カクレンボ

 安西は越本と同じように実体を持っているようだが、後ろにいる越本や楠木に反応しない。


「大丈夫です。僕の見てきた過去があなたに見えているだけですから」


楠木は耳を疑い、強張った顔を向ける。


「どういうことだ?」


「ここはあなたの夢の中ですよ? 何が見えてもおかしくないでしょ」


越本の口ぶりでは、この山荘で起こった事件が再現されている。今ここに見えている安西は、楠木と越本の姿が見えないらしい。


「何がいけなかったの」


安西は囁くように呟く。


「ずっと愛してるって、言ってくれたのに」


安西は右手に持った鉄の火かき棒を振り上げ、床に叩きつける。


「何で?」


また大きく振り上げ、床を叩いた。再現というレベルじゃないと思うほど、リアルな音が響いた。板には真っ直ぐ亀裂が入っている。


「何で? 何で? 何で? 何で? 何で!?」


 安西は段々声を張り上げた。

安西は越本たちと『sensibility』で日記を見つけ、それを見ていたが突然いなくなり、探したらここ、『spirit』にいた。

何を言っているのか分からず、楠木が戸惑っていると、越本が口を開く。


「安西はこのように火かき棒を振り回しながら叫んだんです。僕らには、安西らしからぬ様子に見えました。すると、安西は立ち上がって振り返りました」


越本の言葉通りに、安西は立ち上がって振り返って見せた。


「僕らは思わず後ずさりました。安西が赤い瞳で涙を流していたからです。赤い涙は頬を伝い、2つの赤い筋を作っていました」


安西はベッドの側を回り、驚いて固まっている楠木を見据えて近づいていく。安西の手にはしっかりと鉄の火かき棒が引きずられている。楠木は少し下がってスーツの内側に手を入れる。その手が拳銃を握って、安西の動きに注視する。


「あの女さえいなくなれば、私があの人と一緒になるはずだった」


 楠木の腕が強く掴まれた。越本は振り向いた楠木の目を冷たく見つめ返す。拳銃を出そうとしていた楠木の手は越本に押さえられ、動かなくなっていた。


「大丈夫ですよ」


越本の声はあまりにも感情がなかった。ここで殺される。楠木はそう思ったが、越本の手は力強く、解けるとは思えない。体はなぜか金縛りにあったように自由が利かず、動けなくなっていた。


「……殺してやる」


安西の目がはっきりと楠木に向けられている。


「佑助さんを奪った、あの女を殺してやる!」


安西は楠木の前で火かき棒を振り上げた。楠木は目を閉じた。あおがれた火かき棒によって、風が楠木の体へ当てられた。だが、どこにも痛みがない。


 ゆっくり目を開けると、安西が消えていた。それを認識したのと同時に、動かなくなっていた体が自由になった。周りを見渡しても安西の姿はない。楠木はとりあえず助かったようだと安堵する。


「安西は、僕らに向かって火かき棒を振り回し始めたんです。殺してやると言いながら。僕らはすぐに部屋を飛び出しました。

おそらく、安西は島川彩希に体を乗っ取られたんでしょう。ですが、島川彩希の霊を体から取り除く方法など、僕らに思いつくはずもありません。僕らは逃げ出すことしかできなかったんです。

僕らはドアが少し開いていた『indebt』に逃げ込みました。ドアに鍵をかけましたが、安西は火かき棒でドアを殴り、強引に開けようとしてきました。

僕は白川を部屋の奥へ誘導しました。このままじゃ僕らは安西に殺される。ドアも大して頑丈じゃないと思った宮橋は、椅子や机を重ねてドアの前に置きました。しかし、ドアを塞ぐにはどれも頼りのない軽い物でした。対抗する武器は壁に飾ってある絵画を盾にするしかない。ドアに穴が空き、死が差し迫っていました。ドアが軋む音を立てて、どんどん穴が大きくなっていきます。

僕と宮橋はどうしようかと部屋の中を見回してみますが、物がほとんどない部屋には、この状況を打開できる物はありません。唯一、残されている手段があるとするなら、強行突破しかない。僕と宮橋は焦りの中で無謀な手段しか思いつきませんでした」


 越本はずっと立ちっぱなしだった楠木に手を差し出して椅子に座るように促す。楠木は、越本の顔を見ながら何か企んではいないかと疑いの眼差しを向ける。

越本は微かな笑みを見せて、「どうぞ」と言う。楠木は力の抜けた足を休めたいと思っていたのもあり、越本が座っていた椅子に腰掛けた。


「ですが、宮橋は何を思ったのか1人でやると言い出したのです。僕は真意を尋ねました。宮橋はおとりとなり、自分が安西の注意をひくよう仕向けると言ったんです。

僕と白川はベッドの下に隠れ、宮橋が安西の注意をひいている隙を見て逃げ出せとのことでした。しかし、この部屋で隠れられる場所はベッドの下くらい。僕ら3人が部屋に入ったことを知っているなら、すぐにここを調べられてしまいます。でも、宮橋は大丈夫だからと言い切ったんです。

僕らに時間の猶予はありません。仕方なく、僕と白川は宮橋の言うようにベッドの下に入りました。宮橋はベッドの下の隙間が隠れるように毛布を垂らしました。

僕と白川は息を潜め、その時を待ちました」


 越本はまろやかなテイストで描かれた絵画の横に立ち、壁にもたれる。濃霧が立ち込めた大きな橋の上を走る道路を背景に、車も通らない夜の道路の真ん中を歩く男性がいる。顔は濃霧のせいで見えなくなっている。不気味な絵画はこの山荘にちらほらあるが、とても島川彩希の趣味とは思えない。

高橋佑助の女癖と同様に絵画の趣味も悪いらしいなどと、楠木は汚らわしい絵画に嫌悪する。


「僕と白川は激しい物音を聞きました。毛布に隠され見えないようになっていましたが、僕にはドアの前に積み上げられた物が崩れていくのが容易に想像できました。

すると、安西の叫ぶ声が聞こえたんです。僕と白川は気づかれぬよう息を止めていたと思います。それから激しくぶつけ合う音が立て続けに鳴りました。安西と宮橋の声もその音に混じって聞こえていました。

物々しい小競り合いが耳に入り、振動が部屋の床全面に行き渡って、床に這いつくばる僕らの体へ伝います。僕と白川はどちらからともなく手を握っていました。それでも恐怖が消えることはありません。宮橋が安西に意識を取り戻すように呼びかけているものの、鳴り止まない衝突音と激しい息づかいが争いを物語っていました。

すると、ベッドがガタっと動いたんです。その後、誰かが部屋を出ていく足音が遠ざかっていきました。僕は見つからないようにと願っていました。

毛布の隙間から足が見えました。それが安西の足だったことを確認した時、僕の顔の横で火かき棒が床に叩きつけられたんです。安西の足はベッドから離れ、ゆっくりと足音と共に消えていったんです」


 今まで山荘の事件に関わった人々は、霊体らしき物しか見てこなかった。だが、安西は突然自分の側に現れ、殺そうとした。自分が殺されるという場に出くわしたせいか、体が熱くなってきていた。全身の毛穴が開き、息を吸う。

さっきまでいた部屋で聞いた物音と女性の声は、もしかしたら再現の序章だったのかもしれない。

不安に駆られた体は様々な反応を示す。特に顔だ。顔が痒い。顔の皮膚から頭、自分の頭部を覆っている皮膚を全て代えたくなるほどに痒い。楠木は顔を洗うかのように上から下へと両手で顔を擦る。

越本は楠木の動揺っぷりにほくそ笑み、話を続ける。


「音が消えて数分が経ちました。僕はベッドの下まで垂れていた毛布を少し上げ、部屋の様子を窺いました。そこに人はいないようでした。しかし、部屋の中は木片が散乱し、壁は傷や穴が見受けられたのです。ドアは開けっぱなしになっていました」


 楠木は痒みを堪え、腕組みをして越本の話に集中しようとする。掻きたい衝動の代わりに脚が勝手に貧乏ゆすりを始めた。


「僕は白川に出てきても大丈夫だと言い、ベッドの下から抜けました。

僕と白川は部屋を出ました。廊下も静けさがあり、宮橋と安西がどこにいるのかわかりません。僕と白川はとりあえず宮橋と安西を探しに1階へ向かうことにしました。

できるだけ足音を立てぬよう慎重に歩を進めていきます。もしかしたら、島川彩希の霊に乗っ取られた安西が待ち伏せている可能性もあります。僕らは廊下の真ん中を歩き、階段へ辿り着きました。僕は先頭に立って、白川を誘導します。1階の踊り場に立ち、1階の様子が見えました。そして、僕の目に入ってきたのは、床に倒れた安西美織でした。

そのすぐ側で、安西を見下ろしている宮橋が僕らに気づいて視線を上げました。宮橋の目は殺気立っていた。僕はまさかと思い、すぐに足が動かったんです。

宮橋は、『今なら大丈夫だ。気を失わせた』と息を荒くして言いました。僕と白川は警戒しつつ、2人に近づきました。安西は目を閉じて横たわっています。外傷はないようでした。宮橋の言っていることが本当だと知り、僕はようやく安堵しました。

白川は安西に声をかけていました。宮橋は、転がっていた火かき棒を持って、僕に『これどうする?』と問いかけてきました。外に捨てようと僕は応え、ベランダの窓を開けました。

緑の匂いと共に朝の冷たい空気が入ってきましたが、そんな爽やかな朝を感じることより、早くここから出たいと、みんな思っていた。宮橋はその想いをぶつけるように、助走をつけて火かき棒を投げました。火かき棒は回転しながら落葉樹林の中に消えていきました。その時、僕は微かな希望を見たんです」


 さっきまでテンポよく話していた越本の声が止まる。楠木はどうしたんだと思って落としていた視線を上げた。越本がいない。部屋の中を見回すが、越本の姿はどこにもなかった。


「越本!」


楠木の声に返す人はいない。楠木はもうすぐ今日の動画ゆめが終わると思った。また嫌な物を見なければならないのかと辟易へきえきする。楠木は何が来てもいいように心の準備をするも、何か起こるわけでもない。暗い窓にも、何か映っていることもない。無音だけが支配する部屋で、楠木は何をしたらいいのかと困惑する。

部屋を照らすランプの光が異様な音を立てて弱くなったり強くなったりする。楠木は注意深く部屋の中を見回す。すると、ドアが開いた。廊下には誰もいない。部屋を出ろと言わんばかりの現象に従うことしかできない。楠木は『spirit』を出た。

右には書庫の扉が見える。他の宿泊部屋とは違い、ドアは少し黒ずんだ色をしている。書庫の扉に目を奪われていると、『spirit』の隣の部屋が少しだけ開いた。


 楠木は重く息を零し、隣の部屋の前に立つ。ドアノブを握り、一度部屋の名前を見る。表札には、『angel 11』とある。突然数字が入っている。後ろのドアには『sensibility』の表札。100年経って変わったわけじゃない。つまり、初めて見る部屋ということ。なぜ数字が入るのか。そんな疑問よりも、ここに導いた者は誰で、この部屋に何があるのか。それがこの山荘で起きた事件と、呪いを解く鍵に関係があるのか。そう思えてならない。楠木は扉を押そうとした。

その時、両目に何か入ってきた。楠木は思わず後ろに下がり、両目を押さえる。熱い液体が目の中に入ってきたのだ。楠木は悶え、背中を壁にぶつける。激しい熱さが痛みに変わる。楠木は目を細めながら、急いで1階へ向かおうとする。狭い視界は驚くほど変わっていた。全てが赤く染まっている。物体の輪郭はグラデーションで認識できるくらい。だが、その違いはあまりに細かく、判断には時間を要する。

目を焼くような痛みに耐えながら歩くも、体を起こして歩くことができない。極端に前傾姿勢になった楠木は腰を曲げ、壁伝いに廊下を進む。

目に空気が当たるだけで痛いと感じる。そのため、反射的に目を瞑ってしまう。だが、普段目を開けて歩いている人が目を瞑って歩く勇気などなかった。

息を切らし、階段までやってきた。手すりを掴み、一段ずつ慎重に下りようとする。すると、後ろで笑い声が聞こえた。楠木は振り向いたが、ぼやけた視界に見えた微笑を捉えた瞬間、後ろから押された。視界がグルグル回り、体に激しく打ちつける。赤い視界の横にある壁に彫られた薔薇の絵が入ってきた。真っ赤な薔薇。フォーカスが安定しない視界はゆっくりと暗転した。

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