第十六錬成 碩学者との昼食

ニュートリン&バーベズ総合研究所へ行きたい」

「でしたら、新式の蒸気バスで一時間ほどです。トリストニア中央にあるバスストップのひとつが、N&Bなので」


 目的地をジーナに尋ねれば、彼女はあっけらかんとそう答える。

 なるほどあいつめ、手広くやっているとは聞いていたが、まさか中心地に研究所を構えているとは思ってもみなかった。

 どうやら本気で、この街に骨をうずめるつもりらしい。


「ご案内しますお客様。さあ、こちらです。ところで、200シリングで観光アナウンスも致しますが?」

「いらん」


 身支度を整えた俺たちは、ジーナに促されるままバスへと乗り込んだ。

 さすがは碩学者のお膝元、そこを走る最新式の蒸気バスである。

 内燃機関のけたたましい音を除けば、じつに快適で、馬車などよりよほど力強い旅路だった。

 しかし、蒸気自動車か。すこし見ないうちに、ずいぶん立派になったものだ。

 これ、なんか金儲けに使えねぇかな……

 馬のレースみたいに競わせたら、人気出ねぇかな?

 俺が胴元なら、一財産築ける気がするが、さて。

 

「うわぁ……すっごい……都会だ……」


 俺がそんな打算をしていると、ステラが窓の外を眺め、思わずといった様子でつぶやく。

 そこに広がっているのは、これまで彼女が見てきたどんな街よりも、科学的に発展した都市だった。

 トリストニアは、その名前のとおり三層構造からなっている。

 外縁部が第一構造体──おもにオカルティストたちが根城にする比較的貧しい者たちが住むエリア。

 第二構造体が、ジーナのホテル・オートマタなどがある商業区画。

 そして中央にあるのが、碩学者たちが日夜研究を続ける中央研究区域セントラルブレインであった。


 N&B総合研究所は、そのセントラルブレインにある大型のタワー型研究施設だ。

 なんでも、人の代わりに高度な処理を行う、階差機関ディファレンス・エンジンと呼ばれる碩学の集大成を開発中だと聞くから、羽振りの良さは想像にかたくない。

 そのうち、かろうじて神秘の領域であった自立意識を持つ自動人形……つまりジーナなど、軽く飛び越えるような機械を開発してしまうかもしれない。

 そうなったときは、本当に錬金術師の時代の終わりである。


「ニュートリンはぱっとしないが、あいつならやりかねん。そして、もしそうなるなら、やはり最低限の面倒は見なきゃならんよな……」

「なに? ヘルメス、なんか言った?」


 バスを先に降りて、目的地であるタワーをぽけーっと見上げていたステラが、俺の独白に気が付いて問いかけてくる。

 なんでもないと首を振り、俺もタワーへと視線を移した。


 世界最高の頭脳が集う、N&B総合研究所。

 その天を衝くように高いビルディングは、碩学者の牙城だ。

 とうぜん、俺たちのような不審人物の侵入を警戒して、入り口には守衛が置かれている。

 鼻薬ワイロをかがせるか、そもそも隠蔽マントでごまかすか。

 幾分か悩んだものの、すこぶるめんどくさかったので、正面突破することにした。


「アー、テガスベッター」


 俺の手を離れたフラスコの山が、内容物のエーテル流をぶちまけ、大爆発を引き起こす。

 守衛やら研究員が、悲鳴を上げる間もなく巻き込まれ、吹き飛んでいく。

 

「キケンダヨー、ニゲロー」


 すべてを溶かす王水──もとい、燃える水が、厳重に施錠されたドアを溶かし、俺たちの歩む道を作る。


「ワッショイ、ワッショイ!」

『なぜカタコトなのかは詮索しないが、ご主人、この部屋だぞ!』

「おう、よくやったなホムホムちゃん。あとで寿命を延ばしてやろう」

『話がわかるご主人は大好きだぞ!』


 ホムホムちゃんのナビゲーションに任せ、適当に施設を破壊しながら進んでいると、無事に所定の場所へとたどり着くことができた。

 俺たちが歩んできた道。

 そこに刻まれた破壊の跡を振り返って、ステラが青い顔でガタガタと震える。


「あの……ヘルメス……ひとに会う以前に、こんな大破壊やったら、あたしたち完全にお尋ね者なんじゃ……」


 いや、これでもおまえが魔法をぶっぱなすより、はるかにマシだからな?

 これで結構、手加減してるからな?


「それに、あいつと顔さえ合わせれば、ぜんぶ有耶無耶にできるんだ」

「?」


 首を傾げた彼女を無視し。

 俺は、ノックもせず目の前の扉を開けた。


「──まったく、いつだって騒々しいねぇ、君は?」


 聞こえてきたのは、落ち着き払った老人の声音。


「たまにはもう少し、静かにオレを訪ねてくることができんのかね。アポイントメントも事前に取るとかだよ。ええ、そうだろう──」


 一目でわかる高級な仕立てのスーツを着こなした、そのロマンスグレーの髪を持つ老人は、革張りの椅子から立ち上がり、振り返りながらこういった。


「──オレの旧友、カリオストロ伯爵?」


 バーベス・オヴィナ。

 世界最高峰の碩学者であり、俺の古い友人でもある彼は。

 好々爺然とした笑みを俺たちに向け、


「とかく、昼食でも一緒に、どうかね? 再会を飛び切りのワインで祝おうじゃないか!」


 ひどく気軽に、ランチのお誘いを口にしたのだった。


§§


「神秘を秘匿する錬金術師なんてものはね、ちぃぃっとも庶民の役には立たんのだよ。なぜそれがわからんかね!」

「お偉い碩学センセーにゃ絶対わからんがな、俺は俺のために錬金術師でいるの! 世のため人のためなんて知ったことかよ!」

「神秘が持たん時が来ているのだよ! いまこそ奇跡を解読し、英知として人民に配るときではないかね!」

「知恵ってのはな、使えるやつが使えばいいんだよ。真理の実相はあまりに手ひどいものだ。全員が使えちまうと、すっごく困るんだぞ? ありていにいって手に余る」

「具体例を出したらどうだね。そんなだから錬金詐欺師と呼ばれる」

「あ、言いやがったな? 俺を錬金詐欺師と呼びやがったな?」

「悔しかったら機械の扱いに熟達してみろ! 賢者の石ぐらいしか作れんくせに! 第一これだけ研究所を壊しておいて……損害賠償を請求するとも、インチキ詐欺師め!」

「おう、外へ出ろよ。久しぶりに……頭に来ちまったぜ……」

「よし、やろう」

「やろう」


 シュッシュッ! と、シャドーボクシングをして見せる老人。

 それに応じ、ビーカブスタイルに構える俺。

 ステラとジーナが、呆れ切ったまなざしをこちらへと向けていた。


「おてんとうさまが出ているうちから、浴びるようにお酒をかっ喰らうなんて……ヘルメスには失望したわ……男の人って、いつもこう……」

「あのご老人……バーベス・オヴィナ老は、この街で最も優れた脳髄を持つ御仁だと聞いていましたが、ワインとスモークチーズだけでああなってしまうとは……やはり人間の業は深いものですね。まるで子どもの喧嘩を見ているようです」

「ふふ、子どものようだとは光栄だねオートマタのお嬢さん。我々碩学者はいつだって好奇心を忘れない!」


 ジーナの呟きに、まんざらでもない様子でバーベスは頷く。

 今年で何歳になるか忘れたが、明らかに子どもという歳ではない。

 なるほど、老いてなお盛んという言葉は、こういったときにも適用されるのか。


「ところでカリオストロ伯爵」

「あー……悪いがバーベス。俺はいま、ヘルメスと名乗ってる」

「フム。ではミスター・ヘルメス。そこで好き勝手言っている素敵なレディーたちは、どなたかね?」

「おう、相変わらず節操ねぇな。歳を考えろよ。やっぱりお盛んじゃねーか」

「誰も手を出すとは言っておらんがね!?」


 今度はフリッカージャブの構えをとるバーベス。

 俺は苦笑しつつ、彼女たちのことを教えた。

 聞き終えると、彼はらしくもなく、瞠目した。


「なんと。つまりこちらのレディーは、あの奇人が作った自動人形で」

「そう、そしてこの娘が、おまえを慕う連中が血眼で探してるケモノ憑きの魔女だ」

「オレを慕う者たち……? ハッ! なるほど、耄碌したのは伯爵のほうかね!」


 彼はじつに可笑しそうに、笑い声をあげる。

 しかし、その眼はどこまでも、冷徹に研ぎ澄まされていた。


「オレは一度たりとも、レディーを傷つけろなどと命じたことはないのだがね。そもそも、ケモノ憑きの魔女に興味を抱いたのは、治療法の確立のためだよ」

「やっぱりか」

「それ以外になにがあるかね……心外だ。心外だとも! くそ、これでは建物を壊されたことを責められないではないか……!」


 苛立たしげに、鼻を鳴らしてみせる彼。

 困惑したように、ステラが尋ねる。


「あの、それは……どういう意味ですか?」

「ああ、素敵なレディー。学問の扉を謙虚に叩くというのなら、オレは詳らかに応えよう」


 バーベスは、教えを請う生徒に説明する、やさしい教授のような表情になって。

 そうして容易く、真実を口にした。


「いいかね? レディー・ステラ」


 そもそもケモノ憑きとは──


「ただの病気に、過ぎないのだよ」

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