第26話 想い探る唇 4
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洸くんには話せなかった。というより、忙し過ぎて最近はほとんど連絡を取れていない。どちらかにとって都合の良い時間が相手にとっては都合の悪い時間という事を繰り返していて、どちらからともなく連絡頻度が減って来た。そんな状況で久しぶりの会話が朔からのキスの事だなんて最悪過ぎる。言い出しづらくて電話を握ったまま悩んでいると、時間切れになってしまう。自分がこんなにもダメな人間だなんて初めて知った。自覚したって時間はどんどん流れてしまい、どんどん、後ろめたい思いは増して行く。
朔を避けようにも仕事上避けられない。私達は変わらず毎日一緒に行動する。でも小さな抵抗で学校では朔に見つからないよう過ごして、既に二日が経っていた。
「千歳飴」
移動する車の中で話し掛けられるけど、無視をする。
「千歳飴」
耳を塞いで、私は窓の外の景色を見る。ワゴンの一番後ろで旭さんの隣に座っている私に、朔は前の席から手を伸ばしてきた。だから、歯を剥き出しにして噛みついてやる。子供っぽい行動だとはわかってる。でも……だって、私はどうしたら良いんだろう。
「何? 朔、姫に何かしたのか?」
そんな私達の様子を観察していた旭さんが浮かべているのは苦笑い。
「ついに告ったとか?」
朔の隣で翔平さんも振り向いて、口にした言葉がちくりと私の胸を刺す。朔はまだ諦めず、猫じゃらしにじゃれつく猫のように私の方へ手を伸ばして来ている。
「それより質が悪いよ。婦女暴行犯だよ」
「あー……うん。ベロチューして襲った」
「その言い方はなんか嫌だ!」
そんなにはっきり言わなくたっていいじゃないか! なんだか生々しくて嫌! 朔ってバカだったんだと思うのと同時、一番のバカは私だという考えが頭を掠める。だって、あんなにあからさまな態度を取っていたらみんなだって不思議に思うだろうし、話題に上っちゃうに決まってる。でも、この胸の真ん中に生まれた何かの所為でイラついて混乱して、今の私は正常な判断が出来ていないのだろうと思う。
「うわぁお。やらかしたな」
「……姫、頑張れ」
旭さんに見放され、翔平さんに助けてと視線を送ってみたけど笑うだけで何も言ってくれない。
「み、みんな敵だぁっ!」
鼻の奥がツンとして、涙ぐんだ。でもわかってる。これは他人がどうこう出来る問題じゃない。第三者が入れば歪んで、拗れる。
「目が赤くなる。泣くな。耐えろ」
「朔のせいじゃん!」
「悪い」
「ぜんっぜん悪いなんて思ってないでしょ! 朔のバカ!」
「ごめんな、姫。本当は存分に泣かせてやりたいんけどな」
旭さんの大きな手で頭を撫でられ、私は素直に頷いた。今からCM撮影があって、もうすぐ現場に着いちゃう。泣き腫らした顔で現場入りなんてしたら、たくさんの人に迷惑を掛ける事になる。
「朔が前向いたら泣かない」
無言で聞き入れてくれた朔が前を向いたから、私は深い呼吸で悩みを吹っ飛ばす。泣いたって何かが解決する訳じゃない。今までの私はこんな風に人前で泣いたりしなかったじゃないか。三人に甘え過ぎたツケがこんな所で顕著になった。大人の私を取り戻せ! なんて、心の中で何度も呪文のように唱えた。
朔のキスパニックで撮影の内容が頭から飛んでいた。事前に聞いて知っていたのに、現場に着いてから思い出して内心とっても焦る。今日撮るのはエステのCM。跡が付くから下着は付けないようにっていう注意事項を朝から実行していた癖に、どうして忘れていられたんだろう。
私は今、半裸に白い仮面を付けた姿をしている。半裸と言ってもカメラに見えないよう中に着てはいるんだけど、肌の露出がかなり多い。こんな姿で私は、メンバーの三人と艶っぽく絡まないといけない。いつもなら気にせず仕事と割り切って出来るのに、何だか朔とは気まずい。でも私はプロだから、プライベートの事は一旦頭の外へ追い出さないとならない。
撮るのは二パターン。最初は旭さんと翔平さんと私の三人の出番。二人共上半身裸にジーンズ姿で、私とお揃いの仮面で顔を隠している。まじまじ見たらじっくり見返されそうで怖くて出来ないけど、二人共良い体をしていた。程よい筋肉。旭さんなんて腹筋が割れている。真っ白なベッド上、シーツで体を隠している私を見た二人は目を丸く見開いたけど何も言わなかった。きっとさっきの車中での私の動揺した姿を見ているから、感情を揺らさないよう気を使ってくれたんだと思う。その気遣いは正解で、役に入り込んでいないと恥ずかしくて撮影にならなくなるから、私は今ホリホックの姫になりきっている。
撮影中はセクシーに、色っぽく。ベッドの端へ腰掛けた私は体を隠すシーツを右手で抑えながらも空いた左手で誘惑するように背後の翔平さんの頬に手を滑らせる。そんな私の足元には旭さんが跪き、私の片足を触れるか触れないかの柔らかなタッチで撫で上げた。
このCMにも私達の曲が使われる。旭さんの大人色っぽい曲に合わせてか、今の所CMのオファーはセクシーな雰囲気のものが多い。そして世間ではSakuと姫の絡みが大人気らしい。渋谷に貼られた香水のポスター、あれが原因。だから今回もスポンサーからの注文で、私と朔は二人きりで絡む事になっているんだ。
スタートの合図が掛かるまで、私は断固として朔と目を合わせなかった。
撮影がスタートすると同時、私は朔にそっと押し倒された。心の中では激しく動揺しているけど、顔に出さないよう気合で頑張る。私は、朔の唇が体を滑るのを眺める。触れない距離がくすぐったい。肌を掠める息も、掠めるように触れる掌も、私の心をざわめかせる。朔の唇が指先へと辿り着き、口付けられた。私を見上げ、朔は艶やかに笑う。そのまま朔は、何故か私の肩へ噛み付いた――
「バカ朔! 変態! 強姦魔!」
次の現場へ向かう車中、私は朔の腿を抓り上げる。
「噛んだけど挿れてはいねぇよ」
「生々しい!」
朔のあれはアドリブで、実は監督から褒められた。「エステで綺麗になった彼女への独占欲の表現、良いね」なんて喜びながら、CMで使う文言の相談がその場で始まってしまった。現場では高評価だったからこそ、私は今まで口をつぐんで我慢していたんだ。だって、あそこで騒ぐ程甘えた子供ではないつもりだから。
「強くはしてない。痛かったか?」
朔の手が噛まれた私の肩に触れ、私の顔にはかぁっと熱が上る。
「痛くは……ない。びっくりした」
いきなり優しくされると調子が狂う。俯いて静かになった私の頭に、大きな手が乗せられた。
「まぁでも、いくら褒められたからって女の子の体を噛むのはなぁ。これからは事前に相談しろよ、朔?」
「……気を付ける」
ワゴン車の真ん中部分のシートへ座っていた旭さんが体ごと振り向き、私の頭を撫でながら朔に注意する。素直に頷いて、だけど朔はいつものようにふいっとそっぽは向かず私を瞳に映し続けている。何だろうと思ったのと同時、朔がとんでもない事を口にした。
「据え膳うまかった。ごち」
わなわな震え出した私の頭から、逃げるように旭さんの手が離れる。大きく息を吸い込んだ私は両手を振り上げ、勢い良く朔の頬を挟み込んだ。バチーンッと盛大で痛そうな音が響き渡る。
「公私混同するな、バカ朔ッ!」
私の怒鳴り声が空間を揺らした。ボーカルだから一般人より声量がすごい自覚はある。でも反省しない。ここで反省すべきは朔だと思う。
「ちょっと姫君、顔はやめてよね」
信号で止まり、それまで黙って運転していた広瀬さんがこちらへ振り向いて口にしたのは私への注意だ。納得出来なくて、私は頬を膨らませた。
「朔も、バレたらバレたでおいしそうだけど今はまだ匂わせる程度で止めておいてね。噛み跡を付けるのは言語道断。こんなに可愛い彼女がいたら自分のだって主張したくなるのもわかるけど、今は我慢なさい」
頬を膨らませていた私は、続いて発せられた広瀬さんの言葉にあんぐり口を開けた。怒りは急速にしぼみ、困惑に取って代わる。
「え? 何? 私と朔はそういう関係じゃないよ?」
呆気に取られた私の様子を見て、広瀬さんも何かがおかしいと思ったのか首を傾げた。でも信号が青に変わり、車は滑るように走り出す。広瀬さんが何かを口にする前に、それまでずっと黙って成り行きを見守っていた翔平さんがこちらへ振り向き一冊の雑誌を差し出してきた。その顔は、たまに翔平さんが見せるにやにやと面白がっているような笑みの形に歪んでいる。開かれたページへ素早く目を通した私はその雑誌が何なのかに思い至った。ホリホックのインタビューが載っている雑誌だ。姫は謎のキャラで通す為インタビューの仕事に私は不参加で内容も知らない。
伸びて来た翔平さんの指がある部分を差し示し、私はその部分を読んだ。
記》世間では話題になっていますが、実際どうなんですか? 姫とSaku、恋人同士だったりするんですかね?
S》あー……ご想像にお任せします(笑)
「ば……ばか朔、否定しろーッ!」
思わず朔の首を絞めながら絶叫してしまった。怒り心頭に発する私を翔平さんは考えの読めない笑みを浮かべて眺め、旭さんは私を気の毒だと思ってくれていそうな表情を浮かべている。
私に首を絞められている朔は、ふいっとそっぽを向いた。
「嘘の中だけでも手に入れる気分、味わってみたかった」
私は一体どれだけ、気付かない内に彼を傷付けてきたのだろう。無自覚だった訳じゃない。優しさに甘えていた。それは無自覚より余程罪深い。
優しい世界は崩れ去り、隠されていた事実に直面した。朔が書いた「Sweet scent」。曲を付けたあの日胸に湧いた予感が現実のものになる時はきっと、すぐそこまで来ている。
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