閑話 ステラ、一流の錬金術師に師事すること
ハロー、魔女の楽園にいるはずのお母さん。
あなたの愛娘、ステラよ。
なんだかわからないうちに家を飛び出して、なんだかわからないうちにこんなところまで来ちゃったわ。
それもこれも、ぜんぶヘルメスっていう詐欺師が悪いのよ。
あいつ、ほんとうにダメ人間なの。
でも、いきなり離ればなれになっちゃったら……その、すこしだけ思うところが、あったわ。
あの日。
ヘルメスが、ジルさんに負けたあの日から。
あたしは、ジルさんのところで錬金術師の勉強をさせてもらっているの。
錬金術と、錬金術にまつわるいろいろ……医学とか、薬学とか、そういう勉強ね。
というのも、ヘルメスが三ヶ月間、この街で労働に従事することになってしまったからなの。
ジルさんはこの街の領主さまお抱えの錬金術師で、とても権威がある人らしいわ。
その人が、ヘルメスに罰則を科したわけ。
まあ、あんだけ好き勝手やってれば、ヘルメスに関しちゃ自業自得だと思うわ。
逆に、あのよれたおっさんが、毎日荷袋を担いでひーこらいってるのだと思うと、 ざまぁ見ろという思いもある。
それで、あたしは行く宛てがなくて困ってたら、ジルさんが家に招待してくれたのよ。やっぱり男は外見によると思うわ。
そういうわけだから、結構楽しくやっているの。
あいつの荷物と、ホムホムちゃんを管理しなきゃいけないのは、ちょっと面倒だけどね。
さあ、今日もジルさんと錬金術の勉強だ。
「それじゃあ、ミス・ステラ。まずは火の元素を取り出してみよう」
「わかったわ」
結構かっこいい顔立ちのジルさんは、おもむろに頷いて、フラスコの中に小さな金属の欠片を放り込んだ。
すると、それはぶくぶく泡立ち始める。
彼はそこに、マッチの火を近づけた。
ポン!
と軽い音がして、フラスコのふちに水滴がついた。
「これが、火の元素から水の元素を生む方法だ。地に属する金属から気、火を介して気から水になる。この気──つまり霧が、水なんだよ。さて、錬金術は真理の御業だ。なんだってできる。でもそう簡単に、火や水を生み出すことはできなくて、手順を踏む必要があるのだけど──」
あたしはそこで、あれ? と、首を傾げた。
簡単にはできないって、ヘルメスはすごく容易く、水も炎も、風も生み出していた。鉄も、銀も、金だってそうだ。
それに、ジルさんだって風を自在に操っていた。
「魔剣のことかな? 彼には大盤振る舞いしたけれど、じつはあの魔剣、作るのに時間がかかるんだ。ナズトリアさまが資材だけは融通してくださるから、困らないけれどね。代わりに、治安維持に協力している」
「うちのヘルメスがご面倒を……」
「いやいや! おかげで君とも知り合えたからね! さあ、君もやってみようか?」
そういってにっこり笑うジルさん。
ヘルメスの胡散臭い笑い方とは大違いである。
あたしは、ため息を一つついて、詠唱をはじめる。
「それなるは炎、水、雨、かがり火、鉄火。明日の夜空を照らし、大地を潤すそれ。契約の元、ステラが命じる。いでよ、天災と叡智を授けるモノ──ツァドギエル!」
刹那、空間を青白い光が疾走。
それは文字となり、図形となり、あたしも半分ぐらいしか理解できない魔法円を描いてみせた。
そしてその中から、ひょっこりと、角の生えた黒いのっぺらぼうが姿を現す。
いろいろできる便利な存在、ツァドギエルだ。
「じゃあ、ツァドギエル、とりあえず大雨と炎を空から降らせて──」
「ちょおおっとまったああああああああ!!!」
突然、ジルさんが大声を上げた。
彼は脂汗をかき、目を見開いている。
え、なに?
「悪魔!? これは悪魔だよね!? 君は悪魔を呼び出せるのかい!?」
「は? ええ、まあ、ふつうに」
「普通に、じゃないだろ! こんなものは僕にだって扱えない! それに、悪魔を呼び出せるのは、魔女だけで……」
あー、そういえば、言ってなかったかしら?
「あたし、魔女なの」
「────」
絶句するジルさん。
なぜかその日の勉強は、そこで終わってしまった。
§§
翌日、ジルさんの工房を訪ねることが許された。
錬金術師の工房っていうのは、すごく機密情報満載らしくって、領主さまですら立ち入ることができないらしい。
ラッキーと思いながら見物していると、なんだか巨大な装置を見つけた。
内部が三層ぐらいに区切られていて、大きさはあたしの身長ぐらい。
中には大きな哲学者の卵が収められていて……黒い液体がこぽこぽいっている。
「ああ、これはね〝アタノール〟という炉だ。水銀、赤鉄鉱、アンチモン、鉛、フォスフォフィライトの欠片……ともかく、そういったものたちを溶け合わせ、完成を待っている」
「なにを作っているの?」
「それはもちろん
彼は少し、声のトーンを上げ、目を輝かせながら言った。
「すべての錬金術師が、そこへの到達を目指している。黄金の錬成。魂の不死化。そんな真理に到達するための奇跡の結晶……それが賢者の石! 僕はね、それを二十年もかけて作っている!」
……?
賢者の石に、二十年?
「いや、これは僕だけの研究じゃない。僕の父、祖父、曾祖父……ずっと昔から、僕の一族が追い求めてきたものだ! おそらく僕の代でも、賢者の石には至らないだろう。でも必ず、僕の子孫が、僕の未来が、形をなしてみせるに違いないんだ!」
彼は子どものように無邪気に、熱弁をふるう。
まるで砂場でおもちゃをさがす子どものような表情。
あたしは、不思議に思って、訊ねた。
「えっと、ジルさん」
「なんだい、ステラさん」
「いままで、賢者の石を作ったことは?」
「いま作っている! いつか完成させる!」
「失敗したことは?」
「もちろん何度だってあるさ。錬金術は試行錯誤、スクラップ&ビルドだ!」
「その失敗作を、見せてもらうことは?」
あたしが訊ねると、彼は少しだけ躊躇った表情になって。
「……うん、君は大事な弟子だからね、いいとしよう」
いくつかの逡巡のあと、彼はそう言ってくれた。
弟子になった覚えはなかったし、奇妙に彼の目つきが熱を帯びていたことは引っかかったけれど、許可してくれたのは素直にありがたい。
彼は工房の奥へと一度引っ込み、そして、なにかをひどく厳重に収容した箱をもって、戻ってきた。
ものすごくたくさんの錠前で施錠された箱。
その中身は、さらに厳重に密封された哲学者の卵で。
フラスコの底には、小さな、小さな銀色の砂が、入っていた。
「これは?」
「偶然成功したものだよ。賢者の石さ」
「でも、白い」
「純度が足りないんだ。だけど、なんとね! これはほかの卑金属を銀に変えることができるんだ! すごくないかい?」
「…………」
あたしは、言葉を失った。
彼は、ジルさんは本気で──これぽっちの白い賢者の石が成功品だと思っているのだ。
あたしは思い出す。
あの詐欺師のことを。
基本的に、あいつはろくなことはしない。おまけに嘘つきだ。
でも、いまならわかる。その実力は本物だった。
いくつもの赤い、本物の賢者の石を浪費した。
巨大な白い賢者の石を簡単に作り出した。
あたしの魔法すら、たやすく消し去った。
「その、それでね、ステラさん。僕がこの工房を、特別に君だけに見せた理由なのだけど……その……もしよければ、君の魔法を僕に教えてほしいんだ」
ジルさんがなにかを言っている。
その表情は、照れているようでもあった。
「ナズトリアさまも若さでいえば申し分ないのだが、どうもペースが狂う。できれば僕主導で、子づくりとかしたい。そこで、魔女という真理に近いキミに……えっと……これからもずっと、後継者を作るためにも、僕と一緒の営みを──」
「ジルさん!」
「あ、ああ! なんだい?」
「ジルさんは、ホムンクルス、作れる?」
あたしが尋ねると、彼はひどく怪訝そうな表情になって。
「できるわけないだろ。あれは、物語の錬金術師が作るものだ」
「──っ」
あたしは、工房を飛び出した。
「ちょ、ステラさん!?」
ジルさんが引き留めようとするが、そんなことはどうでもいい。
走る。
走る。
あてがわれた自分の部屋まで。
扉をたたき破るようにして開き、あたしは、あいつの荷物へ手を突っ込んだ。
「ステラさん、いったいなにがあったんだい……?」
困惑した様子で追いついてきたジルさんに。
あたしは問答無用で、それを突き出した。
『おー、ひさしぶりだなスーちゃん! 寂しかったぞ! んー? この男前は誰だ? あ、思い出したぞ。この感じ、あのときの腕の立つ錬金術師だな?』
「────」
口を、パクパクと開閉させるジルさん。
そう、あたしが彼に突き付けたもの。
それは──ホムンクルスの、ホムホムちゃんだった。
§§
「……ああ、そうか。あの詐欺師は──いや、あのお方は──」
ヘルメスの荷物の中にあった、あの日、街の人々に売りつけようとしていた教科書に目を通したジルさんは、魂が抜けたようになっていた。
それから急に頭を抱え、呻くようにつぶやく。
「是非を、問わなくてはいけないな……」
そして翌日。
街からだいぶ離れた野原で、ジルさんは、ヘルメスと向き合っていた。
「いま一度、腕試しをさせてもらうぞ、詐欺師め!」
薄汚れて、よれよれになった詐欺師が。
あの胡散臭い様子で、ニヤッと笑うのを、あたしは見た。
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