第三十一錬成 魔女の楽園

 魔女とは、産まれ落ちた瞬間から真理につながった、奇跡の嬰児みどりごである。

 彼女たちは生まれながら、神秘そのものである魔法を行使できた。

 世界で誰よりも真理に近く。

 そしてもっとも真理から遠いものが、彼女たちだった。


 肉体は、俗世のしがらみそのものだ。

 肉体というかせが、おりこそが、彼女らをこの世に縛り付け、真理の探究者となることを拒む、最大の要因だったのだ。


「だから、魔女たちは求めた。肉の枷から解き放たれ、魂だけの存在になるための奇跡を。真理への道筋を」


 そして、たった一人の魔女が、福音としてそれをもたらした。


 無数に立ち並ぶのは、結晶で出来た樹木。

 それは、あるものは黄色に、あるものは若草色を呈しており、色取り取りで、美しく、綺麗だった。

 巨大な宝石を削り出せば、これと同じものができるだろうか。

 どこまでも、どこまでも高く伸びる樹木は。

 きっと世界の果てにまで届いているのだろう。


 そんな無数の結晶で形成された森林の中央に、寄り添うように生える、二本の樹木があった。


 ひとつは天高くそびえる大樹。

 もうひとつは、いまだ形を──人の形を残す小さな木。

 そのどちらもが白銀と、夜明けのような赤色が交じり合った結晶体によってできていた。

 蒼穹へと伸びる、背の高いほうの樹木へと歩み寄り、俺は万感の想いとともに、言葉をかける。


「何世紀ぶりだろうな……やっと見つけたぞ、初代ステラ・ベネディクトゥス……」


 背嚢を探り取り出したのは、ジーナから託されたものだった。

 年代物のヴィンテージアイスワイン。

 その封を切ると、俺は惜しげもなく、樹木へと振りかける。


「まえに飲まして貰ったやつは、バカみたいに美味かった。今度は、俺がご馳走する番だ」

「ちょ、ちょっと待って……ヘルメス、じゃあ、まさかこれは」


 ステラが──ステラが、驚愕に満ちた声で、問うてくる。

 俺は、一呼吸してから。

 頷いた。


「そうだ、こっちの背が高い樹木が、おまえの先祖……初代ステラ・ベネディクトゥス。そして、この小さいものが」

「おかあ、さん……?」


 呆然と、彼女はつぶやいた。

 そう、それこそが彼女の母親。

 第十二代ステラ・ベネディクトゥス。


『魔女の楽園とは』


 ドラゴンが、苦し気な声で言った。


『魔女たちが、何物にも害されることなく、真理を追究するために残された聖域である。初代ステラ・ベネディクトゥスがもたらした福音──真なる賢者の石によって、この楽園は形成され、そして魔女たちは代々、ここで肉の衣を棄て、樹木となり、真理に至るのだ』


 そう、それが魔女の楽園の正体だ。

 楽園は、初代が俺から奪った真なる賢者の石で作り上げたものだったのだ。


「おかげでよ、もう一回エメス・シナバルを作るのは、大変だったんだぞ? 世界中を旅して、ようやく最近完成したんだ。そのころには、魔女の楽園がどこにあるかわかんなくなっててよ。おまけにおまえ、なんか細工しただろ? 魔女がいないと、ここには入れなかった。だから……やっと今日、おまえのところに来れたんだ」


 彼女に恨みはない。

 悲しみもない。

 ただ、ほんの少しだけ、うらやましい。

 彼女たちは、俺とは別の形で死を超越し、もはや悩むこともなくなったのだから。


『さあ、導く者よ。片割れよ。最後の魔女に、二つ目の──最後の試練を』

「…………」

「うるせぇよ!」


 ドラゴンへと右手を伸ばす。

 すると、途端にその巨体が光の粒子となってほどけ、俺の全身へと吸収される。

 残ったのは、右手の平の上で拍動する黄金の結晶──最初のエメス・シナバル。

 そう、あの竜は俺の片割れ。黄金の瞳の、俺の片割れ。

 俺が初代ステラに真なる賢者の石エメス・シナバルそのものだったのだ。


「へる、めす……?」


 ステラが、まるで裏切り者を見るような顔で、俺を見上げる。

 やめろよ、俺は詐欺師なんだぞ?

 だますのが、仕事なんだ。


「ステラ」


 俺は、初めの真なる賢者の石を懐にしまって。

 この日のために作った、エメス・シナバルを取り出す。

 フォックスフェイスと呼ばれた夜から始まった、この奇妙な因縁に決着をつけるべく、俺は、その末孫へと問いかける。


「ステラ。最後の魔女であるおまえには、選ぶ義務がある」

「なにを……いったいなにを、あたしは選ばなきゃいけないの……?」


 目を閉じる。

 瞼の裏で錯綜するのは、この数か月間の出来事。

 それは騒がしく、バカバカしく、面倒で、だけれど──楽しかった。

 息を吐く。

 俺は、目を開く。


「ひとつは、おまえの先祖たちと同じように、真理へと至ること」

「身体を棄てて、この樹になるってこと?」

「そうだ。そしてもうひとつは──ここにあるすべてを破壊し、楽園を完成させること」

「それって」


 肯定する。

 魔女と呼ばれた彼女たちは、確かに真理に至った。

 だが、いまだその一部は、このように現世にとどまっている。

 俺と同じように、残ってしまっている。

 それを解放するのもまた、最後の魔女の役割なのだ。

 あの夜に、はじめのステラが決めたことなのだ。

 

「だがその場合、おまえは真理に至れない。魔女として、神秘の残滓として、この世を彷徨さまようことになる。たったひとり、孤独にな」

「…………」


 彼女の赤い瞳が、眼前の結晶樹を見上げた。

 自らの先祖と、自らの母親の、なれの果てを。

 その赤い瞳は、さらに周囲を見渡していく。

 天へと続く、無限の樹木。

 星霜のかなたまで届く、宝石の木々。


 風が吹く。

 強く、優しい、清らかな風が。

 それは彼女の銀糸の髪と、狐耳を揺らした。

 ピクリ、ピクリと揺れるその耳が、やがてピンと、まっすぐに伸ばされて。

 そして彼女は。


「決めたわ」


 迷うことなく、本当に一切の躊躇すらなく、俺の手から真なる賢者の石を受け取って。

 決然と、こう宣言したのだ。


「あたしは──!」


 第二の選択。そして、第二の試練。

 彼女はそれを、確かに選び、突破した。


 そして、俺たちは──

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