第29話 赦されない恋の花 2
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広瀬さんには朔と一緒に私の家にいるってメールをしておいたから、時間になるとお迎えのワゴンがやって来た。制服がまだ生乾きだったけど、朔はそのまま鞄に突っ込んでいた。シワシワになるぞと思いながら、乾燥機に掛けてあげれば良かったなって後悔したけどもう遅い。
「二人、学校は?」
朔と私が家にいるのはおかしい時間だったから、広瀬さんに聞かれた。私はへらりと笑って誤魔化してみる。
「雨に降られて早退しました。ねー、朔?」
「あぁ。びしょ濡れ」
「今日は雨なんて降ってないじゃない」
「広瀬さん、高校生は色々なんですよ」
詳しく話す気がない事を感じ取り、広瀬さんはそれ以上突っ込んで聞くのはやめてくれた。
「眠いなら寝れば?」
走り出した車の中、さっき寝ておけば良かったと後悔している私に朔が言う。でも私は首を振った。
「寝たら喉も寝ちゃう。収録終わるまでは眠れない」
「ボーカルは大変だな」
「まぁね。寝ちゃわないように面白い話して」
「無茶ぶり。旭さん、なんかねぇの?」
私の無茶ぶりを朔は旭さんに投げる。ちょっと悩んで、旭さんはないって断言した。
「翔平、お前得意だろ。なんか面白い話」
「えー俺? んー……そういえば今日の収録、諫早に通ってたアイドルが来るんだって」
「へー、誰?」
「名前は知らないなぁ」
ダメじゃん! ってみんなでツッコミを入れる。結局話が終わり掛けて、でも翔平さんは後ろの席から朔と私の方へ身を乗り出し口角を上げて笑った。
「じゃあさー、なんで朔はお姫さんの家にいたの?」
「雨に降られたから」
「朔、今日は雨なんて降ってないってば。言えないような理由なんだ?」
「言えない訳じゃないけど……バケツをひっくり返したような雨が私の上に降って来て、ずぶ濡れお化けな私を朔が連れ帰ってくれただけ」
朔の返事じゃ翔平さんは納得していない様子だったから、素直に白状した。そしたら、途端に車内がシンとなる。想像通りの反応を前にして、私の口からは乾いた笑いが漏れた。
「それ……姫、いじめ?」
「なんでお姫さんそんな事になってんの? ホリホックの姫だってバレた訳じゃないんでしょ?」
旭さんまで後ろから身を乗り出して来て、翔平さんと二人ですごく心配してくれる。だから、私は綺麗に笑った。
「バレてないよ。理由はよくわかんないけど私は負けない。強い子だからね!」
「笑ってんな」
隣から朔の拳が伸びて来て頭を小突かれた。痛くないけど、痛いと言って笑う。
「お姫さん、笑わなくて良いんだよ?」
「俺らが学校行けないのもどかしいな。朔、何してんだよ」
「悪い」
「いやいや旭さん。朔は悪くないよ? 私は大丈夫だってば」
三人に頭をぐりぐり撫でられて揉みくちゃにされ、鼻の奥がツンとした。だからまた無理矢理笑って、みんなの手を握る。
「大丈夫なのに、そんな事されると泣いちゃうよ。……でも、みんな大好き。ありがとう」
三人の手を纏めて握ったら、ぬくもりにほっとした。じんわり心が温かくなって、私はなんて恵まれているんだろうと考えたら心底幸せな気持ちになれた。
今日の仕事はホリホックが初出演する音楽番組の収録。CM以外でテレビに出るのはこれが初めてで、ここからテレビへの出演も少しずつ増える予定になっているんだ。
衣装はミュージックビデオの時と同じく酒井さん監修。だけどドレスではなくてライブTシャツにジーンズとスニーカー姿なの。酒井さんもデザインに携わっているホリホックのライブ限定グッズは毎回短時間で完売してしまうくらい大人気。立葵の花をイメージしたオリジナルキャラクターも可愛いんだよね。私の手首には、ライブの時毎回付けている立葵の花のブレスレット。顔はお馴染の仮面で隠し、唇には真紅。そんな私に出された広瀬さんからの指令は、曖昧に微笑み「はい。いいえ」以外は口にしない事。トークは他の三人が担当するみたい。
「あれ? 君……」
出演者への挨拶回りの時、聞き覚えのある声に呼び止められた。それは若い女性に人気の男性アイドルグループで、メンバーの一人である背の高い男の人を、私は知っている。今はもう懐かしい、愛香ちゃんと仲良くなったきっかけでもあり前世と今世の繋がりの乙女ゲーム「恋歌」の攻略対象者だった人だ。キャラ設定はフェミニスト。当時の彼は高校二年生だった。
「やっぱり。連城先輩の、あー……文化祭で、会ったよね?」
言葉を濁した後で、彼は何故か私の隣にいる朔を気にする素振りを見せた。その視線の意味がわからず内心首を捻りつつも、私は先輩に対して頭を下げる。
「ご無沙汰してます。覚えてもらえていたなんて、光栄です」
翔平さんが車の中で話してた諫早に通っていたアイドルって、どうやらこの人の事だったみたい。名前は確か……堂島充。文化祭でのあの一回しか会っていないのに覚えられていた事に驚いた。
「印象的な出来事だったし、君の声も衝撃的だった。ホリホックの姫の歌声聞いてもしかしてとは思ってたんだ。ほら……事務所も連城先輩の所だし」
どうやら、洸くん繋がりで私を連想したみたい。なるほどねって私が笑顔で頷いていたら、堂島先輩と同じアイドルグループの人達が集まって来た。彼らへの挨拶に来たタイミングだったから、慌てて私は頭を下げて挨拶する。それに続いてホリホックのメンバーもはじめましての挨拶を交わした。
「充、姫と知り合いだったの?」
「どういう知り合い?」
「てかやば! 仮面の下ってこんなに美人だったんだ!」
世間には素顔を隠しているとはいえ業界の先輩方へ挨拶をする時に仮面を付けたままは失礼だから、今私達の顔に仮面はない。
「はじめてのテレビ出演なので先輩方にはご迷惑をお掛けする事もあるかもしれませんが、今日はよろしくお願いします」
きらきらしたイケメンアイドル達に囲まれかけた私を隠すようにして、旭さんがさりげなく前へ出た。
「生で見るとよりイケメンなんですねぇ」
社交的な翔平さんも前へ出て、会話が弾みはじめる。
「知り合いだったのか?」
旭さんと翔平さんの後ろで朔が耳打ちして来た言葉に私は頷く。
「数年前に一度会っただけなんだけどね、洸くんの後輩で愛香ちゃんの先輩なんだよ」
「へぇ……あぁ、諫早に通ってたっていう?」
「そうそう」
朔と話していたらいつの間にか、堂島先輩が所属するアイドルグループの一人に興味津々っていう視線を向けられていた。なんだろうと首を傾げたのと同時、質問が投げ掛けられる。
「姫とSakuってさ、やっぱりそうなの?」
「おい!」
ベビーフェイスでお姉さま方に人気の人だ。堂島先輩が慌てた様子でその人を窘める声を上げたから、私は曖昧に微笑むにとどめる。ここで本物の恋人の話とかを出すのもあんまりよくないだろう。どこから話が漏れるかわからないし、会社が作ろうとしているHollyhockのイメージというものもある。
「……連城先輩、今アメリカだろう?」
「はい」
「…………愛香ちゃんは?」
「今も、仲良くしてますよ」
堂島先輩が、ほっとしたように表情を緩めた。
「あんな事があって、彼女も転校しちゃったからさ……気になっていたんだ」
文化祭の騒ぎの後で転校した愛香ちゃん。あの頃愛香ちゃんに起こった出来事を、この人は知っているんだと直感的に思った。
「元気にしてるの?」
「元気ですよ。今は毎日楽しいみたいです」
「そっか」
それ以上、堂島先輩は何も言わなかった。ただ懐かしむような……少しだけ寂しそうな笑みを浮かべただけ。
「あのアイドルの彼、愛香ちゃんと何かあったの?」
堂島先輩達との挨拶を終えて別れてから、翔平さんに聞かれた。
「んー……愛香ちゃんが洸くんを嫌う原因になった出来事と、同じです」
「ふーん」
曖昧な答えで誤魔化した私に、翔平さんはそれ以上追及しては来なかった。
そうして出演者の方々への挨拶回りも終え、リハーサルの後で休憩を挟んでからの本番は生放送。セット裏で慌ただしく並ばされた私達は、この番組定番の音楽を聴きながら順番にスタジオに設置されたセットの階段を下りてからカメラへ向かってお辞儀する。
「今回初出演。Hollyhockの皆さんです」
司会の人に紹介され、私達は初めましての挨拶をした。
「皆さんは必ず仮面をしていますよね? 外さないんですか?」
「ライブでは外してます。ただ僕ら、恥ずかしがり屋なんですよねー」
トークは翔平さん主導で進める予定。私は司会者から一番離れた席へ座って微笑みを浮かべながら頷いたり、動作だけで反応する。
「仮面越しでも姫は美女ですねぇ。本名ですか?」
話を振られ、私は微笑を浮かべたままで首を振る。
「いいえ」
「違うんですねー。でもお姫様って雰囲気しますよね。皆さんはプライベートでも仲が良いとか」
トークでの私のお仕事はこれで終了。後は引き続き微笑んで頷いたりしていればオッケー。司会者の人とは翔平さんと旭さんが話して、朔も私の次くらい話さない。トークとか向いてないもんね。
では次は曲を披露していただきますと促され、椅子から立ち上がった私達はセット内の短い距離を移動する。薄暗いそこで、私は段差に躓いた。
「気を付けろ」
「ごめん」
隣にいた朔が咄嗟に二の腕を掴んで助けてくれた。無様に転ばなくて良かったと胸を撫で下ろす。
そんなこんなで収録も無事終わり、帰りの車内で私は眠たくて堪らなくて舟をこぐ。それに気付いた朔がこちらを向いて、小さく笑った。
「何もしねぇから、安心して寝とけ」
あまりにも優しい声に、眠りへ誘われる。意識が夢へと沈む間際、そっと頭の位置を直された。ぐらぐら揺れていた頭がぬくもりに触れて安定する。それで私の意識は完全に眠りへ落ちた。
目が覚めた時、私は朔の肩を枕にしていた。私が起きた事に気付いていないらしい朔の手が、私の髪を撫でる。心臓が変な動きをして、私は慌てて目を閉じた。
家に着くまでの短い時間、朔の手はもう、私に触れる事はなかった。
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