第十一錬成 恋の万能薬とケモノ耳

「父上が病気になったので、薬が欲しい」

「それ、先に言ってくれねーかな……」


 マリアの本来の要件は、それだったらしい。

 俺を探して六年間、エリヤという名の木石ぼくせきゴーレムと、ちょくちょく二人旅を続けていたのは本当だったそうだ。

 しかし、つい先日。

 彼女の故郷から便りがあって、ヨハンが病に臥せっていることを知ったのだという。


「その折にちょうど、おまえを見たという風聞を聞いてな……駆けつけたわけだ」

「──大丈夫か、主。声が鼻声だ。眼も赤い。風邪ではないか?」

「あー、うるさい! エリヤ、おまえは黙っていろ! 私にやさしくするな!」


 ぽかぽかとお供の騎士を殴りつける彼女には、もはや悲哀の色はなかった。

 ただ泣きはらした眼だけが赤く、彼女は何度も、その細い指で涙をぬぐっていた。

 俺はそっと肩をすくめ、手持ちの〝万能薬〟をふたつ、彼女へと差し出した。


「こっちの黄金色のは、どんな疾病もなおす万能のエリクサー。命の水アクア・ヴィタエだ。寿命も多少延びる。ヨハンに渡してくれ。で、こっちの青いのが──惚れ薬の解毒剤だな」

「あるのか!? そんなものが!」


 だから、おまえらは俺をなんだと思ってるんだよ。


「超抜級ってのは、本当に論外なぐらい優秀だから名乗れる称号なんだぜ? 俺は材料さえあればなんでも作れる……って、おまえらぜったい信じてないよな?」


 音速で顔を背ける女二人と、黙ったまんまのゴーレム。

 おー、いい度胸だな。やっぱり全員、エーテルの屑に変えてやるわ。


「落ち着いてヘルメス」

「ステラ、おまえ今回それしか言ってねーからな」

「いいから、早く渡してあげて。可哀想でしょ?」

「…………」

「ヘルメス!」

「わぁったよ……飲むときの注意点だが、精神の高揚と、肉体の活性化という副作用がある。簡単に言えば血圧とテンションが上がるから、注意してくれ」

「ああ、わかった。それで、だ。これを飲んだ暁には──」

「いいから、おまえは早く家に帰れ。おまえのために誰もが涙を流すまで──その死の一瞬まで、ゴーレムはおまえを守ってくれる」

「おまえは、守ってくれないのか……?」


 おいおいマリア。

 それはな、愚問っていうんだぞ?


「金さえくれりゃ、いくらでも守ってやるよ。おまえを泣かせる奴がいたら、世界の果てからだって飛んできて、そいつをぶっ飛ばしてやるさ」

「そうか。それなら……じつはすでに、ひとりいるんだ」

「なんだ、水臭い。名前を教えろよ。そのクズを殴っといてやる」

「フラメル。ヘルメス・フラメルっていうんだ、そいつは」

「知らない名だな……だが、もし見つけたら。俺はそのクズを──この世の果てまでぶっ飛ばすだろう」

「…………」

「おまえを泣かせるそいつに、マリア、おまえが二度と出会うことがないように」

「……ああッ」


 そっぽを向き、震えた声で頷くマリア。

 俺は肩をすくめ──

 ずっとにやにや笑っていやがった魔女っ娘の頭を、軽くはたいておいた。


「痛い!」

「痛くねーよ。ほれ、いくぞステラ」

「あ、待ってよヘルメスー!」

「……さよなら、ヘルメス・フラメル」

「あー、今日は天気がいいなぁー。詐欺日和だぜ」


 なにも聞かなかったことにして、笑って見せながら、俺は進む。

 俺たちは進む。

 マリアはしばらく立ち止まり、こちらを見続けて、やがて来た道を引き返していく。

 たぶんきっと、二度と交わらない道を。


「ねぇねぇ、ヘルメス」


 なんだよ、魔女っ子。


「ほんとうに、惚れ薬なんてあるの? マリアさん、あんまりエリヤさんを好きそうじゃなかったけど?」

「いや、あいつはゴーレムを嫌いじゃないさ。その気持ちを認めるのがむかつくだけだろ」

「でも……」

「物事にはな、稼ぎ時がある」

「急になによ」


 稼ぎ時って言い方が分かりにくければ、潮時だ。

 それは必要なときに、必要なものをという意味だ。


 たとえば──ひとりの少女が、ある男に振り向いてほしくて、惚れ薬を作らせたとしよう。親を唆して、作らせたとしよう。

 そして、その男がそれに気が付き、咄嗟に代わりのものを用意したのなら。

 それは、悲劇と呼ぶべきだろうか?

 どこかの歌劇には、恋人が死んだと思い込み、毒薬を呷った女もいたが、さて。


「万能薬と偽られて、ただのアルコールを渡されたら、女はどう思うんだろうな」

「──!? ちょ、あれニセモノ!? じゃあ、ヨハンさんは!」

「バッカ! そっちは本物だ。そこまで俺は外道じゃねーよ!」

「え? じゃあ、ミリアさんはエリヤさんに恋したままで──


 なにかに気が付いたように、声を上げる少女。

 その表情が、徐々にニマニマした悪趣味なものへと変わる。

 俺は顔をしかめ、口を閉ざした。


「じゃあ、じゃあ! ! そしてマリアさんが本当に飲んでほしかった相手って」


 黙れ。

 そのぐらいにしとけ。

 これだから小娘は嫌いだ。

 過去なんて振り返るものじゃない。


 確かに、確かに最初から効果のない惚れ薬を作ったのは悪かったさ。

 でもそんなもの、初めからあいつには、必要なかったんだよ。


「やるじゃない嘘つきライアー! よ、当代一のペテン師! この結婚詐欺師の色男め!」

「誉め言葉じゃねーんだよな、それ!?」


 なんだ、ケンカ売ってるのか?


「どうどう」

「だからー、俺は馬じゃないっつーの!」


 俺は、辟易とため息をついた。

 いい女ってのは、恋多きものだ。

 同時に、多感な年ごろでは悪いやつに心がなびいてしまうこともある、そんな繊細な生き物だ。

 だからあいつは、自分で恋を見つけた。

 六年前に。

 そして、ほんの数瞬前に。

 そう──彼女は故意に、恋しただけなのである。


「ねぇ、ヘルメス」

「なんだよ。急にあらたまって?」

「愛ってさ、なんなのかな?」

「……さーね」


 俺はわからないと諸手を上げる。

 

「だけれど、これだけは言えるさ」


 自分という対価では足りなくなるほど、相手を思ったとき──それは、たぶん愛と呼ばれるのだ。

 等価値では交換なんてできないものが、きっとそれなのだ。


「どうだステラ! いまの俺のセリフ、めちゃくちゃキマってただろ? ときめいただろ!」

「へー、ふーん」


 気もそぞろといった様子で前を向くステラ。

 付き合い的に最悪の反応だった。

 なんだよ、おまえから聞いてきたくせに。


「あれかなー? おこちゃまのステラちゃんには早かったのかなー? ごめんな、おっさん大人すぎて!」


 そんな風に、俺が盛大に煽ろうとした、その瞬間だった。


!」


 突如、一陣の風が吹いた。

 同時にひどく。

 ひどく慌てたような声が、隣で聞こえて。


 ふとそちらに視線を向け、俺は、言葉を失った。

 なぜなら──


「おま──」

「──うぐぐ」


 これまで絶対にフードを外さなかった、ステラの。

 その頭頂部が、晒されていて。

 そこには、


「……ケモノの耳?」


 銀色の柔毛に覆われた、キツネの耳がぴょこんと生えて、いたのだから──

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