タチアオイが奏でる恋の歌

よろず

第一章 きっかけは前世との繋がり

1 幼馴染のお兄ちゃんは……?

第1話 幼馴染のお兄ちゃんは……? 1

     1


 行きつく未来、隣にいるのが俺でなくたって心の底からの笑顔を浮かべているならそれで良い。必死に俺は、そう思おうとしていた。


 俺だけの可愛い君。他の男になんて絶対渡さない。


 私は――


     ***


 いつもと変わらない、窓から差し込む朝の陽ざし。カーテン越しの光に覚醒を促された私は目を開ける。ベッドの中で手足を伸ばして眠気を飛ばし、朝食の支度をする為リビングへ向かった。毎日繰り返して来た一連の動作。だけど明日からは違う日常が待っている。住み慣れたこの家から、私だけがいなくなる。

「おはよう、千歳」

 朝のコーヒーを淹れるのはパパの役目。我が家で一番おいしいコーヒーを淹れられるのがパパだから。

「おはようパパ。あー……パパのコーヒがしばらく飲めなくなるなんて、寂しいなぁ」

 コーヒーの香りに包まれるリビングで、私はパパの胸へ飛び込んだ。自ら望んで両親を説得したから実現した事だけど、やっぱりいざ親元を離れるとなると感傷的になっちゃうみたい。

「いつでも帰っておいで。千歳の家は僕らがいる場所だからね」

「うん! 大好きよ、パパ」

 滲んだ涙はパパのシャツで拭いて誤魔化して、身を離した私はパンに挟む野菜やチーズやハムを用意する。簡単に終わってしまうそれらの準備が終わる前に、台所に立つ私の耳には玄関が開く音が届いた。誰かは確認しなくてもわかる。ママが買い物から帰って来たのだ。朝のパンを買いに行くのはママの役目。ママはパン屋に漂う焼きたてのパンの香りが大好きで、私達の朝食はいつも、ママが買って来てくれる焼きたてパンにパパが淹れるコーヒー、そして私が用意するサラダやスープって決まっているの。

 いつもと変わらない朝食風景。いつもと違うのは、部屋の片隅に大きなスーツケースがある事。私は今日、親元を離れ日本へ旅立つ。表向きは、日本の学校にとっても興味があるからって事にした。六歳まで住んでいた日本で中学生をやりたいんだって、私はみんなに嘘を吐いた。だって本当の理由はとてもじゃないけど話せない。もし口に出してしまったらきっと、頭のおかしな子か空想癖のある子だと思われちゃうんじゃないかな。

 両親にも言えない、私が日本へ行きたい本当の理由は――前世との繋がりを見つけたから。

 パパとママには前世の記憶があるって事も話していないんだ。前世の私は幸せな死を迎えられたとは決して言えないし、大人だった違う自分の記憶があってもこれまでは何にも影響がなかったから伝える必要もなかった。

 今回、国を跨いでまでの行動を私に起こさせたきっかけは、一枚の写真。前世の記憶なんてものがあるだけでも普通じゃないのに、見つけた前世との繋がりは更に異質だった。だからかな? 余計に気になって、気付いてからはいてもたってもいられなくなってしまったの。だから私は日本へ行く。両親には、日本での生活が恋しいのだと告げた。それは嘘なんかじゃない。前世でも今世でも、私の原点は日本だから。

 こちらで出来た友達とは昨日の内にお別れした。長期休暇には必ず帰って来るからまた会おうって約束を交わして。

 親からはもう三年待ったらどうかと提案されたけれど、今この時期じゃないと意味がないの。今じゃないと、見つけた繋がりは無意味になってしまう。私の我儘を聞き入れてくれた両親に手を振り私は、一人空港のゲートを潜り日本へ――前世との繋がりがある地へと旅立った。


 到着した空港で諸々の手続きを一人きりで終えた私はゲートを通り抜け、重たいスーツケースを引きずりながら迎えに来ているはずの知り合いを探して視線を彷徨わせる。

「ちぃちゃん、こっち!」

 探し人は大きく手を振り、私に存在を知らせてくれた。六年前と変わらない笑顔を見つけた瞬間、柔らかな安堵が胸に広がる。

「悟おじさん! お久しぶりです!」

 浅黒く焼けた肌に白い歯が眩しいこの男性は、私が六歳まで住んでいた家のお隣さん。父の友人で、これからお世話になる予定の人だ。そしてその後ろで優しげな笑みを浮かべている人が私の帰国目的。青年になりかけで少年のあどけなさが残る、爽やかな中に甘さが滲む超が付く程整った顔立ちをした彼は私の幼馴染、連城洸レンジョウコウ。私が見つけた前世との繋がりとは、彼の今年の春から始まるはずの恋愛劇なのだ。

 今世の私の名前は楠千歳くすのきちとせ。濃茶でゆるやかなウェーブのかかった髪に紫の瞳。日本人とイギリス人のハーフである私は、自分で言うのも何だけれど悪役がよく似合いそうな美人さん。前世の記憶によるとその容姿にも理由があって、私の役目は乙女ゲームのライバルキャラなの! 何言ってるんだって感じでしょう? 私自身もそう思う。でもこれは紛れもない事実で、私だって自分に起こった事じゃなきゃ信じない。だからこそこれは、誰にも言えない私だけの秘密。

 物心が付いた頃には既に私の中には大人だった違う自分の記憶があって、でも私はそれを特に気にする事なく今世を満喫していた。前世の記憶があるなんて特殊な事だけれど、私にとっては些細な事だった。それが大きな意味を持ってしまった原因は、一枚の写真だ。幼馴染である洸くんとはよくメールのやり取りをしていて、そこへ添付された彼の写真を見て私は繋がりに気が付いた。だって、その写真に写っていた洸くんの姿は前世で私がハマっていた乙女ゲームのメインヒーローと瓜二つだったんだもん!

「恋は音楽と共に」。通称「恋歌」。アイドルや歌手、音楽系の道を目指す者や既に仕事をしている人達が通う学園で巻き起こる恋愛模様を描いたゲームで、四人いる攻略キャラの内の一人が連城洸レンジョウコウ。彼の攻略ルートと逆ハールートで登場するライバルキャラが私、楠千歳くすのきちとせなの。洸くんが攻略されたりヒロインを取り巻く逆ハーレムの一員に加わったりしたら、私には転落街道まっしぐらな人生が待っている。でも、もしそうなったとしてもそこから這い上がるのも面白そうだし、ヒロインが現実でどう動くのかとか、きゅんきゅんスチルを間近で見たいと思ったから帰国して傍観する事に決めた。元々ゲームの千歳も洸くんが好き過ぎて一緒にいる為この時期に帰国していたし、私のこの行動は今後のストーリー展開の邪魔はしていないはずだから問題ないと思うんだ。

 空港まで迎えに来てくれた悟おじさんの車に乗り込んだ私は、六年振りに日本の我が家へ帰り着いた。これからこの大きな家で一人暮らしがはじまる。隣に連城一家がいるからこそ許された一人帰国だったけど、家事は自分で出来るから頼る気はあまりない。うちの父はピアニストで母はバイオリニスト。商売道具の指を傷付ける訳にいかないから、家事はずっと私がやって来た。私が六歳になるまでは日本での仕事が主だったんだけど、両親がオーストリアのオーケストラと契約してからはそちらに居を移し家族で住んでいた。

 荷物は事前に送って運び込んでもらってあるからまずは掃除かなと意気込んでいたんだけど、どうやら連城のおばさんと洸くんである程度のところまではやってくれていたみたい。

「日本落ち着くー」

 空気が違う。カーテンと窓を開けてから、長時間の移動で凝り固まった体を伸ばすようにして床へ寝転がった私を洸くんが上から覗き込んで来た。

「母さんがご馳走用意して待ってるから、荷物片付けたら行くよ」

「オッケー。でも時差ボケで眠い……」

「なら、起こしてあげるから少し寝たら?」

 六年間一度も会っていなかったけど、メールや電話は良くしていた。変わらず優しいお兄ちゃんな洸くん。前世の私に姉はいたけど兄はいなかったから、こうやって甘やかされるのって新鮮で心地良い。

「おかえり。ちぃ」

 眠りに落ちる直前、囁くように言葉を落とした洸くんに頭を撫でられる。空港でも挨拶したのに改めて言うなんて、歓迎されてるのかなと思えて嬉しかった。


 なんだか温かい。何かに包まれている。それが何なのかわからなくて、寝ぼけながらも手で探ってみた。……布? でも布自体のぬくもりじゃなくて、どうやらその下が熱源みたい。寝ぼけつつもその温もりが気持ちよくて顔を擦り付けるようにして身を寄せたら、柔らかな笑い声が降って来た。

「くすぐったいよ、ちぃ」

 予想外の距離から聞こえた低くて甘い声。驚いて、一気に目が覚めた。勢い良く目を開け見上げると、視界いっぱいに洸くんの顔。――ち、近い!

「起きた?」

 この甘い声と甘々な笑顔! ゲームで見たよ、聞いたよ! 生だ! 生の連城洸だなんて感動しつつじっくり観察してしまった。ゲームで見たスチルとまるっきり同じ顔だなんて考えながらぼけーっとしている私の髪を、洸くんが指で梳く。

「寝ぼけてるの? このまま寝ちゃう? ちぃのベッド、すぐ眠れるようにしてあるよ?」

 お兄ちゃんって存在は、こんなにも甘く優しいものなのか……私がオーストリアへ行く前にもよくこうして頭を撫でられた事を思い出す。ゲームなんて関係なく、洸くんは昔からとっても優しい。

「おばさんがご飯作ってくれてるんでしょ? 行くよ」

「眠いなら、昔みたいに抱っこして行ってあげようか?」

「もうそんな子供じゃないよ。中学生になるんだから」

 それに精神年齢は洸くんよりもかなり上のおばさんだし。起き上がって欠伸をしたら、大きく開けた私の口に掌を当てて「あわわわわ」なんてやって洸くんが遊ぶ。子供はどっちだ。十七歳はまだ子供だもんね。

「ちぃは大きくなったね」

 まるで確かめるようにして抱き締められた。

 ハーフだからなのか、発育は良いんだよね。身長だって既に百六十センチあるし、胸はCカップになった。前世でこの年齢の時の私はちまっこくて、まだスポーツブラをしていたはずだ。そんな事を考えながら自分の胸を両手で持ち上げていたら、私の手元を見た洸くんが目を丸くしてから真っ赤になりそっぽを向いた。

「ちぃ。そういう事、他の男の前でしたらダメだからね」

「しないよ。痴女じゃあるまいし」

 真剣な様子で言われたので真顔で返したのに、洸くんが浮かべたのは複雑そうな表情。もしかしたら、お兄ちゃんとしては心配なのかもしれない。

「大丈夫だよ! 私外ではダサ子だから誰も興味持たないって」

 私は家の外では地味でダサい子を目指している。五歳の時、知らないおじさんに誘拐されかけてそのまま変な事されそうになったもんだから身を守る為そうする事にしたの。変態さんは怖い。

「ちぃは可愛いよ」

 おばさんとおじさんが待っているだろうからそろそろ連城家へ向かおうと思い立ち上がった私は、背後から伸びてきた腕の中へ閉じ込められた。おへその前で手が組まれ、首筋にかかる吐息がくすぐったい。洸くんの心配性は昔からだ。変態おじさんの魔の手から私を救い出してくれたのは洸くんだった。真っ青な顔で必死になって助けてくれたあの顔は、今でも忘れられない思い出だ。そんな彼は私にとって、お兄ちゃんのような存在なの。だから、もし彼がこれからはじまる恋愛劇の中で幸せそうに笑うのなら、それを間近で見てみたいとも思ったんだ。

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