第二十七錬成 竜の試練

『二度試練に臨み、二度選べ。これより三日後──この先の山間にある村が滅ぶ。その定められた滅びを覆すことができたのならば、汝を楽園へといざなわん』


 ドラゴンはそれだけを告げると、雲か霞かのように消え去った。

 蜃気楼という現象がある。

 まるでそうであったというかのように。


「────」


 ステラは、しばし呆然としていたが、


「……ッ、いくわよ、ヘルメス!」


 血相をかえると、速足で歩きだした。

 雪を踏みしめる彼女の横顔からは、途方もない焦燥がにじみだしていた。

 俺はそのあとを、のんびりとついていきながら、問いかける。


「行ってどうするんだ?」

「どうもこうも……さっきのがあたしだけが見た幻覚じゃないのなら、なんかあるってことでしょ?」

「そうだな、俺にも見えた」

「なおさらじゃない! その村の人たちに危険が迫っているのよ。ほっとけないわ!」

「……おまえはバカだねぇ」

「バカで結構! これに限ってはね!」

「おまえは、本当に世間知らずだ」

「ぐえ!?」


 その首根っこをひっつかみ、俺は無理やり彼女の歩みを止める。

 足を払い、雪の中に押し倒しながら、その耳元に顔を近づけて、問いかける。


「いまなら、まだ引き返せるぞ?」

「ヘルメス……? どうしたの、ちょっと、怖い……」

「魔女の楽園なんざ、目指さなくてもいい。まだ、なかったことにできる」

「いきなりなによ? というか、そんなこと口にしたら……!」


 俺は、彼女の上から飛びのいた。

 次の瞬間、左手の小指の付け根から、緑色の炎が爆発的に燃え上がる。

 俺の全身は、あっという間に火だるまになった。


「ヘルメス!? 魔女の契約の呪いよ! 早くさっきの言葉を撤回して!」


 なるほど、これがそうか。

 これまでは細心の注意を払っていたから回避できていたが、実際喰らってみると、言葉も出ないぐらいの激痛だ。

 熱く、冷たく、魂に突き刺さる呪い。

 やはり、彼女は一級の魔女。

 魔女の楽園に辿り着く資格を持った、最後の魔女だ。

 だからこそ──


「──嫌だね」


 俺は、彼女の言葉を否定する。


「なんで!? 死んじゃうよ! そのままじゃ死んじゃうよ! やだよ! 解除、契約を破棄しなきゃ……」


 できない。

 これは、不断の呪いだ。

 俺が彼女を楽園に連れていくまで、けっして解けることのないものだ。

 俺は懐から、真なる賢者の石を取り出し、可能な限り魔法を打ち消す。

 そうして呪いを弱めながら、なんとか彼女に問いの続きを投げる。


「まずひとつ。ドラゴンは真実を口にしたのか。本当にこの先に、村があるのか? ドラゴンとは古くから、人を騙す邪な幻想種だ」

「え?」

「ふたつ。村があったとして、そいつらはおまえに、助けを求めているのか?」

「それは……」

「みっつ。村を救う手段が、おまえにはあるのか?」

「…………」

「もし、そのことをなにも考えちゃいなかったっていうのなら、やっぱりおまえは大馬鹿者だ。考えなしだ、向こう見ずだ。なにがあるかわからない。その村は地獄かもしれない。おまえ自身に危険が迫るかもしれない。ステラ──ステラ・ベネディクトゥス。世間知らずの最後の魔女」


 おまえは──だとしても、その村を探すのか?


 俺の、そんな問いかけに。

 彼女は。


「当たり前でしょ!」


 まなじりを吊り上げ、正しい怒りに赤々と燃やしながら、決然とそう言い放った。


「だって、あたしは魔女の楽園に行きたい。お母さんに会いたい……なにより、あんたみたいな詐欺師と違って……誰かが困ってるのなら、見捨てられないもの!」


 その瞬間、俺の全身を焼き尽くしていた炎が霧散する。

 肌に火傷はない。

 ただ、魂がこれ以上もなく、疲弊を覚えていた。

 よろける。

 倒れそうになる俺を、誰かが支えた。


「……ヘルメス」


 少女だった。

 彼女は、瞳を赤く燃やしたまま。

 俺に、こう尋ねてきた。


「もし、あたしの手に負えなかったとしたら……あんたが、手伝ってくれる?」


 俺は即答する。


「それも嫌だね。だって、1シリングの得にもならない」

「対価があれば、どう?」

「なに?」

「錬金術の基礎は、等価交換なんでしょ? だったら、あたしが対価を用意する。それなら、いいでしょ?」

「言っとくが、俺は高いぞ? なにせ」

「超抜級の錬金術師、だからでしょ?」

「……それで、なにをくれる? 金か、宝石か、女か?」


 彼女は。

 まるで誰かのようにニヤッと笑ってみせると、こういった。


「あ?」

「あたしが、ひよこ豆のスープ作ってやるわよ。好きなんでしょ、ひよこ豆?」

「────」


 俺は、一瞬言葉を失って。

 そして、天を仰いで笑った。

 声も出せないぐらい、笑い続けた。

 目の奥の熱さも、痙攣する唇も、なにもかも無視して笑った。


 なるほど、なるほどそうか。

 ──


「確かにそれは……俺を動かすに足る対価だ。わかったよ、このわからずやめ」


 俺は、雪山へと視線を向ける。

 もう、いつもの自分に戻っていた。

 俺は、ステラに言う。


「だったら急ぐぞ、ステラ。たぶん、一秒の遅れが命取りだ」

「ええ、急ぎましょう」


 ドラゴンが去った空。

 頭上に垂れこめた暗雲。

 だけれど、そんなものを気にも留めずに。

 最後の魔女は、愚直に前へと歩み始めた。


§§


 数時間後、俺たちは確かに、山間の集落を発見した。

 だが、そこは──


 そこでは、五十人近い人々が、病床に倒れ伏し、いまもなお、のたうっている地獄だった。

 彼らの肌は、部分的に、黒色に変色していた。


 オルフォニア霊山。

 最後の秘境。

 神秘が色濃く残留する場所。

 忘れ去られたすべてが眠る土地。


 そこでは、かつて世界を滅ぼしかけた最悪の疫病──黒死病ペストが、猛威を振るっていたのだった。

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