第二十三錬成 その錬金術師、伝説につき

 長かった……ひと月近い労働は、じつに腰に来た。

 若くない証拠である。

 多大な慢心、諸事情があったとはいえ、俺はあの若き錬金術師に負けたのだ。

 事実は事実、言い訳なんてしない。

 等価交換の原則に従い、ペナルティーは受け入れるしかなかった。


 ……いや、別にステラを置き去りにしていいのなら、逃げる手段などいくらでもあった。

 だが、俺は彼女と魔女の契約を交わしているのだ。

 全力で抗えば、死ぬことはないだろうが、それでも苦しいのは好きじゃない。

 なので、よりマシなほうを……労働を選んだのである。

 下心や打算も、そりゃあ、あったのだけれども。


 このひと月、労働者に混じることで、面白いうわさを耳にする機会が多々あった。

 あのジルなんとかという錬金術師は、じつに住民たちの受けがいい。

 実直で正義漢、顔の作りもよく、気も回る。

 ついでに、領主の覚えもよく、言い寄られているらしい。まるで物語の主人公である。

 問題は、その領主の年齢で、なんでもまだ幼女だとか。

 両親が他界してからは、ジルなんちゃらが後見人のような立場にいるらしい。

 住民たちも、あいつなら安心できると話をしている。

 そんな美味しい思いをしているジルなにがしは、最近弟子を取ったともっぱらの噂だった。


「いやぁ、うまいうわさだよなぁ。今夜も酒がすすみそうだって……ああん?」


 そんな風に、上機嫌で職場に向かい、今日も元気に塩樽を運びますかと気合を入れていると、なんかあの錬金術師がやってきた。

 背後には、フードを目深にかぶったステラもいる。


「なんだ? 約束の労働期限より早いじゃないか?」


 もっとも、。うわさの収集など、ついでに過ぎない。

 なので彼らの来訪は、むしろ歓迎だった。


 どれ、ちょっと言いくるめて、勤労の期限を短くしてやろう。

 そんなつもりで、声をかけたのだが──


「ヘルメス・サギシトリマス! 錬金術師としての威信をかけて、もう一度僕と──このジル・ド・ライと戦ってもらうぞ!」


 そいつ──ジル・ド・ライは、そんなことを言い出した。


「もう一度戦ってもらう……ね」


 彼の顔つきをよく観察する。

 一月前に見た精悍さはない。

 代わりに、覚悟を決めた人間だけが持つ凄みが、そこには宿っていた。

 そうか、ようやくノートを読んだか。


「つまりジルなにやらちゃん、あんたは俺が誰だかわかったうえで、術比べをしたいと言ってるのか?」

「そのとおりだ」

「……だったら、この場所はダメだろ。もっといい場所が、どっかにあるんだろ? 案内してくれよ?」


 俺がそういうと、彼は頷き、先に立って歩き出した。

 ステラはずっと、不安げな顔をしている。

 俺は考えたすえ。

 ウインクを一つ、決めてやった。


§§


 郊外にある草原が、俺たちの決戦場となった。


「もう一度聞くぞー、俺がなんなのか理解してるなー?」


 彼は頷く。

 俺は頭をかく。

 睨みつけながら、低い声で問うた。


「だったら、それなりの代償は覚悟しているわけか。錬金術の基本は等価交換だ。それを、軽々には無視できない。俺と戦うための対価は、なんだ?」

「──ッ。こ、この命を、僕は対価に賭ける!」

「ほう?」

「僕と、僕までにあった一族、そのすべての研究成果を賭ける! それが僕の覚悟! 僕の対価だ!」


 なるほど。


「安すぎる、話にならん」


 一刀のもとに切り捨てると、ジルは屈辱に唇をかんだ。

 俺は、盛大にため息をつく。


 このジルとかいう錬金術師、確かに腕前は一流だ。

 そして血統的にも、研鑽の深度も、いつか賢者の石に届く可能性がある。

 優れた若者だ。

 非常に将来が楽しみである。


 だが、だからこそ、挫折というものを知らない。

 自分の限界を、理解していない。

 ならば鼻っ柱の高い若者に、すこしだけ世界の広さを見せてやるのも、悪くない。

 自分がなにをしようとしているのか、その善悪も含めてだ。

 


「オーケー。やりあおうぜ」


 俺は、ニヤッと笑う。

 錬金術の道具は、すべて取り上げられている。もちろん真なる賢者の石エメス・シナバルもだ。

 つまり、俺は手持ちが一切なし。

 厳密には紙袋を一つ下げているが、戦いの役に立つものじゃない。

 奴は頷き、律義にこう言った。


「承知した。いま、魔剣らをお返しする」

「は?」

「おまえごときを相手にするのに、必要ないと言ったんだ、青二才」

「────」


 男が震える。

 その誇り高き顔が、怒りに歪む。

 俺は、叫んだ。


「ステラ、開始の合図をしろ!」

「え? え? えっと──術比べ、開始! ……?」


 地を蹴ったのは、今度はジルのほうが早かった。

 有能だ。

 こんなにも有望な錬金術師、いまの時代にはもう一握りもいないだろう。


 俺がなにかをするよりも早く、先手を打つ。

 素晴らしい。

 なにせそれが、唯一の勝ち筋だ。


 抜剣された魔剣が、エーテルに干渉し、俺の周囲で密度を増す。

 錬金術は火水気土の四元素と、エーテルの五大元素によって理解される。

 奴のそれは気──特に風を操るに秀でたものだった。

 俺の周囲に集う風。

 それが、俺の全身を切り刻もうとして──


「ならば、刮目し記録せよ若き錬金術師! これぞ詐欺師の神髄。これが──世界をあざむくということだ!」


 ガラスが砕けるような音とともに、彼の周囲に集っていた風の刃が霧散する。

 俺は、一切の触媒なく。

 使


「初めに火があった」


 俺の両手から滝のように火が零れ落ちる。


「火の中から気体が飛び出した」


 水蒸気が噴き出し、あたり一面にもうもうと立ち込める。


「やがて結露し、水となり」


 流れ出す瀑布。

 それが草原ごとジルを飲み込み。


「あとには、土が残った」


 彼の全身を、錬成されたばかりの、天を衝くほど巨大な岩が、挟み込む。


「最後に、エーテルが満ち、輝きを放った。これが、世界の創生。錬金術の──基本なり」


 収束する光。

 目もくらむような、地上の太陽。

 それは、物理的な圧力すら伴い、やがて爆発して──


「……命を賭けるなんざ安い、安い。安すぎる。等価交換になっていないんだよ、そんなの。だから、講義はここまでにさせてもらう。


 あとには、茫然と座り込むジルと。


「ヘルメスー!」

『ご主人ー!』


 なんか半べそでこっちに走ってくる、ふたりがいるだけだった。

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