第四章 碩学とオカルトの街で ~トリストニアは抗争中~

第十二錬成 厄介な旅の道連れ

 街中に張り巡らされた血管のような配管から、ときおり蒸気が、音を立てて噴き出す。

 けぶる街並み。

 霧の街。

 その片隅の路地裏で、俺とステラは息を荒くしていた。

 全力疾走のあとのように、肩で息をしながら。

 だけれど同時に、つとめて息を押し殺していた。


「見つけたか!?」

「こっちにはいないぞ!」

「探せ! まだ遠くへはいっていないはずだ!」


 黒服に覆面という、センスがないにもほどがある服装の連中が、殺気をばら撒きながら走り去っていく。

 その手には物騒なことに、銃器のようなものが握られている。

 背中にはボンベが背負われているので、おそらく開発中だったと聞く、圧縮蒸気銃だろう。

 彼らの姿が見えなくなって、俺はようやく、止めていた息を吐き出した。

 隣では魔女っ子が、しょんぼりとうなだれている。

 その頭の上の二つの狐耳も、心なしペタンとなっていた。

 俺は狐耳をなでつけたり、くにくにと弄んだり、ステラにうっとうしそうに振り払われたりしながら。


「どうしてこうなった──」


 と、もう一度ため息をついたのだった。


§§


「ごめん、ごめんね、ヘルメス。隠すつもりはなかったんだけど……」


 なんとか黒服の連中をまいた俺たちは、むやみにおしゃれなカフェテリアで、昼食を食べていた。

 俺は豆のサラダとフィッシュアンドチップス。それにエスプレッソ(これに限っては蒸気の恩恵である。ビバ・スチーム!)。

 ステラはスコーンと紅茶を注文した。


「俺もな、こいつやたらとフード被ってんなぁー、とは思ってたんだ」


 だが、てっきり禿げてるのだとばかり思っていた。


「いや……冗談だ、睨むなよ」

「睨んでないもん」


 もんって。

 もんって……


「……魔女のケモノ憑きというのは、珍しいが前例がないわけではない。だが、ケモノ憑きには原因があるはずだ。その理由はなんだ? 祟られるようなことでも──

「そうなのヘルメス。我が家のご先祖様は、いけにえをやってたから」


 彼女はぽろぽろと泣きながらそんなことを言う。

 やめろ、泣くな。

 こんな衆人観衆のなかで泣くな。

 なんか、俺が別れ話を切り出してるみたいだろ! 涙は嫌いなんだよ面倒くさい!


「あたしとヘルメスじゃ、二回り年齢が違うでしょ? 娘とおとーさんじゃない」

「俺は見た目通りの歳じゃないの!」

「そんなに若く見えないけどなぁー」


 そんなことより、ケモノ憑きの話である。

 現代は、蒸気スチームの扱いがようやく広がって、それに伴い神秘が極端に薄れている。

 それでも文明の過渡期にあるこの時代は、いまだ奇跡の残滓を忘れ切れていない。

 錬金術師も滅んじゃいないし、魔女ですら、このように生きている。

 ケモノ憑きは、そんな古の時代の名残だ。


 悪魔憑きとも呼ばれるこのは、発症した時点で、過去へと因果が逆転し、動物との接点が生まれる。


 先祖が動物を殺したから。

 ライオンの血を継いでいるという一説があったから。

 蛇と例えられたことがあったから。


 そんな些細な理由で、人間はケモノに憑かれる。

 あるいは接点がなくとも、でっち上げられる。

 取り憑かれたものは、ケモノ同然の振る舞いをするようになり、その血は忌まれ、末代まで呪われたものとして、村八分にされる。

 人狼や、以前に出会った吸血鬼を引き合いに出せば早いだろう。

 奴らは人間を喰らうバケモノなので、退治しなければいけないし、村の中にいては困るのだ。

 一見して魔に連なる獣人。

 神秘による、悪影響のひとつである。


 一方で、ケモノ憑きの血は魔力に満ちているともされた。

 太古の魔女は、好んで生け贄にケモノ憑きを使ったともいう。

 ステラ・ベネディクトスは、その因果の結果、頭からきつねの耳が生えている──というわけだ。


「あと、すごい昔のご先祖様──たぶん始祖さまが、狐を助けたってのもあった。初代ステラ・ベネディクトゥス。人をよく騙す狐だったって」

「へー……ふーん……」

「もう、聞いてるの?」


 プリプリと怒るステラ。

 もちろん聞いている。

 キツネ、狐ねぇ……フォックスフェイス……だったかなぁ……


「しかしな、ステラ。それは別段、呪詛のようなものじゃない。真理に明るい錬金術師なら、こう考える。すなわち凡百と大差ない、病の──」


「いたぞー! そこを動くな!」


 突然の怒声。

 慌てて声の出どころに視線を向ければ、覆面にスーツの男たち七人ほどが、徒党をくんでこちらへ走り寄ってくるところだった。

 いっけねぇ、長居しすぎた。


 俺は懐からシリング硬貨を三十枚ほど取り出すと、テーブルに叩きつけるように置いて、走り出した。

 ステラの手を、忘れずに掴んで。


「逃げるぞ!」

「う、うん」


 彼女の手は、ひどく細く。

 しかし、確かに人のぬくもりを有していた。


§§


 この街の名は、トリストニア。

 大陸の中央に位置し、科学がもっとも進んだ蒸気の街。

 そして同時に──いまだ科学者とオカルティストが、奇跡の残滓を巡って争いを続ける、暗黒と黄金の都市だった。


 ステラは、その両陣営から狙われていたのである。

 いかようにして、彼らが彼女の存在を知ったのかは判然としない。

 だが、彼女は最後の魔女だ。

 科学者は、そのインチキを暴くために。

 オカルティストは、奇跡を復活させるために。

 彼女を絶好の生贄と、定めたのである。


「まったく、際限なしのバカどもめ」


 俺は小さく毒づいた。

 何百年たっても、人間は変わらないと思い知ったからだ。

 街のなかを、俺たちはどこまでも、どこまでもひた走る。

 逃げるのは、ひどく懐かしい。


 蒸気の街に、夜が訪れようとしていた。

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