第二十八錬成 魔女として、ひととして
「こ──こんな、ひどい……!?」
嵐の中、村落に辿り着いた俺たちが見たのは、文字通りの地獄だった。
高熱にうなされ、家の中で、家の外で、のたうち回る人々。
響く咳、まき散らされる吐血。
手足が腐り落ち、全身に黒い無数のあざを作り、いまにも死んでしまいそうな住民たち。
「黒死病──!」
「ちょ、きゃ!?」
思い至るなり、俺はとっさにステラの口元を覆った。
そして、暴れる彼女を押さえつけたまま、荷物の中からマスクを二つ取り出す。
鳥のくちばし状の突起が付いたマスク──ペストマスクだ。
くちばしの中には、迷信のようにハーブが押し込められているのではなく、濃度を下げた
「暴れるな、これを身につけないと、おまえもペストになるぞ!」
「……!」
強引にマスクをかぶせ、耳元で怒鳴るように告げると、彼女はようやくおとなしくなった。
だけれどそれは、恐怖や絶望に近い、虚脱状態だった。
「うう、ぅううう」
「たすけて……たすけ、て」
「死にたくな、死にたくないよぉ……」
「苦しい、熱い、寒い、恐ろしい」
阿鼻叫喚の苦痛と悲鳴。
それが、至る所から亡者の合唱のように響いてくるのだ。
「亡者って……生きてるわ。ヘルメス、この人たちはまだ、生きてる……!」
「そうだな」
だが、このままでは死ぬ。
「そんな……ペストなんて、あたし……どうすれば……ッ!?」
虚脱していたその矮躯が、電流に打たれたように跳ねる。
崩れ落ち、雪に膝をついていた彼女は、ゆっくりと立ち上がる。
そのまま、迷いのない足取りで、ステラは村の奥へと、踏み入っていく。
ペストを媒介するのは、ネズミやウサギだ。
その血を吸うノミだ。
俺は慌てて、ステラの全身に虫よけの薬液を吹き付けるが、彼女はそれすらも意に介さず、ずんずんと歩んでいく。
そして、ある家の前に来ると立ち止まり。
扉を開け、中へと入った。
そこまできて。
俺にもその声は──ようやく聞こえたのだった。
「……さん……おかあ……さん……おかあさん……」
「大丈夫、大丈夫だよ。ここに、いるからね?」
全身がむくみ、吐しゃ物を口からこぼす、幼い子ども。
その口元をぬぐい、抱きしめながら。
ステラは優しく、幼子の背中をなで続ける。
時代はすでに、革新の前夜である。
街に行けば蒸気機関が動き、夜の闇さえ駆逐され始めている。
そんな時代であるにもかかわらず、人々の迷信──恐怖という感情は色濃い。
まして、一度は世界を滅ぼしかけたペストである。
その患者に素手で触れ、抱きしめられる人間が、この時代にどれだけいるだろうか?
「ヘルメス」
その光景に見惚れる俺に、彼女は落ち着いた声音で告げる。
彼女の小さな手は、幼子の頬を、そっと撫でていた。
「あたし、ぜんぜん無力だ。この人たちを、どうしたら助けられるか、ちっともわからない」
「ああ……世の中のほとんどの奴が、そうだろうな」
「でも、助けたい」
それは。
「それは魔女の楽園に、行きたいからか?」
「そうよ。でも違う」
俺の問いかけに、ほとんど間を置かず、彼女は答えて見せた。
振り返るステラ。
星の輝きにも似た眼光が俺を射抜き、強い覚悟が宿った清廉にして廉潔な声音が、俺をまっすぐにとらえた。
「お願い、ヘルメス。あたしはとても無力だわ。だから……あんたの力を、借りたいの!」
「……これは、金には、ならない」
それに。
「それに、彼らを治療するための薬が──」
どうしたって、この天候で山を下りるのは無謀だ。
そして、どれほど急いでも、ペストの治療薬を通常の方法で作るのなら、数日は必要になる。
急性の患者は、発症から三日で死ぬ。
ふたりで看護できる人数でもない。
普通にやるのなら、絶対にこれは間に合うわけがなくて──
「つまり──材料と人員がいればよいのでございますね、お客様?」
響いてきた無機質な声音に、ハッとなって振り返る。
戸口の外、嵐のように雪が吹き付ける中に、そいつは平然と立って、俺たちを見つめていた。
「おまえは」
「ジーナさん!?」
「はい、当方はジーナ。家名なく、ただのジーナ。オートマタでございます。まさか、お忘れではありませんよね、ヘルメスさま?」
大荷物を背負った自動人形。
トリストニアのオートマタ。
ジーナが、鉄仮面じみた無表情で、そこに立っていたのだった。
「これでも当方は商売人──いえ、商売人形。おふたかたに必要なもの、用立てて見せましょう」
そのポンコツは。
まるで救世主のように、そう言ってのけたのだ。
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