大学生集団失踪事件の真実8              作成日時 2136年11月05日16:08

 鳥山は活気づいている古き良き路地を歩いていた。安価な飲食店や遊戯施設などが極彩色の光を放って誘っている。煌びやかな路地を意気揚々と練り歩く人々は、熱帯夜を口実に冷たいビールでも飲むのだろう。

鳥山はそんな烏合の衆の陽気さなど寄せ付けることなく、お店がひしめき合う裏通りに入る。一本道に雑然と置かれたビールケースや廃材、捨てられた煙草の吸殻。くすんだ壁に落書きや店の通気口から出てくる油っぽい匂いに自然と眉間の皺が寄った。人が行き交う本道とは違って陰気な雰囲気が漂っている。


鳥山はゆっくりと歩きながら周りに視線を散らす。すると、左に伸びた細道が見えた。鳥山は迷うことなく左に曲がる。

一段と狭くなった通路の地面にこけが所々に生えている。その通りを抜けると、ほとんどが更地になっている場所に出てきた。敷地の境界にバリケードが張られ、中に建設途中の建物が見える。

新しく舗装されたアスファルトを歩いて行くと、道の端にポツリと電光看板が立っている。電光看板の隣には下りる階段があり、ゆとりのある幅の階段の両壁に飾られたレトロ調のランプとつるが絡まり合いながら、奥に見えるドアまで続いている。木製のドアはどことなくあの山荘のドアに似ている気がした。


 鳥山はドアを開けた。店の中は賑やかで騒がしくも聞こえる。四角形のカウンターの中では、赤いバンダナを巻いた店員たちが煙に呑まれながら忙しそうに手を動かしている。

若い女性店員が鳥山に「お1人様ですか?」と声をかけてきた。


「楠木で予約してる」


「楠木様ですね。お待ちしておりました。奥の三のお部屋となっております」


お店の両サイドには二段の段差を越えて襖が並んでいる。太い柱を境界にして、漢数字で番号が振られているようだ。鳥山は店の左手に進み、三の部屋の襖を開けた。座敷で対面して座る蓮口はすぐちと楠木の顔が鳥山に向いた。


「お疲れ様です」


「お疲れ様です」


「おう、お疲れ」


 鳥山は傷み気味の革靴を脱いで靴を揃え、楠木の隣に座ろうとすると、楠木が「こちらに座って下さい」と奥に座るように促す。


「じゃあ」


鳥山は遠慮なく楠木の後ろを通って、楠木が空けてくれた奥の席に座った。


「まだ頼んでないのか」


「はい。とりあえずビールでいいですよね」


若い刑事の蓮口は少し楽しそうに見える。


「ああ、そうだな。鳥山さんもビールでいいですか?」


「うん。それでいいよ」


鳥山はメニュー表を取り、お酒のお供は何にしようかと考え始める。

すると、店員が襖を開けて鳥山のお冷を持ってきた。それを機に、楠木が事前に決めていたメニューを注文し出す。鳥山も適当に決めたメニューを注文していく。しかし、全体的な注文数は大して多くなかった。あくまでもここに来たのは事件の容疑者だった男のメッセージ動画を観るため。

店員が部屋を出ると、鳥山がおもむろに口を開いた。


「しかし、まさかこんなところに居酒屋があるとはな」


「知る人ぞ知るお店なんですよ。ここは」


楠木はどこか自慢げに言う。


「僕はてっきり楠木さんの家に行くことになるのかと思ってました」


蓮口は期待していたような口調で語る。


「あんな動画、子供や妻のいる家で見られるわけないだろ」


「まあ、そうですね」


「話は蓮口からメールで聞いたが、厄介だな」


「ええ。でも、動画はあと2つありますし、まだ断定はできませんけど、念のため内密にと思いまして」


「もしそうだったとしたら、責任は俺にある」


重い口が静かに零す。その瞬間、張り詰めたような空気が流れた。

すると、いいタイミングで店員が入ってきた。ビールを持った店員が長方形のテーブルにビールを置いて行く。


「ただ、今のところ報道機関にこの件が漏れている様子はないですね」


「そうか」


「動画は全ての料理が出てから観ましょうか」


「そうですね」


楠木がビールジョッキを持つと、2人も同じようにビールを持って構え、グラスをぶつけて乾杯の音を鳴らした。




 店員が料理を置いて、片方を斜めに切ったような短い筒の中に伝票を入れて立ち去った。2人の酔いが回らないうちにと思い、楠木は蓮口に「そろそろ観ようか」と切り出す。

蓮口が鞄からノートパソコンを取り出してテーブルに視線を向けた時には、鳥山がパソコンを置く場所を取ってくれていた。蓮口はお礼を言い、ノートパソコンを置く。楠木は襖を閉める。蓮口はノートパソコンを操作し、動画をいつでも再生できるように準備した。蓮口は2人の先輩刑事に片耳用のワイヤレスイヤホンを渡す。楠木と鳥山は片耳に装着する。

「いいぞ」と楠木が言うと、蓮口は「再生します」と静かに言ってクリックした。


 窓を透過して部屋に差し込む光は、前回の動画と同じ、『hunch』の部屋を映してくれている。部屋の中の様子が分かりやすくなっているはずなのだが、肝心の動画の様子がおかしい。以前の動画に比べて画素数が落ちている感じがした。粗目の白い砂糖の粒ような物が、画面の周りに表れては消えてを繰り返している。

蓮口は「カメラを代えたんですかね?」と2人に問いかける。2人は沈黙してしまう。蓮口の言葉をあえて無視しているような素振りではなかった。蓮口もそれを感じていた。

動画は以前と比べて不気味さを増している。


画面は左にベッドが見切れており、湖と岩肌がむき出しになった山を配置して、ひと際存在感を示す赤い月が描かれた風景画が、画面の中央に見えている。静寂と不穏が織り交ざった絵は、忌まわしき事件を予知していたのかもしれないと思わせるほど、心をざわつかせるものがあった。

忌まわしき事件のことなど知らなければ、この山荘も良く見えるくらい豪勢な物のはずだと、容易に感じられる。


「××警察署のみなさん、こんにちは。そろそろ時は近いようです」


 越本の声も少し籠っているように感じた。


「ですが、真実は時として僕らの想像を超えるのです。では、始めましょう。

僕はこの部屋で、火野翔馬、三嶌璃菜、宮橋和徳とこの山荘で起こった事件の犯人を考えていました。すると、宮橋は唐突に安西美織を名指ししました。

僕らは宮橋の口から出た言葉を疑いました。安西美織がここまでする理由が分からなかったのです。宮橋和徳と同じ経済学部に所属する安西美織は、成績優秀で優しい人柄であることは知っていました。

先生からも一目を置かれる存在で、僕らの中では一番頭が良いと言っても過言ではありません。そんな安西美織が、こんな陳腐な殺人をするとは到底思えなかったんです」


「××大学では本当に優秀だったようですね。彼女の書いた小論文は、当時の経済界でちょっとした話題になって、ビジネス雑誌で特集を組まれています。経済界の次世代のホープ」


楠木はクリアファイルに入れているモノクロの紙を見ながら捕捉する。


「大学も彼女の成果を最大限に生かそうと、入学者呼び込みのために広告塔に使っていたみたいですね。教授の秘書みたいなこともやっていて、2136年の4月にイタリアの××大学に1年間の留学を控えていましたが……」


「失踪してしまった」


 蓮口は画面に視線を向けたままテーブルに肘をついて呟く。


「僕と三嶌は反論しました。まず、安西美織が白川琴葉を殺すことは不可能だという点です。安西美織は僕らと同じくリビングで寝ていました。宮橋はすぐさま僕の意見を指摘しました。僕らも寝ていたし、本当に安西美織が寝ていたかどうかは分からない。現に火野翔馬と白川琴葉が2階に上がったことすら気づかなかった。

僕は言い返せませんでした。僕らは呑気に爆睡してしまい、白川琴葉に危険が差し迫っていることにも気づけなかったんです。

火野は複雑な表情で『お前もだろ』と口をつきました。そう、僕らは本当にずっと寝ていたのか、誰にも分からなかったんです。

宮橋はちょっと辛そうな様子でそれを認めました。でも宮橋は現実と立ち向かうようにみんなに問いかけました。『昨日の晩、眠くなる時、いつもと違ってなかったか』と。

僕と三嶌は黙って考えてみました。言われてみれば異様な眠気だったように思いました。段々体に力が入らなくなるような、意識を失うといった方が正確な感じがしました。三嶌も同じような感覚を持っていたようでした。

すると、確信したように宮橋は言ったのです。睡眠薬を盛られたんじゃないかと」


捜査資料には、割れたグラスの破片から微量ながら睡眠薬の成分が検出されたとの記載がある。越本薫の自宅を家宅捜索したところ、同じ成分の睡眠薬がヘアスプレーに見せかけた偽造缶から見つかっている。


「確かに似たような感覚がありました。刑事さんたちがご存知の通り、僕は睡眠薬を服用していました。不眠に悩まされていた僕には、睡眠薬が欠かせませんでした。僕は睡眠薬を飲み過ぎてしまい、強い睡眠薬でなければ眠れなくなっていたのです。言わば薬中です。

医師でなければ処置できない強い睡眠薬を手に入れ、常用していました。どうやらそれも僕が犯人である決め手になったようですね」


 ふふっと笑い声が聞こえた。越本の笑った声が聞こえた瞬間、画面にノイズが走る。画面が点滅し出す。蓮口は自分のノートパソコンに異常がないか確認しようと、動画の再生時間に目を向ける。一定の間隔で時間が進んでいると分かり、動画のせいだなと納得する。

その間、楠木は画面のある一点に注目していた。点滅する画面の絵の中の赤い月が、点滅していく度にどんどん大きくなっている気がした。鳥山は「よく作ったな」と皮肉を漏らす。加工の可能性をいつの間にか忘れていた楠木は、我に返って前のめりになった体を戻す。


「僕は少しだけ宮橋の意見に傾いていましたが、睡眠薬を盛ったのが安西美織かどうかは断定できないことに変わりありません。そして、もう一つ疑問があります。山荘から井戸まで運べるのかどうかです」


点滅は未だに続いている。音声に乱れはないが、赤い月は湖面に浮かんでいた月とくっついてしまう。


「遺体を井戸まで運び、井戸に遺体を入れることができるのか、意識のない人を持ち上げるのは相当力がいると、聞いたことがあります。

やろうと思えばできないことはないと、宮橋は言い切りました。例えば井戸に遺体を乗せたソリをくっつけるようにして、積もっていた雪をソリの後ろの下に集めて傾きを作る。後は反動をつけて放ればいい。悔しいけど、それなら可能かもしれないと思いました。

三嶌は宮橋の意見に食い下がりました。山口春陽の殺害も安西み、みみみみみみみみみみみみみみみみみ……」


すると、遂に音声もおかしくなった。画面も止まっている。数秒その状態が続くと、画面は暗くなり、音声もなくなった。動画時間はまだあるようだが、ずっと暗いまま。一応食べながら待ってみたが、何事もなく、動画は終わってしまった。

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