第六章 超抜級の錬金術師 ~三倍偉大なヘルメスは~

第二十一錬成 詐欺師のメソッド

「魔女の楽園って、どんなところなのかしら」


 ぱちぱちと焚火がはじけ、満天の星空へと火の粉が昇っていく。

 静かな、だけれど虫や獣たちの声が騒がしい森の中で、野営をしていたとき。

 ステラがふと、そんなことを呟いた。


「んー……そうだなぁ、俺が知っている限りでは〝これ〟と同じような場所だ」

「……それは?」


 俺が懐から取り出した、黄金色の結晶体──真なる賢者の石を見て、彼女は首を傾げる。

 そういえば、見せるのは初めてだったか。


「真理への道が開いている場所、ということだ。すべてがあるともいえる」

「すべて……」

「世界がまだ夜明け前だったころ、始祖の魔女は聖域を生み出した。誰にも邪魔されることなく、魔法の根源へと至れる、そんな場所を」


 それが、魔女の楽園である。

 噂によれば海中深くに沈むとも、雪山の奥地に眠るとも、あるいは空の果てに浮かんでいるとも言われている。


「だが、本当のところを知ってるものはいない」

「どうして?」

「魔女の楽園から、帰ってきたものがいないからだ」


 お茶を口にしようとしていたステラが、首をかしげた。


「それって、すっごく居心地がいいから、誰も帰りたがらないってこと?」

「まあ、俗世と比べりゃ、まさしく楽園だろうよ。少なくとも魔女にとってはな」

「じゃあ、やっぱりあたし、そこへ行きたい」


 彼女の赤色の瞳が、焚火の炎と交じって、揺らめいている。

 夢を見るような彼女へ、俺は訊ねた。


「おまえ、両親はどうした」

「いなくなっちゃった」

「そうか」

「自分から聞いといてそんな反応?」

「寂しかったか?」

「……寂しくなかったって言えば、嘘になると思う」


 すこしばかりうつむいて、彼女は考えながら、口にする。


「お父さんはね、物心ついたときにはもう、いなかったわ。お母さんは、ある日突然いなくなっちゃった。でも、書置きがあったの」

「書置き?」

「『魔女の楽園であなたを待っている』──そう書いてあったわ」


 俺は……たぶんいつもどおりの顔をしていた。

 いつもの無責任なつらのままでいられたはずだ。

 だけれど彼女は。

 ステラはくしゃりと、表情を歪める。


「いっぱい探したの。街中をよ? でも、見つからなかった。うちの家系の魔女は、街の外には出られないはずなのに、お母さんはどこにもいなかった。知ってる? 魔女は名前と契約を世襲するの。契約が引き継がれる瞬間だけ自由になれる。だから、そのときからあたしは、ステラになった。第十三代ステラ・ベネディクトゥスにね」


 ゆえに彼女は、街の外に母親を探しに行くこともできず。

 ひとり孤独に、あの街で暮らさなければならなかった。


「でも、あたしは運よく、ヘルメスに出会った。魔女の楽園には、お母さんを探すために行きたかった。だけどいまは、自分のために行きたいと思ってる」

「楽園に行ってどうする」

「……あたし以外の魔女って、まだ世界にいるの?」


 唐突なステラの質問に、俺は一瞬。

 本当に一瞬、言いよどんだ。


「……いる」

「うそつき。いまのは簡単だったわ。いつもそうだったらいいのに」

「抜かせ。だとしたらおまえは、明日の食い扶持にすら困るぞ」


 なんせ極度の吝嗇家。

 くわえて世間知らずのお嬢ちゃんだ。

 俺がいなきゃ、旅なんて続けられない。

 そう、俺がいなければ。


「小指」

「ああ」


 彼女が、自分の左手の小指を立てて見せる。

 薄紅色の光がかよい、俺の小指に巻き付く。

 それは、魔女の呪い。

 破棄できない契約の証。


「もし、あたしを置いていったら、ヘルメスは死ぬ方がましな痛みでのたうち回ることになるわ」

「怖いねぇ……だから言うことを聞いてやってる」

「ねぇ、ヘルメス」

「なんだ」

「どうして詐欺なんてやってるの?」

「儲かるから」

「あたしに、錬金術を教えてくれるって話は?」

「いいぜ、金さえ払えばいつだって教えてやるよ」

「ほんとうに?」


 俺はもちろんと答えた。

 その答えに、彼女は悩むように空を見上げて。


「ねぇ、ヘルメス」


 視線を落とさないまま、俺の名を呼んだ。


「あたしのこと、そんなに嫌い? 迷惑だと思ってる?」


 今度は、即答することができた。


「ああ、嫌いだ。1シリングの得にもならない、大迷惑だよ」


 彼女が、ゆっくりとこちらを見る。


「あたしはね、わかってくれる人が欲しい。お母さんみたいな、同じ魔女みたいな。だから、魔女の楽園に行きたい」

「そうか」

「ヘルメスは、どうして詐欺をするの? あたしみたいな理由?」

「何度でも同じ答えを返すぞ。儲かるからだ」

「二回に一回は賢者の石を作れるんでしょ? お金なんて、作り放題じゃない」

「材料費だってタダじゃない。失敗しないわけでもない」

「工房を持てばいいじゃない。パトロンに取り入って」

「俺は根無し草だからな。一か所には留まれないのさ。それにな、ステラ。世の中ってのは、おまえが思うよりもずっと、しがらみってやつが多いんだ」

「あたしが世間知らずだって言いたいのね。ぷんすか!」

「……ああ、おまえは知らなくてもいいことを、よく知らないでいてくれるよ」

「えへへ……そっか。いてくれる、か──」


 それが、あの夜の最後の会話だった。

 そのときの彼女は、なぜか笑顔だった気がする。

 だが、いまはどうだろうか?

 朝日を浴びながら、その表情をうかがう。


「で? なにを作ってるわけ、ヘルメス?」

「エメラルド板だよ」

「エメラルド板~?」


 ひくひくと痙攣する口元と目じり。

 抑えきれない憤りと、怒りをため込んだ笑顔。

 おー、なんたる地獄めいた形相か。

 そんな彼女を無視して、俺は拾ってきた平べったい岩に、ペタペタと絵の具を塗っていく。

 ペンキが手に入らなかったのが痛い。

 面倒だ。


「エメラルド板って、錬金術に必要な器具で、文字通りエメラルドでできてるのよね?」

「おうよ。おもにこの世の真理が刻まれている、聖書みたいなものだ」

「それの原材料は?」

「石」


 俺の頭に鉄拳が降ってきた。


「いってぇ!? なにしやがる!?」

「それはこっちのセリフよ! なにを堂々と詐欺の準備を始めてんのよ!?」

「俺が作ればなんでもエメラルド板なんだよ!」

「このバカ! 何度言わせるの! あたしの目が黒いうちは詐欺なんてさせないって言ってるでしょ!」

「ホムホムちゃーん、言ってやってくれよ、こいつの目、真っ赤だってー」

『うむ。スーちゃんのお目眼は真っ赤だぞ。だから詐欺をしてもいいんだぞ』

「スーちゃんて誰!?」

「ホムホムちゃんはやっぱり話がわかるなぁ、どっかの無知っこ魔女とは違うなー」

「こんの……ふたりとも、そこに座りなさーい!」


 今日も朝から、彼女の元気な怒号が響き渡るのだった。


§§


「そもそも、ヘルメスはアコギすぎるの! こないだだって、生命の水?」

「アクア・ヴィタエ。ちょっとあっためたアルコールな」

「そう! それをかき混ぜるだけで、無から金が生まれるとか言ってさ! 棒きれでかき混ぜてたら、本当に金が出てきてすごいって思ったのに!」

「あー、あれはな、棒の中に金粉が入っていてだな、棒の材質がアルコールに溶けるものだから、金が出てくるんだ。すごいだろ」

「すごくないわよ!」


 あたしの感動を返せ!

 と、ぎゃーすか叫ぶステラ。

 おい、やめろ。町中だぞ、みっともない。


 魔女の楽園を目指す俺たちは、一路東へと向かっていた。

 その途中、物資やら路銀が尽きたので、補給のために少し大きな町ニヤロへと立ち寄ったのだ。

 といっても、ニヤロはトリストニアほど大きな都市ではない。

 一〇〇分の一ぐらいの規模の町で、文明の発展具合もそんなもの。

 前時代的な領主が治める、のどかな町だった。


「待って……じゃあひょっとして……あの白い粉が金に変わるやつも、詐欺なの?」

「あれはな、白い粉──小麦粉の中に初めから金が入っているんだ。水に小麦粉が溶けると、金だけ沈むだろ? まるでなにもないところから金が出てくるように見えるってわけだ。魔法の粉だよなぁ」

「詐欺師だ……」


 ステラが、愕然と呟く。

 買い出しのため、町中を散策していたのだが、なぜか彼女は、俺がこれまでやってきた詐欺の追及を始めた。

 基本的に、一流の錬金術師はお偉い貴族様のお膝元にしかいないし、在野の三流錬金術師は、半分以上が詐欺師だ。

 いまさら詐欺師がひとり増えたり減ったりしても、無意味なのである。


「だいたいな、神秘の時代なんて終わったんだよ、ステラちゃーん? 俺たち錬金術師は神秘を売り歩けなくなった。だから今は、お客様たちの心に、一時の夢を売り歩いているんだ!」

「美談ぽく言ってるけど、ようするに詐欺でしょ!? なに、心とか痛まないの? ヘルメスはどんなメンタルしてるの?」

「そりゃあ、俺の心臓は賢者の石製だからな、簡単には砕けない」

「この詐欺師は、つくづく救えないわね……汚い金で、ご飯食べたくないなぁ……」


 呆れたように顔を押さえるステラ。

 まあ、別に救ってもらいたいわけでもない。

 あと、お金さまにキレイも汚いもない。


「それはそうと、ステラ。おまえ、そろそろ着替えを買えよ」

「服? べつに、あたしは」


 そういって、彼女は小汚いローブの裾をつまむ。

 見るに堪えない。

 いや、俺が言うことじゃないけどなー。


『あのな、あのな、スーちゃん。ご主人はな、スーちゃんに少しは着飾ってほしいと思ってるんだぞ! 女の子だから、おしゃれしてほしいって!』

「あ、こら、ホムホムちゃん!」


 湧いて出たフラスコを、慌ててひっつかみ荷物に押し込む。

 だがホムホムちゃん、今回は粘った。


『スーちゃんも年頃だから、ご主人は人並みにきれいな服を着せてあげたいんだぞ!』

「うっせ! 割るぞ! たまには本気で割るからな!」

『ホムンクルスも、たまには脅しに屈しないのだ!』


 へへーんと胸を張って見せるホムホムちゃん。

 俺は盛大にため息をついた。

 見遣る。

 俺の後ろを歩いていたはずのステラは、いつの間にか立ち止まっていた。

 その視線の先にあったものは──


「かわいい……」


 服飾店の中に展示された、一着の、立派な赤い旅装束だった。

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