Bonus track:それぞれ

1 翔平の

第45話 あ

     1


 開けてみても熱気を孕んだ風しか入って来ない窓の前。ぼんやり煙草を燻らせながら俺は、スタンドに立ててある相棒を眺める。

「どうすっかなぁ……マジで」

 中学の時に結成して、ずっと一緒に活動していたバンドが解散した。真面目に大学へ通っていたメンバーが就職するんだとさ。お前も夢ばっか見てないで現実見ろよとか言われたって、現実ってなんだよ?

 短くなった煙草をもみ消してもう一本。出そうとしたけど、空だった。

「くそっ」

 水色のソフトケースを握り潰しゴミ箱へ投げ捨てる。楽器ばっか弄っていたのにバンド仲間はバラバラで、アルバイトって身分しか手元に残らなかったただのフリーター。これが俺の現実だ。

「これが潮時とかいうやつか?」

 乾いた笑いを漏らして立ち上がる。財布と鍵、スマホを持って煙草を買う為外へ出た。

 梅雨も明けて夏の青空が広がっているのに心の中は土砂降りで、纏わりつく暑さが不快で堪らない。未来、将来、仕事に夢。いろんなものがぐちゃぐちゃになって心に降り注ぐ。夢は諦めなければ叶うなんてそれは、夢を喰う商売しているやつらの常套句。諦めないで叶うもんなら今まで出会った色んな奴らはハッピーに笑ってるはずだろう? まだもう少し、もう少し頑張れば……でも、頑張った先に光があるとは限らない。

 手に入れた煙草のパッケージを開けて、コンビニ前に設置された喫煙コーナーで一本取り出す。前を通った子供連れの母親に睨まれた。愛煙家にも厳しいこの世の中。火を付けた煙草の煙を胸いっぱいに吸い込んで、どこまでも高く淀んだ青空を見上げる。湧き出た溜息は煙と共に吐き出した。

 バイトは休み。バンドが解散したからやる事もない。とりあえず家に帰るかと思い歩き出した道の途中、スマホのバイブが着信を知らせた。液晶に表示された名前は松尾まつおあさひ。確か、いつだったか箱で会ったドラマーだ。スキンヘッドのそいつは才能があると思う。でも、才能だけでも夢は叶わない。運も才能の内とはよく言ったもんだ。

「もっしー? おひさー」

 心の中がどれだけ乱れていたって、俺の口から出るのは明るい間抜けぶった声。お前は何にも悩みがなさそうだよなってよく言われるけど、悩みがないやつなんているのかな。表に出したって解決する訳でもない。だから俺は、見せないだけだ。

「久しぶりだな。……あのさ、噂で聞いたんだけど、お前ん所のバンドって解散したんだって?」

「したしたー。マジ困っちゃったよー。どっかでベーシスト探してたりしないかねー?」

 俺は結局、まだ続けるつもりらしい。

「それがさ、探してるんだよ。だからお前に電話した。今から来られないか?」

「涼くんやめたの?」

「いや、ちょっと違う。実は俺、Rエンターテイメントからスカウトされてさ、ベーシストも探してるって言うから翔平どうかなと思って」

「それすげぇじゃん! 行く行く! どこ?」

 突然目の前に転がって来た、これは何だ? チャンスか? それなら俺は迷わず掴む。縋り付く。

 場所を聞いてから電話を切って駆け出した。

 家に置いたままだった相棒を取り向かった先で俺が出会ったのは、変な女の子。ダークブラウンのぼさぼさ髪を一つに結って、ダサい眼鏡にダサい服。前髪で顔を隠したその子に導かれ、俺の――俺達の夢は現実になったんだ。


 危うくデビュー話が掻き消えるかもっていう事態もあったけど、何とか持ちこたえて決まったデビュー。あの変な女の子のお陰。彼女はやっぱり変わった子だった。隠されている素顔が美女の中学生。何故かダサい格好でそれを隠してる。本人は趣味だとか言っているけどどうやら留学中の彼氏が嫉妬深いっぽいんだよね。Rエンターテイメントの社長子息らしいんだけど、ちょっと耳に挟んだ情報だけだと変な男なんじゃねぇかって心配になる。俺達の大切なお姫様。傷つけるやつは、許さない。

「朔さー、あんまり引っ掻き回すなよ?」

「……わかってる」

 朔はお姫さんがスカウトして連れて来たギタリスト。高校生の朔はどうやらお姫さんに片思い中らしく、今日やった曲作りで切ない詞を書いた。相手がいる子への片想い。あいつはあいつで悩んでるみたいだ。とりあえずは様子見だと決め、後から追いついて来た旭さんと顔見合わせて浮かべたのは苦笑い。学生ってのは甘酸っぱいね。


 俺は毎日のように旭さんと朔と過ごすようになった。バイトがない時には大抵三人であーだこーだ言いながら楽器を弄ってる。そこでするのは演奏の話だったり、朔の恋の話とか、俺と旭さんの過去の経験の事だったり色々だ。くだらない話も真面目な話も、思いつく限りの話を俺達はする。場所は大抵朔の家で、おやじさんが自宅でギター教室を開いてるから空いてる時にはそこでよく練習をさせてもらっている。朔のおやじさんは気の良い親父って感じの人で、俺らの演奏を気に入って応援してくれてるんだ。

「いてっ――あー、やべぇ切れた。親父! 弦切れた!」

 朔の演奏が止まって視線を向けた先、ギターの弦が切れていた。朔の声に反応したおやじさんがごそごそ棚を探ったけどどうやら見つからないみたいだ。

「ストックねぇや。悪いな、買って来い」

「マジかよ? だりぃ……」

 文句を言いつつも親父さんから金を受け取る朔。不愛想で口の悪いこいつ、実は素直で良いやつなんだよな。打ち解けてからはよく笑顔を見せるようになって、手の掛かる弟みたいで俺と旭さんは可愛がってるんだ。

「悪い。ちょっと弦買いに行って来る」

「俺も行くー。気分転換」

「俺も。ついでに何か食いに行くか?」

 朔のおつかいについて行く事にして、俺達は朔のおやじさんに見送られて外へ出た。

 いつの間にか夏が遠退いて季節は秋で、暑さで淀んでいた空気には冬の気配すら混じり始めている。三人並んでくだらない話をしながら歩き、電車で二駅先の楽器屋まで行って目的の弦を手に入れた。

 帰る前に何か食べて行こうと相談している途中、朔が何かに反応した。何処かへじっと目を凝らしたかと思うと、すたすた歩き出す。その行動に首を傾げつつも視線を向けた、朔が向かう先。そこにはなんと、お姫さんがいた。何やら様子がおかしい。男二人と揉み合っていて、連れ去らわれ掛けているように見える。旭さんと俺も駆け出して、俺達の大切なお姫様を助けに向かった。

 お姫さんの事は朔が救出したから、俺はお姫さんの連れらしい女の子の方を救出。美女の友達が美少女だった事にも驚愕したけど、そんな事よりもお姫さんの顔色が相当悪い。よっぽど怖かったんだろうな。この場は解散してお姫さんは家で休んでもらう事になって、俺にはお姫さんの友達の護衛任務が与えられた。

「聞いて良い? トラウマって何?」

 お姫さんの具合が悪くなった原因は、何かのトラウマらしいんだ。

 愛香ちゃんの瞳が、何かを確認するように俺の顔を映す。

「……千歳ちゃん、五歳の時変態に誘拐されそうになって、いたずらされかけたんです」

 どうやら愛香ちゃんの審査には合格したらしく、俺は答えを教えて貰えた。その事については信用してくれて大丈夫。俺はお姫さんを大切にするよ。

「今日も危なかったしねー。あれだけ美人だと大変だ」

「千歳ちゃんのダサファッションも、それが原因みたい」

 なるほどね。趣味というよりあれはどうやら、お姫さんが自分を守る為に纏った鎧って事か。お姫様を守る騎士ナイトが側にいないもんだから、姫は自分で鎧を纏って戦わないとならないんだ。

「そういえばさ、愛香ちゃんはお姫さんの彼氏を知ってるんでしょう? どんなやつ?」

 余計なお世話だろうけど、姫を守れる騎士の役目に相応しい人間なのかが気になった。でも、愛香ちゃんからの答えは芳しくない。

「一言で表すなら……鬼畜」

「え? それマジ?」

 冗談であってくれよと祈りながら聞き返したけど、どうやら愛香ちゃんはそいつの事が大嫌いなんだって事がわかった。

「一見爽やか王子様。だけどすっごい冷たい目をするし、怖い人。私は二度と関わりたくない」

「それって……お姫さん、大丈夫なの?」

 監禁までし兼ねない奴だとか、社長とお姫さんが話してるのを前に小耳に挟んだ事がある。

「千歳ちゃんには優しいみたい。でもそれは千歳ちゃんにだけで、怒らせると危険だと思う。皆さんも気を付けた方が良いですよ」

 とりあえずは、お姫さんに優しいなら様子見かな。彼女を傷つけたりするような男なら排除するけど。

「ちなみに愛香ちゃん、彼氏いるの?」

 結論は出たから話題の転換。だけど愛香ちゃんの答えは冷たかった。

「私、そういうの興味ないです」

「もったいないねー。美少女なのに」

「この顔、嫌いです」

 お姫さんといい愛香ちゃんといい、どうして綺麗な顔を嫌悪しているんだろう? お姫さんと近しい場所にいるらしい女の子。俺はこの子に、興味が湧いた。

「お姫さんの彼氏の話、聞く限りだとなんか心配。相談とかもしたいからさ、連絡先教えてくれる? もしお姫さんに何かあったらすぐに連絡するよ」

 素直に教えてくれちゃう愛香ちゃん。まだまだお子様なんだね。そんなんだと、悪いオオカミさんに食べられちゃうよ?

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