私はずっと1人。

 蓮口と楠木は神社の外にある近くの喫煙所にいた。人通りの少ない路地に昭和感漂うレトロな商店が並んでいる。その細い路地はいわば禁煙志向の社会の目を気にせず悪いことができる場所だった。

その分治安が悪く、暴漢やシャブ中のたまり場であると、別の警察署の同僚が言っていたことを楠木は思い出し、気分転換にそこで久しぶり煙草を吸いたくなった。

 コンビニで買った煙草に火をつける。15年ぶりに吸う煙が骨身に染みる。煙は風雨に晒された看板にもやをかけていた。

蓮口は興味本位で 1本吸い、初吸いで咳き込んでしまう。楠木は蓮口の予想通りの反応にニヤけ、「やっぱりお前はやめとけ」と忠告する。蓮口は目を細めながら首肯し、まだほんの先っちょしか灯してない煙草を消して、設置されている円柱型の灰皿に捨てた。


 20分後、一同が集まった視聴室。巫女の人数が最初は4人だったのに、3人に減っている。


「あの、巫女さんが 1人減ったような気がするんですが……」


蓮口はおずおずと富杉に尋ねる。


「怨霊の霊的エネルギーに耐えられず、穢れが身を侵食していました。まだ修行の身ですから、私の判断でこの場から離れさせました。清めの間で休ませていますのでご安心を」


「そ、そうなんですね」


蓮口は引きつった笑みを携えながら何度も頷くが、内心自分たちもその清めの間とやらで清めてもらえないのかと言いたかった。だが、それを言っても、結局動画を観ないことには怨霊の目的を知ることはできない。楠木と蓮口が怨霊と契約を結んでいること、それは目的を知ることと非常に重要な関わりがあるため、2人には一緒に動画を観てほしい、それが富杉の言い分だった。

この手のプロのことを信用したい反面、分野が分野なだけに疑念を持ってしまう。2人には霊能者富杉蓮を頼る以外道はなかった。


 蓮口は気持ちを引き締めて側に置かれたリモコンを手に取る。リモコンの先をパソコンに繋いだセンサーに向け、操作していく。

動画のタイトルもメッセージ性のあるもので気持ち悪さを感じるが、サムネイルもまた隠微いんびなものになっていた。

これまではサムネイルだけが正常さを保っていたのに、不気味な異変はたちまち電子的な物を歪めていく。歪んでいく物を見る度に幽世かくりよに引き込まれていくんじゃないだろうかと思ってしまう。

安全確認のように、蓮口は再生することを告げる。富杉は澄んだ瞳を向け、首肯した。蓮口の親指が決定ボタンを押した。


3秒の暗黒画面の後、弾かれたように映像が入った。ぼんやりと映る一室は『juncture』よりもまだ綺麗な方かもしれない。かもしれないと推量しているのは、どうも画質が悪いからに他ならない。今までは映写機で撮ったように単なる画質の悪さが目立っていたが、この動画はコントラストの歪みとでも言うべきかもしれない。

全体的に極めて薄い緑の膜に覆われた画面のように見えたのだ。それはアナログ的な意図した物とは考えにくい。動画が進む度に楕円状の粒が纏まって、大きな膨らみを描き、画面の中で動いているのだ。孔雀の羽についている楕円、または全音符の記号。薄暗い画面の中で虫が群れて蠢いているかのような挙動を見せている。

それを目の当たりにした瞬間、全身の肌が拒絶するのを感じた蓮口。体を細かく震わせ、一度目を瞑って大きく息を吐き出す。呼吸を整えてみるも、全身を伝った悪寒と喉の奥に何かがつっかえた感触は消えなかった。


「××警察署のみなさん、最高のエンターテイメントをご視聴下さっているようで、僕も嬉しいです」


 越本の姿は見えないが、近くにいるようだ。ベッドと窓を左斜めのアングルで映している。ガラスのなくなった窓の外は夜に染まっているが、時折いくつもの小さな物が舞っていた。それが雪だと分かったのは、越本の息らしき白い放射物が画面に映ったからだ。相当寒い中で撮影をしているらしい。

元家主がペンションにいた頃で1995年くらい。100年以上も経っている。一度は改修工事をしていると思われるが、だとしても、同じ基礎構造でそこまで持つものだろうか。山の中に立っているなら地盤もしっかりしているかどうかも疑わしい。


「この部屋、『fascination』で僕らは林を燃やす計画を確認しました。カセットコンロのボンベを予備用と合わせて2つ、携帯の電池、まな板、トンカチなどの硬い物、可燃物、暖炉にあった火かき棒、ガムテープ、油を持ってきました。手順はこうです。

まず火かき棒に可燃物、その時は安西たちの協力で集めた経済雑誌のページやレシートを丸めた物を使いました。火かき棒の先に丸めた可燃物を差し込み、ガムテープで固定します。表面に薄く油を塗り、より引火しやすくしておきます。

次にまな板の上に携帯の電池を置き、携帯の電池をトンカチで思いっきり叩きます。強い衝撃を与えれば火が噴くので、プッシュ式のガス抜き器でボンベに小さな穴を開け、穴から出るガスがまな板の上で火を噴いている携帯の電池と垂直になるように後ろに置きます。すると、上に伸びていた火が前に飛び出すように伸びるので、前に飛び出す火に先ほど作った火かき棒の先の可燃物を当てれば、火種の完成です。

窓を開け、林に向かって火種を火かき棒ごと投げます。そうすれば、地面に落ちている枯れ葉や草に火がつき、火が勝手に林の中を伝っていくという寸法です」


「それやったら火災報知器が鳴って消されるんじゃ……」


蓮口は苦笑いを浮かべて楠木に視線を送る。


「この山荘には火災報知器は設置されてなかったそうだ」


「え、それってまずいんじゃなかったでしたっけ」


「ああ、だが全ての住宅を調べられているわけじゃない。特にこういう隠れ家的な別荘なんかは調査から漏れることがよくある」


「へー」


「それくらい知ってるもんだと思ってたよ」


楠木は蓮口を蔑んだ目で見つめる。


「いや、ちょっと忘れてたっていうだけのことですよ」


「ちょっとどころじゃないだろ」


「あはははは……」


和ませるためにした会話じゃなかったが、巫女さんのクスリと笑う小さな声が聞こえた。蓮口はそんな巫女さんに見惚れている。

楠木はこんなささいなことでこの動画の呪いがどうにかなるとも思っていなかった。虫の集団は画面の中で膨らんだり引っ込んだりを繰り返す円形の集団隊形を取り、悪魔的な挙動でかどわかしてくる。少しでも蓮口の気が楽になっているのなら、まだ良いことなのかもしれない。


「僕らはまだ霊の存在を知らない頃に、一部の部屋で木製の窓枠に釘で打ちつけていました。トンカチで窓を割って、強引に窓を空けました。真ん中の窓枠も壊し、余裕を持って火かき棒を投げられるように準備しました。

僕は火かき棒に丸めた可燃物をセットし終え、棒を持って待ち構えました。宮橋はまな板に自分の携帯バッテリーを置いていました。

宮橋は引け目があったんでしょう。知らなかったとはいえ、泊まり込みの計画をしてみんなを誘い、ここに連れてこなければ、山口や火野が死ぬこともなかった。ただのバッテリーごときで2人の死の償いになるわけもありませんが、何かやらなければいけないと思っていたのでしょう。

宮橋と僕は目で合図をし、トンカチを振り下ろす寸前、僕らの耳の奥を貫くような大きな叫び声が入ってきました」


 机の上でカメラが擦る音を立てて、窓から部屋のドアに向く。画面の右端には越本の体が見切れている。部屋の中は明るさがあるものの、明るいからこそ何か見えてしまうのではないかとも思えてしまう。

風情のある木製のドアは越本たちが体験してきた恐怖にも一味加えているようだった。


「僕らがドアに注意を向けた時、閉めていたはずのドアはなぜか開いていました。安西は、三嶌がいないと声を張り上げました。三嶌は本当にいなくなっていたんです。

あれは三嶌の声。僕らは三嶌がいなくなってからそのことに気づいたんです。僕らは山火事を起こすのを一旦取りやめ、三嶌の行方を探すことにしました。僕らは分かれて、一刻も早く三嶌を探すことにしました。

僕と宮橋は単独で行動し、安西と白川には2人で行動してもらいました。僕と安西、白川は、2階の部屋を探し、宮橋は1階を探しに行きました。

三嶌はただあの部屋で何かを見て、部屋から飛び出した。あの女の幽霊のせいじゃない、塩だって撒いて入れないようにしたんだから大丈夫。僕は自分に言い聞かせながら三嶌の無事を祈り、懸命に探しました。

僕は直感的に書庫じゃないかと思い直し、間にあった部屋のドアを4つほど無視して書庫に向かおうとしました。

その時、大きな物音がどこかから聞こえ、重なった叫び声に僕は足を止めました。

長く続く廊下には開いているドアが1つありました。あの声が白川と安西の声、もしくはどちらかの声だということはなんとなく予想がつきました。階段を駆け上がってくる宮橋がその部屋に入っていくと、璃菜、とうなだれるような宮橋の声が微かに聞こえました」


 ガチャと音が鳴った。またガチャ、と音が鳴る。越本の語りが止まる。越本の体はドアの方に向いているのが分かる。

ガチャ、ガチャ、ガチャ、ガチャとドアの方向から鳴っている。よく見ると、ドアノブが回っては戻りを繰り返している。ドアノブの音は不穏を駆り立てるようにどんどん早くなっていく。しつこく繰り返されていく音が楠木たちのいる視聴室にも響き渡る。頭の中が冷たい液に浸かっていくような気がして、不快極まりなかった。

20秒もの長い時間、奇妙な動きを見せたドアノブは止まる。音も止み、静止画のような映像になる。キィーとドアが軋む音を立ててゆっくり開いた。

灯りに照らされた廊下が見えていたが、人が入ってくる様子はない。再び訪れる無音の間、群がる虫たちは再生中ずっと薄い緑色の膜に覆われた画面の中で戯れている。それ以外に動きのある物はない。

ドアが開いて15秒後、覗き込むように顔を出した女がこちらを見た。その瞬間、映像が途切れた。


視聴室の中でささやかな衣擦れの音が鳴った。普段なら何の感情も持たない音だったが、それが現実に戻してくれる音のように思えた。


「蓮口さん」


 富杉がゆったりとした口調で呼びかける。


「はい」


「もう一度戻して下さいますか? あの女性が見える直前まで。女性が映っているところで止めて下さい」


「分かりました」


蓮口は言われた通りの操作をする。リモコンを前に向け、画面を見ながらボタンを押していく。

プロジェクターの画面がドアが開いた瞬間まで戻り、再生される。女性が見えた瞬間、一時停止のマークが表示されて映像が止まる。

蓮口と楠木は富杉にこれでどうするのかと問いかけるかのように顔を向ける。富杉はジッと鋭い眼光で画面を見つめていた。視聴室にいた者が一様に富杉の言葉を待った。


富杉は画面から視線を逸らし、俯いて息をついた。額の端に手を添え、目を瞑る。眉間に皺を寄せ、固まってしまう。和室の空間で静かになっていくのは、怖い動画を観た後では恐怖を助長していた。ここで恐怖を紛らわせる言葉を発するのは状況が悪い。

富杉は何かを真剣に考えている。それが重要なことであればことさら邪魔はできない。霊視という摩訶不思議なものだったとしても、バーで不可解な罵声を浴びたことや先輩の変死が起きている以上、科学的な物じゃなかろうが助かるならどうでもいいと思えてくる。


 富杉は微かに下げていた顔を上げて、ゆっくり瞼を開く。何かに憑りつかれたように画面に顔が向き、口が楕円に開かれる。


「彼女は愛されたかった。真実の愛を、彼に委ねていた。やっと、本当に自分を大切にしてくれた人が現れたと強く思っていたから、彼の裏切りが許せなかった」


とても失礼かもしれないが、富杉の目は異常だと思った。彼女が、あの山荘の元家主である男に殺された女であることはなんとなく察するも、富杉の語りに割り込んで質問をする余裕もないほど、2人は困惑しながら耳を傾ける。


「だけど、もう一度、あの人を信じてみようと思った」


富杉は立ち上がり、画面の中で映っているドアから覗く女性に視線を注ぐ。


「きっと自分のことを選んでくれると信じ、確かめるように彼を追い続けた。どこへ行こうと、優しかった、自分だけを見てくれる彼はちゃんと戻ってくれると思っ

た」


富杉の語りは段々情緒的な色が増していく。


「でも、その願いは叶わなかった。彼女は、失意の中、亡くなった。恨みを残し、叶わなかった願いと、消えぬ悲しみが彼女を怨霊とさせ、新しい生活が始まるはずだったあの山荘に棲み付いた」


富杉は振り向いて、真顔だった表情から、横で戸惑いを見せる楠木と蓮口に薄く微笑みかけた。


「彼女をおびき出す方法を考えました。お時間をいただけますか?」


「私たちがおとりになるんじゃ……」


 楠木は神妙な表情で聞く。


「ええ、ですがそれはあなた方が危険を伴うものでした。今回の動画により、彼女の想いが伝わってきましたので、あなた方がもっと安全な方法でおびき出す方法を考えるに至りました」


「それはどういう……」


蓮口は希望を見い出したかのように目を瞠る。


「当日にお話しします。2日後に、ここに来ていただけますか? 都合が悪い

ようでしたら、追って連絡して下されば、調整致します」


蓮口と楠木は一度顔を見合わせ、「分かりました」と楠木が呑む。


「では、2日後に」


富杉は美しい礼をすると、すり足で視聴室を出て行った。

楠木は口数少なく「帰ろう」と言い、帰る支度をし始める。呪いの動画の入ったパソコンを各機器から外す。蓮口はパソコンを持って動作を止める。閉じた自分のノートパソコンを不安げに見つめる。


これを持って帰るのも嫌になってきていた。自宅でも必ず閉じた状態で鞄の中に入ったままになっている。いつまでこの状況が続くのか、先の見えない日々をうとましく思い、何もできないことに憂う。無理やり気持ちを切り替え、負の思考を頭から取り去って、蓮口はノートパソコンを鞄にしまう。

付き添ってくれていた巫女たちに挨拶をして、2人は視聴室を出て行った。

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