第八章 魔女の楽園 ~最後の魔女が、選んだものは~
第二十九錬成 一つ目の試練と選択肢
そこからの作業は、夜を徹して行われた。
「数日前、この村の上を、巨大な影が飛びましたのじゃ……そのとき、雨のように空からネズミが降り注いで……次の日から村の者たちが、バタバタと倒れ始めたのですじゃ……」
村の長である人物から、かろうじて聞き取ることができた話によれば、どうやらそういうことらしい。
この病は突如蔓延したもので、その先触れとしてネズミが降ってきた。
おそらくはネズミを宿主とするノミが、ペストを媒介したのだ。
「大きな影って……あのドラゴンさんかな?」
「どうだろうな」
「この人たちを助けるために、あたしはどうすればいい、ヘルメス?」
真摯な表情で助力を求める少女に、俺は知恵を貸す。
そう、これは貸すだけだ。
いずれ返してもらう。
だから、タダ働きではない。
「燃やせ。家も、毛布も、服も、家具も。潜んでいるすべてのネズミと、すべてのノミを駆除するんだ」
「でもそんなことしたら、病気のみんなが休む場所がなくなっちゃうわ? 寒さをしのぐ毛布も必要よ!」
「その点はご心配いりません、ステラさま」
食って掛かるステラを押しとどめたのは、山のような荷物を荷解きしているジーナだった。
彼女は、なにやら大型の機械をバッグから取り出す。
「これはN&B総合研究所が開発した、新式の無線機です。こんなこともあろうかと、バーベスさまより拝借してまいりました。すでにふもとの村には連絡済み。数時間後には物資をもった決死隊がやってきます。ジャヴィール・ハイヤン工房オルフォニア霊山支店の、信頼が置けるものたちが、です。それに──」
言いながら、彼女は荷物の中身を示す。
「最低限の物資は、ここにもあります。毛布も、食料も、アルコールも。ですから、人員さえ集まれば、十分な看護を行えるでしょう」
「ついでに言えば、休む場所は俺がなんとかする」
風雪をしのぎ、暖をとる程度でよければ、錬成してやればいいのだ。
賢者の石を使えば、岩石から家屋を作ることぐらい容易い。
万物の変性こそ、賢者の石の真価なのだから。
「だからステラ、おまえは躊躇するな。突っ走るだけが、おまえの取り柄だろうが」
「その言い方はカチンとくるけど……でも、オーケー! 確かにお母さんも言ってたわ、なにごとも全力でやれって! だからあたしは、全力で厄介を焼き払う! 疫病の元を焼却する!」
「……まるで破壊神だな、おまえ」
「さあジーナさん、村の人たちを避難させましょ! あたしたちの笑顔で癒すのよ!」
「笑顔は、実装されておりませんが……」
元気よく明後日の方向を向くステラと、小さな声で首をかしげるジーナ。
二人は連れ立って患者たちを運び出しにかかる。
そのあいだに、俺は医療施設を錬成する。
賢者の石のちからで、岩盤を雪を、最小単位から再編成。
急ごしらえで
重要なのは、第一に断熱性、第二に換気が容易な建物であること。
同時に、俺は簡易的な工房の役割を、付与していく。
手持ちの賢者の石をすべて使いつぶす勢いで、俺は必要なものを片っ端から錬成していった。
内装を作り、病床、暖炉や研究用のフラスコなども同時に作成する。
ジーナの荷物だけでは足りないだろう衣料品も、同じように紡ぎあげる。
素材は綿や麻ではなく、合成線維にした。
『ご主人、あんまりこの時代にないものを作るのは感心しないぞ。あとで苦しむのは、いつもご主人だぞ?』
「知ってるさ」
『ご主人、マッチポンプという言葉を知ってるか? 自分で火をつけて、自分で火を消すのは、詐欺師にしても三流だぞ?』
「それでもだ。そしてホムホムちゃん、悪いが……フラスコは割る」
『……こればっかりは、仕方がないな。でも、気分がいいものじゃないのは、覚えておいてほしいぞ、ご主人』
ピコピコと手を振って見せるホムホムちゃんに、すまんと声をかけながら。
俺は、手にしていたフラスコを割った。
ホムホムちゃんの入ったフラスコ──ではない。
それは、ペストの特効薬を産み出す、微生物のフラスコだった。
ペストは、確かに恐ろしい病だ。
しかし、人類はいつか、それを克服する。
そのいつかを、少し早めたものがこれだ。
抗生物質。
アオカビから分離されるペニシリンが有名だが、これは放線菌の一種だ。
これも俺が産み出した、人工生命のひとつである。
この放線菌からは、ストレプトマイシンと呼ばれる──ことになる抗生物質を取り出すことができる。
フラスコの生命は、フラスコを割れば死ぬが、成分が消えるわけではない。
だから賢者の石を操って、周囲を
これは、俺にとっての禁忌だった。
人類史に著しく関与することを、俺はずっと嫌っていたのだから。
すでに十全に進歩していたトリストニアとは違う。
いまやっているのは、奇跡を起こすに近い介入行為だ。
過去に何度も、同じことをして俺が痛い目を見てきたことだ。だからホムホムちゃんは俺を案じてくれた。
だけれど。
それでも、あいつが望んだから──
「灰燼と帰せ、灰燼と帰せ、灰燼と帰せ──微に入り、細を穿ち──すべてを舐めとる舌となって、あまねく世界を焼き尽くせ紅蓮──
全力の魔力をもって放たれる、ステラ最大の魔法が、文字通り炎の舌となって、村のすべてを焼き尽くす。
ジーナがせっせと担ぎ込んでくる患者たちを横たえながら、目前に広がる光景に、俺は感動すら覚えていた。
魔法。
それはやはり、神秘の結晶なのだ。
ただの一発で、五十人規模の村を焼き尽くし、雪も、空を覆う暗雲も──そして病原菌さえも消し飛ばす。
これが、魔法なのだ。
人に寄り添って存在した、誰かを救う奇跡なのだ。
「ヘルメス! きっちり吹き飛ばしたわ! 次はどうすればいい? 次はなにを壊せばいい?」
「落ち着け」
「落ち着いてられないわよ、だってみんなが苦しんで──」
「どうどう」
「あたし、馬じゃない!」
ほれみろ、やっぱりこうなるじゃねーか。
俺は彼女の銀糸の髪を──その狐耳を優しくなでながら、
「ヘルメス、手つきがやらしい……」
「待て、いまからいいこと言うところだから。ちょっと空気読めよおまえ!」
えっと、なんだっけ?
あ、そうだ……
「焦るな、ステラ。おまえの選択が、彼らの命を左右するんだ」
「命を左右って……なにを選べっていうのよ?」
不安そうに顔を曇らせるステラ。
そんな聡い彼女に、俺は自分の悪性を自覚しながら問うた。
「男、女、子供、成人、老人──誰を優先して救う?」
極限の選択が、彼女へと突き付けられる──
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