第七錬成 倍率ドン! さらに倍!

 物事には儲け時がある。

 儲け時というのがわかりにくければ、賭け時だ。


 同じスートのカードが二枚最初に配られたときのみ、それを二つにわけて、同時に二回、勝負をできるルールがある。

 これがスプリット。

 ただし、初めにかけた金額と同じ額を、追加レイズする必要がある。


 そしてダブルダウン。

 こちらはさらに、賭博の色が強い。

 掛け金を倍にして、ひと勝負につき一枚カードを引く。

 必ず一枚引かなくてはいけないし、それ以上は引けない。

 代わりに、掛け金の払い戻しペイバックは倍になる。


 最初の掛け金は一枚。

 スプリットで二枚。

 ダブルダウンで四枚。

 もし俺が勝利すれば、四枚の金貨×二で、八枚を取り戻せる。


 しかし、確実な勝利を投げ捨て、無謀な賭けに挑む俺は、じつに滑稽に映ったことだろう。

 というのも、ブラックジャックは、厳密には運というものがあまり作用しない。

 非常に数学的なゲームなのだ。

 絵札のほとんどが出てしまったこの局面で、更に絵札を引ける可能性は極微である。順当にいけば、俺の負けだ。


 そもそも、スプリットとダブルダウンを併用するという考えは存在しない。だが、吸血鬼はダメだとは言わなかった。

 代わりに、奴は笑ったのだ。


 


 俺も笑ったのだ。


 


 コツコツと、俺はテーブルを二度叩く。

 カードをよこせという合図。

 一枚ずつ、裏側で、カードが配られる。


 吸血鬼の咽喉が鳴った。

 その青白い肌に、わずかな汗が浮かんでいる。

 おいおい、背中がすすけているぜ、吸血鬼さんよ?

 俺は勢いよく、カードを表側にオープンした。


「ブラックジャック!」

「馬鹿な! ありえないいいい!?」


 悲鳴を上げる吸血鬼。

 それもそのはず。

 俺の場にあったのは、ハートのKとハートのA。

 そして、スペードのJとスペードのAだったのだ。

 真のブラックジャック!

 配当はさらに倍になる!


「それでは、賢い賢い吸血鬼ちゃん、簡単な算数の問題だ。一の倍、その倍、さらに倍、そして、その倍は──いくつでしょーか?」

「じゅ──十六倍ばい、ばい、ばい……!!!」


 そう、きっちり十六倍の十六枚! 

 俺はすべての金貨を、この手にしたわけである。

 あわあわと狼狽えているステラに、俺は金貨をよこすよう命令する。

 すると、なぜか吸血鬼がブチ切れた。


「なぜだぁ! その女は、その娘は確かに我が魅了のとりこだったはず! こんな場面で、貴様によい札が行くはずがない!」

「あ、やっぱりおまえ、ステラを操ってやがったな? どおりでカードが都合よくきやがると思った」

「貴様っ、貴様こそ、なにかイカサマをしたのだろう!」

「言いがかりはよせよ、見苦しい」

「カードの傷か? 傷でスートと数字を見分けたのか?」


 違う。


「この小娘が、おまえの協力者だったのか!?」


 違う。


「あのネックレスか!? あのネックレスになにか秘密が──」

「違う。あれには、おまえの魅了を解除する以上の意味合いはねーよ」


 なあ、吸血鬼。


「おまえは、単純に負けたのさ。いや……勝利の女神に、見放されたんだよ」

「きっさまあああ!!」

「きゃああ!?」


 突如、吸血鬼が激昂!

 その身体が煙へと変貌する。

 煙はあっという間に距離を詰め、ステラに絡みつくと、実体化。

 囚われの身となったステラを抱え、吸血鬼は賭博場のてっぺんへと飛翔する。


「む、むぐー! へるめ、ぐー!」

「生きては帰さぬぞ……貴様ら全員、みなごろしだぁぁ……」


 口を押さえられた魔女っ子と、その眼球を爛々と光らせる吸血鬼。

 はぁ……。

 これだからヒトデナシは。

 自分が不都合になると、すぐ暴力に訴える。


「ステラを返すなら、見逃してやる。いまのうちだぞー?」


 ステラには商品価値があるし、魔法が暴発して痛い目を見てもかなわない。

 加えていえば、契約不履行で呪いが降りかかる可能性もあるのだ。

 義理はないが理由はある。


「ふざけるな! この娘は食後のワインだ! そして貴様は、メインディッシュだあああ……!」


 吸血鬼の肉体が、さらに変異する。

 夥しい量のコウモリが溢れ出し、常軌を逸した量のムカデが俺へと躍りかかった。

 俺は。


「はぁ……」


 盛大にため息をつくとともに、腰から短剣を抜き放つ。


「示せ、第五元素の理を。エーテルより生まれ出たものは、すべてエーテルの理へと還れ!」


 掲げた短剣──錬金術の秘奥の壱──魔剣アゾットに膨大なエーテルが収束する。

 エーテルとは超常を可能にする元素、魔法と呼ばれるものの正体。

 この世に残る奇跡の残滓。

 アゾット剣の柄には、それらを制御する宝石が埋め込まれているものだ。

 例えば──成功作の賢者の石が!


「世界法則を破棄。条理を破却。現存するすべての物質よ、俺の認識のままに変成せよ!」

「口だけは達者な三流錬金術師が! 貴様ごときに我を害することなど──」

「金貨よ、猛毒に生まれなおせ。降りしきれ──水銀の礫よ!」


 俺は手に持っていた二十枚の金貨を、すべて空中に投げた。

 そのすべてを、魔剣で断ち切る。

 熱したナイフでチーズをそうするように。

 たやすく両断された金貨は、その輝きを、一瞬で黄金から白銀へと変える。

 白銀は溶け落ち、無数の礫となって蝙蝠とムカデに殺到した。

 すなわちは、水銀の雨である。


「ぎゃああああああああああああ!?」


 絶叫を上げる吸血鬼。

 すでに実験済みのことだが、吸血鬼が水銀に触れれば、銀と同様にその肌がただれ、再生しない。

 錬金術とは、金に至る学問。

 そして錬金術において、金は、この世界の何物にも変化する性質を有する。


 俺は奴が痛みにもがく隙を見逃さなかった。

 地面を蹴り、跳ぶ。

 空中で回転し、遠心力を加えた魔剣で、奴の腕を切り落とす!


「あがぁ!?」

「きゃっ!?」


 切断される腕とともに、ステラが落下する。

 俺は滑り込んで、馬鹿な小娘をキャッチした。


「おいおい魔女っ娘、おいたが過ぎるぞ? あんまり無防備だと、次は狼男に食われちまうかもな」

「ヘルメス! 後ろ!」


 ステラは悲壮に叫ぶが、もう詰んでいるので関係ない。

 彼女をキャッチしたとき、俺の手の中に魔剣はなかった。

 ゆっくりと、背後を振り返る。

 まさにヒトデナシ、バケモノ、鬼といった形相で、俺へと襲い掛かる寸前──その姿で硬直した吸血鬼の左胸に、魔剣が、深々と突き刺さっていたのだ。

 霧のままでは爪牙を突き立てられない。

 必ず実体化すると、踏んでいた。


「……女神は、本当に……我を見放したのか」

「世の中には稼ぎ時ってもんがある。なぁに、勝負は時の運。またいつか、あんたにもそれが巡ってくるさ」

「……願いを言え。我から奪えるものは、すべて奪え」

「魔女の楽園が、いまどこにあるか、知ってるか?」


 吸血鬼は、ひどく達観した表情になって、ゆっくりと首を振った。


「詳しくは知らない。だが東だと……東にあるのだと……聞いたことがある……」

「東ね、東かぁ。オッケーわかった。安らかに眠れよ、吸血鬼」

「思い出したぞ……ヘルメス……あのヘルメスか……この世の真理に、唯一辿り着いた、永劫の──」

「寝物語はいいよ。ほら、もう夜明けだぜ?」

「……そうか……ならばさらばだ。偉大な錬金術師と、小娘よ」

「ああ、おさらばだ、吸血鬼」


 奴の身体が、灰になって崩れ落ちる。

 すべてが崩壊する間際に、吸血鬼はかすかに笑って、こうつぶやいた。


「…………太陽に、我も、いつかまみえて」


 その続きは、誰の耳にも届かなかった。


§§


「はぁ!? ホムンクルスに、次に来るカードがなにか、ずっと聞いていたですって!?」


 廃城を出て、次の街へと向かっている途中、俺はイカサマのネタ晴らしをした。

 するとステラは、なぜか大声で批難してきた。

 耳がキンキンする。

 なんという声の大きさだろうか。


『そうだぞ、スーちゃん。ご主人のために、吾輩いっぱい未来を教えたのだぞ!』

「おー偉かったな、ホムホムちゃーん。おまえのおかげで勝てたもんなぁ。あいつの城にあった財宝、総取りだもんなぁ」


 まったく、こんな有用な人工生命を生み出しちまうなんて、俺はじつに天才だな。


「イカサマじゃない!?」

「あいつもイカサマしてたんだよ、おあいこだろ?」

「……浮かばれないわ……イカサマで負けて、殺されちゃうなんて……」


 おう、人聞きが悪いこと言うのやめろや。

 誰が聞いてるかわかんねーんだぞ?


「俺は人殺しなんてしてない」

「死んだわよ、吸血鬼さん……」

「あいつはヒトデナシだ」

「でも」

「いまは科学の時代だぞ? 魔物を殺すなんて、社会貢献だよ。俺はいいことをしたの。あの街の住人だって喜んでただろうが?」

「それは、そうだけど……」


 どうにも釈然としないステラに、俺は極めて大きなため息をつきながら、カラクリを教えてやった。

 まったく、魔女なんだからこのくらい知ってろよ……


「あのねぇ……吸血鬼は死なないんだよ」

「は?」

「塵になっても、灰になっても、心臓を貫かれても、銀で焼かれても──いつかは必ず復活する。あいつはいま、永い眠りについただけなんだ」

「それは……ほんとう?」


 こんなどうでもいいことで、嘘なんかつかねーよ。


「だって、1シリングの得にもならねーだろ?」


 俺がそういうと、彼女は呆気に取られたような表情をして。

 それから、困ったような、喜んでいるような、曖昧な笑顔を浮かべた。


「あんたって、本当にどうしようもないのね。さっぱりわかんないわ」

「そのどうしようもないやつに頼らなきゃ、旅ひとつできないのは、どこの誰ですかねぇ……」

「あははははは!」


 笑ってごまかすステラちゃん。

 俺もまた、苦笑を浮かべ、じつにくだらないとパイプを咥えるのだった。


「ともかく、目的地は決まった。東へ行くぞ、ステラ」

「ええ、東に!」


 行こうGO  東へ  EAST GO

 魔女の楽園を目指す俺たちの旅は、始まったばかりなのだから──




 ……などという綺麗なオチを、どうやらロクデナシの神様は許してくれなかったらしい。

 青空の下を歩く俺たちの背後から。

 その鋭い声は、響いてきたのだった。


「見つけたぞ──」


 振り返る。

 そこにいたのは、全身甲冑の男と、ドレスを身にまとった女性で、


「この──結婚詐欺師め!!!!」


 ……俺は、じつにいわれのない暴言を、その女に吐きかけられてしまうのだった。

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