4 甘い香り

第17話 甘い香り 1

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 ずっとこの日を待っていた! 私は学校が終わると真っ先に教室を飛び出して、靴を履き替えたらノンストップで走り続ける。脇腹が痛くはなったけど、そこは肉体の若さがカバーしてくれた。自分の家の前を通り過ぎ、私が駆け込んだのは隣の連城家。

「洸くん! おかえりなさい!」

 リビングへ入ってすぐ、玄関の音を聞いて私の来訪に気が付いたらしき彼に出向かえられた。私は迷わず彼の腕の中へ飛び込む。

「ただいま、ちぃ。会いたかった」

「私も!」

 抱きとめられ、ハグされキスの雨を受け止めて、久しぶりの彼の香りとぬくもりに包まれた私の胸を満たすのは泣きたい程の幸せ。クリスマス前の二十三日、洸くんは休暇を利用して帰国した。今日から一月の半ばまでは日本にいられるんだって。おばさんも、今日はご馳走を作ると言って張り切っていた。

「時差ボケは? 寝なくて大丈夫?」

 昼の便で着いたはずだから、眠いんじゃないかなって心配。にっこり笑って、洸くんは私の唇に触れるだけのキスを落とす。

「ちぃに会えたのが嬉し過ぎて、眠気は吹っ飛んだ」

「そんな事言ってると、夕飯の時眠くてご馳走食べそこねるよ」

「ちぃも一緒に寝てくれる? 今日練習は?」

「みんなは集まってやってるんだけど、私は三日間お休みにしてもらったの!」

「なら着替えておいで。俺が眠ってる間、側にいてよ」

「うん!」

 笑顔で頷き、急いで自分の家へ行って制服からマキシ丈の楽なワンピースに着替える。解いた髪を梳かしてリップも塗って、鏡で点検。よしっと頷いてから連城家へ駆け戻った。

「ちぃちゃんったら、そんなに焦らなくても洸は逃げないわよ?」

 行って戻って来るまでがあまりにも速かった私の紅潮した頬を見たおばさんが楽しそうに笑った。私はそれにえへへっと照れ笑いを浮かべ、でも動きを止めず洸くんに飛び付く。だって、すごく会いたかったんだもん!

 一緒に洸くんの部屋へ上がって、抱き締められたままベッドに倒れ込む。私の髪を愛しげに梳いて、唇の感触を確かめて、目を閉じた洸くんはすぐに寝息を立てはじめた。

「おかえり、洸くん」

 会えない間に溜めていた会いたかった気持ちを込めつつ呟き、眠る洸くんの髪を撫でる。大好きな人のぬくもりへ身を寄せた私は、再会の喜びに浸った。


 次の日はまた、学校から連城家へ駆け戻り洸くんの姿を確認する。キスとハグをしてもらってから自分の家で着替えて舞い戻り、夜はおじさんとおばさんも一緒に連城家でご馳走を食べた。

 その夜、自分の家で寝る準備をしてからベッドへ潜り込んだ私のもとにサンタクロースが現れた。ノックの音で窓を開けると、彼はひらりベッドへ着地する。これも久しぶりで、嬉しくてにこにこ顔が緩んじゃう。

「ちぃ、これあげる」

 渡された箱から出て来たのは、香水だった。オーランシュさんの会社の香水。アメジストみたいな瓶で、大人な雰囲気。ゴールドの蓋を開けて手首へシュッと一噴きしてみると甘いミルクのような香りが広がった。次に感じたのはフルーティな香り。甘いけれど甘過ぎない、女性らしい色気を感じる匂いだ。

「良い香り」

 洸くんの中で私のイメージって、こんな香りなのかな。

「あともう一つ。これもあげる」

 シャラリと小さな音を立てて洸くんの手にぶら下がったのは、パフュームボトルのネックレス。ゴールドの鎖に小さくて可愛いボトルが付いている。掌に落とされた小さなボトルの蓋を開け、私は鼻を寄せた。

「洸くんの香りだ」

「そう。俺が使ってる香水だよ。俺もちぃにあげた香りのボトルを持ってるんだ。寂しくなったらこの香りで俺を思い出して」

 ありがとうの言葉と共にキスをして、私は明日渡そうと思っていたプレゼントの箱を取る為立ち上がる。小さく細長い箱。喜んでくれるかなって緊張しながら手渡して、嬉しそうに顔を輝かせた洸くんが包装を解き箱を開けるのを見守った。

「時計だ」

「自動巻きなの。放っておいたら動かなくなっちゃう」

 黒革ベルトで文字盤も黒い自動巻きの時計。私の代わりに、彼の側にずっといて欲しいと思ったの。

「毎日身に付けるよ。ありがとう」

 抱き締め合って、飽きずに唇を重ね合う。会えなかった時間を埋めるみたいに、お互い夢中になって相手のぬくもりに触れた。その夜はそのまま一緒のベッドで眠り、クリスマスの昼間は夜までのんびりDVDを見て過ごす。

「ねぇ洸くん。集中出来ないよ」

 ソファへ座ってレンタルショップで借りて来たハリウッドのラブコメディを観ているんだけど、隣から唇や手でちょっかいを出される所為で内容が全然頭に入ってこない。文句を言う私ににっこり笑いかけた洸くんの瞳は、狼化してる。

「いや?」

「いやじゃない。けど今は映画の鑑賞中です」

「ちぃは、何の為に映画館じゃなくて家で観てると思ってるの?」

「へ? 人混みが嫌だからでしょう?」

「違うよ。正解は、こうやってちぃに触れる為」

 甘い声でとんでもない事を言い出した。

 指先で耳を擽られたり、唇が指先を掠めたり、そのまま舌を這わされたり……最近の洸くんはどんどん容赦が無くなってると思う。心臓が痛い程速くなって、涙が滲んできちゃう。

「ちぃ? その顔、煽ってる?」

 煽ってない! 声に出したいのにそのまま唇を奪われ、ソファの座面へ押し倒されてしまった。言葉も息も飲み込まれて、頭がぼんやりしてきた私はそのまま翻弄される。だけど洸くんの手が不埒な動きをはじめて我に返り、咄嗟にストップをかけた。同意のもとでの行為だとしても、今の私は未成年。しかも中学生だ。大好きな人を犯罪者になんてしたくない。二人の中では共通認識で当然の事なんだけど、周りの人達にだって清い真面目なお付き合いなんだって認めてもらいたい。大切な人が周囲から白い目で見られてしまう可能性を考えるとどうしても、私の身は竦んでしまうんだ。

「ふ、老けてるけど、まだダメ!」

「触るだけも?」

「だ、だめ! 触ったら多分、余計に辛いよ?」

「……詳しいね?」

 にっこり不穏な笑顔を浮かべた洸くんの瞳に剣呑な光が宿り、私は焦る。前世に嫉妬するの、わかるけどやめてほしい! だって今の私にはもうどうにも出来ない事だもん!

「ちぃに触れたい。何歳になったら良い?」

「二十歳?」

「六年も待てない」

「……十八」

「あと四年もあるの? なら後二年はちゃんと我慢するから、二年経ったらギリギリまでは許してよ」

「は、犯罪です」

「犯罪でも良い」

 い、良いのか? でも私がバラさなければ良い事なのかな? あれ? でも、どうなんだ? 真剣な顔で断言する洸くんに、なんだか私の方が間違ってる気がして来た。中学生と大学生の恋って難しい。本当は後先考えずに求めてしまうのは未成年で子供である私の役割のような気もするけれど、前世の記憶というアドバンテージがあるからかどうしても私は諫める側に回ってしまう。それを洸くんがもどかしく思う気持ちだって理解できるし、私だって何にも考えずに恋人の腕の中で溺れてしまいたい。

「我慢する代わりに、たくさんキスさせて」

 ぐるぐる思考の渦にはまりはじめた私に再び覆い被さってきた洸くんのキスで、考える事を放棄する。精神年齢は大人だけど体はまだ子供という自分のアンバランスさに、はじめて本気で悩んだ。


 唇がぽってり熱を持つ程キスされて、テレビ画面が映すのはいつの間に終わってしまったのか、DVDのメニュー画面。くたり力が抜けて気怠い私の体が抱き起こされ、満足そうに微笑んだ洸くんの腕で抱き締められる。

「そろそろ、支度する?」

 DVDが終わっているという事は、そろそろ支度をはじめないといけない時間だ。時間を計算して観る映画を選んだから、急がないといけない事はわかる。だけどなんだか頭がぼんやりしていて、力も上手く入らない。骨まで溶かされちゃった気分。

「ごめん。やり過ぎたかな?」

 苦笑している洸くんに、私はこくこく何度も頷き抗議した。

「着替えさせてあげよっか?」

「い、良い! 自分で出来る!」

 優しい王子様スマイル。なのにとんでもない提案をする彼から体を離してなんとか立ち上がる。よろよろ二階へ上がる私を洸くんは、嬉しそうな笑顔で見送っていた。

 夜は、連城のおじさんとおばさんも一緒にクリスマスコンサートへ行く予定。私が着るのは、クローゼットから出しておいたパープルの膝丈ドレス。括れの所をリボンで縛り、おへその左横で大きなリボン結びを作る。ドレス負けしないよう薄っすら化粧もして、髪はパールの付いたコームですっきり夜会巻きにした。V字に開いた首元には、洸くんがくれたリングネックレスの上からパールが連なったネックレスを付ける。イヤリングは、一粒パール。最後に茶色いショート丈のファーコートを着て、鏡で点検した自分の出来に満足した私は自室を出て階段を下りた。

 リビングのソファには、既に着替えて支度を終えた洸くんが待っていた。スリーピースのブラックスーツに合わせるのは清潔な白のダブルカフスシャツ。ダークシルバーの織り柄タイと胸ポケットにホワイトチーフがコーディネートされたその姿は、本物の王子様みたい。彼の甘く優しい色気によくマッチしている。

「ちぃ、すごく綺麗」

「洸くんも。なんだか王子様みたい」

 お互いを褒め合ってから玄関へ向かう。靴を履こうとした私の首筋に、洸くんの鼻が擦り寄って来た。

「つけてくれたんだ?」

 洸くんがくれた香水。気付かれて、なんだか恥ずかしくて照れちゃう。赤く染まった私のうなじへキスをした洸くんが、耳元で囁く。

「気に入った?」

 声が出せなくなって、必死に首を動かす事でイエスだと伝える私を見つめた洸くんは、とっても幸せそうな顔で笑ってくれた。

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