
「ようこそ。楠木刑事」
越本を見て更に体が熱くなる。写真とまったく変わらぬ容姿が微笑みを向けていた。
銃口を越本に合わせ、部屋の中に入っていく。越本は強く睨む楠木の殺気を嘲笑うかのように、気だるげに両手を上げる。
「捜査外の発砲をしてもいいんですかぁ? それであなたは満足ですか?」
「お前は、連続殺人犯だ!」
「僕を殺した方が都合がいいからでしょ? 真実を知らないまま殺せば、あなたも立派な殺人犯です」
ジメジメとする肌。血と汗が混じり、銃の握りが甘くなる。
「何年、何十年経とうと、殺された人間の意思は永遠に消えません。あなたも、充分に骨身に染みているでしょう?
知りたくなかったらどうぞ殺人犯に成り下がって下さい」
越本は楠木を突き放すように吐き捨てる。
ベタつきのせいか、また頬が痒くなる。肌をなぞっていく冷気が熱くなった体を冷ましていく。
楠木は銃を下ろした。
「聞くだけだぞ」
「ええ、今日で最後ですから、ご安心下さい」
「は?」
「今日を乗り越えれば、呪いは解けるってことです」
にわかには信じがたい話だったが、もしそうなるならと希望を抱く。
越本は部屋の隅にある椅子を差し、「座って下さい」と促す。楠木はボロ臭い椅子に近づく。椅子を移動させ、越本に向かって斜めになるように置く。椅子に座ると、部屋のドアが見え、越本にも視界が網羅できる。
一瞬の隙も見せない。越本の話した希望が罠の可能性も考慮していた。
薄く笑った越本は、「それじゃ、始めましょう」と切り出した。
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