第5話 繋がりの結末 2


 口論と男女入り混じった野次の声で騒々しかった空間に響き渡った、盛大な音。

 間髪入れずに私も手を振り上げ、桃園愛香の頬を引っ叩いてやった。怒った洸くんが駆け寄ろうとしたのは視線だけで振り返り、睨んで止める。足を踏み出し介入しようとした他の三人の動きも鋭く睨んで制止した。

「桃園さん」

 痛い痛いと喚いている桃園愛香に話し掛けるけど、聞いてもらえない。聞いてくれないどころか猫みたいに顔を引っ掻いてきたから、今度は二連続で引っ叩いてやった。

「桃園さんが洸くんに本気なら正々堂々奪えば良い。でももしゲームだからなんて思って行動しているのなら――ここだって現実だよ?」

 暴れようとする彼女の肩を無理やり掴んで押さえつけ、私が叩いた所為で赤く染まっている頬を今度はそっと撫でる。

「桃園さんは四人を本気で好き? それともゲームだから?」

「ゲームだからに決まってんじゃん! じゃなきゃあんな面倒臭い手順踏むもんか! どうせやるならイベントスチルを目の前で見たかったし文化祭だって……歌いたかった!」

「私もね、見たいと思ったよ。イベントスチルも、歌も。でもそれは本物が目の前で見られるからで偽物じゃない。気持ちがなかったらそれは偽物だよ。だからみんな、怒ってるんじゃないかな?」

「何よ、それ? だってゲームだもの……現実の私は、もう死んでるっ」

 彼女の涙と表情で気が付いた。この子は怯えている。もしかしたら、生まれ変わった事が怖かったのかな? 死んでしまった記憶を持っていて、でも違う人生を生きないといけなくて……今いるこの場所がゲームの世界だと思ったら余計に怖くて、前世との繋がりであるゲームにこだわるようになってしまったのかもしれない。

「この世界も現実で、でも怖い場所なんかじゃないよ」

 私の視線の先で桃園愛香の顔がぐしゃりと歪む。それと同時、彼女は崩れるようにして座り込んだ。怖かったんだねと呟きながら背中を撫で続けていたら、子供みたいに大きな泣き声を上げた彼女が縋り付いて来る。まるで溺れているみたい。必死に伸ばされた救いを求めるその手を私は、震える体ごとぎゅっと抱き締めた。

 こんな目立つ所でずっと泣かせているのもどうかと思い、振り向いてみたら洸くんが側に来てくれた。

「場所、移そう」

 洸くんの言葉に頷いたけど、桃園さんに縋り付かれている所為で立つ事が出来ない。困っていたら、生徒会長が桃園さんの肘を引いて立たせようとしてくれた。でも彼女の手が私から離れようとしなくて上手くいかない。

「大丈夫。一緒に行こう?」

 幼い動作で頷いた彼女は、差し出した私の手を握った。隣を歩く洸くんが不満そうな顔をしていたから、空いている手を伸ばして頭を撫でてあげる。私の為に怒ってくれたんだって、ちゃんとわかってるよ。いい子いい子と頭を撫でた手は洸くんに捕まり、連れて行かれたのは生徒会室だった。他の三人も一緒について来て、野次馬達はドアでシャットアウト。私は、泣き続けている桃園さんと並んでソファへ腰掛けた。洸くんは私の隣に立っていて、向かい側のソファには生徒会長が座り他の二人はその後ろに立っている。威圧感があってなんだか怖い。

「あのね……私、死んだの。あなたもでしょう?」

 震える声が、私に問いかける。洸くん以外の三人には理解出来ない会話だろうけど、今大事なのは目の前にいる女の子。

「うん。私も死んで、生まれ変わったんだよ。前世の記憶もある」

 彼女の恐怖を取り除く為にはきっと、同じ境遇にいて相談出来る存在が必要で、それは私にしか出来ない役目だ。

「怖くなかった? 私、車に轢かれて、痛くて、怖くて……気付いたらこの顔の子供になってて訳わかんなかったんだけど、恋歌のヒロインだって気付いて、ゲームだって、プレイしたら良いのかなって思ったの」

 彼女は、前世では十三歳で死んでしまったんだって。恋歌はその直前にハマってやりこんでいたゲームで、転生したのがこの世界だったからゲームを攻略して終わらせれば良いんだと考えたみたい。

 再度怖くないのか問われ、私は苦笑を浮かべた。

「私は病気だったから。三十代まで生きられたし、癌だと告知されて受け入れちゃってたからなぁ……もう一回生きられてラッキーってくらいにしか感じなかったかな」

 なんだかお気楽で申し訳ない。苦く笑いながら本心を告げたら何故か、泣きそうに顔を歪めた洸くんに抱き締められた。私は今、悲しみも恐怖も感じていない。前世の記憶を持っているだけで、今の私だって私だから。

 子供をあやすように背中を叩くと洸くんが離れてくれたから、私は再度桃園さんへ向き直った。

「とりあえず、ごめんなさいをしようか? 間違えに気付いたらまずは謝らないと、始められないよ」

 謝ったからって許してもらえるかはわからない。でもそれをしないと何にも始められないし前にも進めない。彼女の行動は間違っていたし、たくさんの人を傷付けた。

「あの……」

 桃園さんは目の前の三人へ向き直る。涙を制服の袖でぐいっと拭い、頭を下げた。

「説明、難しいんだけど……酷い事して、ごめんなさい」

 この出来事の説明は、確かに難しい。私が正確に理解出来ているのは桃園さんと同じ境遇だから。同じように前世の記憶を持っていて、同じゲームをした記憶もあるからだ。

「……話が、見えないんだが?」

 向かい側のソファに座っている生徒会長の眉間には皺が寄っている。

「桃園は俺達三人の心を弄び、更にはそれをゲームだと思っていたという事なのか?」

 それは確かにこの出来事を表すのに間違ってはいないんだけど……何だかそれだとまるで、桃園さんが悪女のように聞こえる。でも前世とかゲームの世界とか、どうやって説明したら良いんだろう。洸くんが信じてくれたのはきっと、私とのこれまでがあったからだ。

「前世とか死んだだとか、よくわかんないんだけどさ。愛香ちゃんは俺達を好きな訳じゃなかったって事で間違いない?」

 生徒会長の後ろで腕を組んで話を聞いていたフェミニストの二年生の言葉に、愛香ちゃんが頷いた。彼女の答えに怒りを露わにしたのは小柄で可愛らしい男の子。名前は……東雲剛しののめたける

「三股の挙句に好きじゃなかったとか、バカにするのも大概にしろよ!」

「そうだね。本当に最低だ。ごめん」

 たくさんの言葉を飲み込んで、東雲くんは頭を下げ続ける桃園さんから顔ごと視線を逸らした。

「……誰の事も、これっぽっちも、全然好きじゃなかった?」

 フェミニストの二年生――堂島どうじまみつるが再び口を開く。

「ごめんなさい」

 頭を下げて謝罪を口にし続ける桃園さんと傷付いた表情を浮かべる三人を、私は黙って見守る事しか出来ない。ここは流石に、口出しすべき場面ではないから。

「馬鹿らしい……」

 色んな感情を吐き出すように、生徒会長が言葉と共に深い溜息を吐き出した。それきり誰も口を開かなくなり、生徒会室は静寂に包まれる。

「連城洸にも、酷い事言った。ごめんなさい」

 静寂を破ったのは桃園さんで、彼女は私の横に立つ洸くんを見上げてから頭を下げた。それを見下ろしている洸くんの顔が、不愉快そうに歪む。

「ちぃは虐められて海外に逃げたりしないし、嘘つきでもない」

「うん、そうだね。……本当にごめんなさい」

 一人も、許すとは言わなかった。それは多分当然の事だ。でも私は笑みを作り、頑張ったねという言葉と共に桃園さんの頭を撫でた。だって彼女はきっと、ここまで一人きりで恐怖と戦っていたのだろう。エンディングを迎えないと終われないと泣いた彼女は、恐怖の終わりを目指して行動していたのだと思うから。もう怖がらなくたって良い。一人じゃないよと、伝えたかった。

「……あの歌、歌いたかったんだよね? ここにピアノあるし、歌っちゃう?」

 空気を明るく変えたくて、わざとおちゃらけてみる。このままみんなで暗く沈んでいたって仕方ない。この中で一番の部外者である私だからこそ、私にしか出来ない事がある。

 ピアノを使っても良いかの許可を洸くんに求めると、彼は仕方ないなっていう苦笑を浮かべて頷いてくれた。私はそれに後押しされるように、図々しくもピアノの準備を始める。そして私流のアレンジを加えつつ、ゲームの主題歌でありゲームの中でヒロイン達が作り文化祭で演奏するはずだった「恋歌」を奏でた。

 桃園さんは戸惑い歌おうとしないから、私は一人で歌い始める。無理矢理にでも巻き込みたくて笑い掛けると、躊躇いながらも桃園さんが歌い出す。

 複雑な想いを抱えているだろう四人の観客は私の突飛な行動に驚きはしたみたいだけど邪魔はせず、そのまま歌わせてくれた。主旋律を歌う桃園さんの声を邪魔しないよう時々ハモリを加えてみたりしながら最後まで歌いきると、ピアノの音が空気に溶ける余韻の後でパラパラと拍手が起こる。そしてそこで初めて、桃園さんが遠慮がちな笑みを見せてくれた。

 この出来事は、謝罪をした事によって形的には幕を閉じたのだけど、人間の心はそんなに簡単ではないのを私も理解している。だけど今後どうするかは桃園さんと彼ら次第で、私に何かが出来る事ではない。それでも桃園さんの事が心配で、何かあったら連絡してねと連絡先の交換をした。

「転生仲間なんだからさ、もう友達でしょう? だから遠慮しないでね」

「うん。ごめんね、ありがとう……千歳ちゃん」

 一連の騒動の後始末は生徒会長が請け負ってくれたから、私は帰る事にした。桃園さんは学校に残って自分に出来る事をしてみると言っていた。洸くんは早退して私と一緒に帰る事にしたみたい。

「ちぃ、痛い?」

 帰り道では重たく押し黙っていた洸くんが私の家に着いた途端泣きそうな顔で世話を焼いてくれる。左頬に出来た引っ掻き傷の消毒は染みたけど、まだ少し熱を持っている患部を冷やしながらソファへ体を横たえ、私は安堵の息を漏らした。

「やっぱり文化祭、連れて行くんじゃなかった」

 横になった私の顔を覗き込み、頭を撫でてくれている洸くんは悲しそうに顔を歪める。彼の心を軽くしてあげたくて、私は呑気な顔して笑って見せた。だけど洸くんは安心するどころか、余計に顔を歪めちゃった。

「心配性だなぁ。大丈夫だよ、洸くん。私強い子だから」

「知ってるよ。だから好きになったんだし。……ちぃ、変態に誘拐されそうになった時にもそうやって笑っていたんだよ」

 そうだっけ? って首を傾げた私を、優しい笑みを浮かべた洸くんが見つめる。

「その時も、今みたいに笑いながら震えてた」

 そう言われ見下ろした私の手は、微かに震えていた。

「だって、あんな殴り合いみたいな事したことないもん。男の人は四人揃って怖い顔してるし、上手く治めなきゃ桃園さんが危ないと思って頑張ったんだからね」

「うん。ごめん。一人で背負わせちゃって。俺のやり方もまずかったよな」

「それは……そうだね。洸くんのあんな怖い顔も声も初めてで、それも怖かった」

「ごめんね、ちぃ」

 慰めるように髪を梳かれ、優しいキスが降ってくる。途端に安堵が心を温めてくれたから、体を起こした私は洸くんに抱き付いた。

「怖かったから、ぎゅってして?」

「いいよ」

 洸くんの腕の中、私はゆっくり目を閉じた。

 違う自分として生きていた記憶と死んでしまった記憶を持ったまま生まれ変わった先は、何故だか前世でハマっていた乙女ゲームの世界。街の名前、学校の名前に登場人物や設定が、ゲームと同じこの世界。だけどシナリオ通りに進む訳では決してなくて、ここに生きる人々はそれぞれ自分の考えや感情を持っている。だからやっぱりこの世界だって現実で、誰もがちゃんと生きている場所なんだって……今日の出来事を通して私は改めて実感した。

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