第40話 育む 2

     2


 我が家の練習室は稽古場に様変わり。楽器は全部端へ寄せ、四人で演技のお稽古中。この仕事が決まった時点でいくつかのワークショップに通って勉強はした。まずはじめるのは体をほぐして発声と滑舌練習。それが終わると立ち稽古。台本の読み込みは、各自で既に終わらせてある。最近は時間が出来るとこうして演技の練習をしてるんだ。

「伸一! 待ってよ!」

 伸一っていうのが朔の役名。今は私と朔、二人の出番を台本片手に稽古中。

「うるせぇ!」

 朔扮する伸一に縋り付き、私は突き飛ばされた所為で尻もちをつく。ここで涙を零す演技。役に入り込んでいれば、その役の気持ちになりきってしまっていれば、涙は自然と溢れてくるんだ。ぽろぽろと大粒の涙を零す私を、朔が渋い顔して見下ろした。

「礼奈、いい加減にしてくれ!」

「どうして? どうしてあんな子の方が良いの? 私の方が綺麗で歌だって上手いわ! それに――あなたを楽しませてもあげられる」

 セリフの途中で立ち上がり、涙を零したままで色っぽく朔へと絡みつく。二人の唇が近付いて、朔は不快感を露わにして再び私を突き飛ばさないといけないんだけど……

「バカ朔! 受けたらダメでしょ! 拒絶するの!」

 演技を忘れた朔は普通に私とキスしようとした。朔の両手は私を受け入れ、腰まで引き寄せて。あげくにとろとろの甘々な顔して自分から寄って来た。

「おー。お姫さん流石っす! 迫真の演技だったねー」

「姫は女優もいけるんだな」

 感心しながら拍手をしている翔平さんと旭さんは、床に座って見学中。今は私と朔のシーンだから二人はアドバイス係をしているの。

「演技、むずい。ハズい。ヤバい!」

 キスする直前で私に台本で頭を叩かれた朔は真っ赤な顔して蹲った。私は腕を組み、上から朔を叱咤する。

「めげるんじゃないよ! 朔が一番出番多いんだからね!」

「あー……なんで俺……?」

「そりゃぁ、この映画のターゲット層に一番人気なのが朔だからだ」

「そういうこと!」

 旭さんの苦笑交じりの冷静な言葉に同意して、私は朔を励ます為に屈んで肩を叩いてあげる。まだ十代の朔は若い女の子達に大人気。女の子だけじゃなくて若い男の子にも。この映画のターゲットはそういう若い子達だから、朔が相手役に選ばれたんだよね。ちなみに翔平さんも十代の女の子に人気があるけど、翔平さんのファンは二十代や三十代が多い。旭さんは大人の女性と男の人に大人気。世間での旭さんのあだ名はいつの間にかアニキで定着しちゃったみたい。

「なぁ千歳。俺、このシーンがやりたい」

 しょんぼり落ち込んだ朔が台本をぱらぱら捲って示した場所を覗き込む。私は再び朔の頭を丸めた台本で叩いた。

「そこ、私出ない」

「俺の練習。付き合えよ」

 口の端を上げて朔が笑ってる。本当に練習目的なのか、ちょっと疑わしい。だってここ、そういうシーンだもん。でも朔がミステイク出してこのシーンを何度もやるなんて事になったら嫌だな。想像しただけで胸の中がもやもやする。そのもやもやを排除する目的で大きく息を吸ってから吐き出して、私は勢い良く立ち上がった。

「ホリホックの未来の為、一肌脱ぐと致しましょう!」

 演技も出来ちゃうバンド、ホリホックを世の中に見せつけてやりましょう!

「きゃー。お姫さん素敵―!」

「流石俺たちの姫!」

 完全に観客気分の二人も後で扱いてやるんだから覚悟なさい!

 心の中で変なテンションの私は、そのシーンを読み込み集中する。演技プランが出来た所で、黙って見守っていた朔に頷いて見せて練習開始。

「スタート!」

 旭さんの掛け声で私と朔は、明日香と伸一になる。

「待てって、おい! 明日香!」

 逃げようとする私を、朔が止めた。手首を掴まれ、私は嫌々立ち止まる。

「放して」

「何怒ってんだよ?」

「別に」

「別にって顔じゃねぇって」

 言葉の通り私の顔は泣きそうで、唇を引き結んで溢れるものを堪えてる。

「伸一なんて、礼奈さんの所に行っちゃえば良いんだ!」

 心にもない事を叫んで、朔の腕を振り払った。そんな私を、朔が困惑気味に見つめる。

「どうしてあの人の名前が出てくんの?」

 私は答えず俯いた。焦れた朔が顔を覗き込む。

「何、泣いてんだよ」

「泣いてないよ」

「泣いてんじゃん」

 囁くような言葉の後で、朔がくれるのはキス。優しいその触れ合いに、私の目からは涙が溢れる。

「な、んで? キスなんて、しないでよ」

「わかれよ。俺の気持ち」

「そんなの、わかんない!」

「……好きだよ、明日香が」

「しんい――」

 唇が再び塞がれ、朔の口の中へ言葉が飲み込まれてしまった。零れた涙も感情も、全てを飲み込むような深い口付けに溺れそう――な訳がないでしょう!

「このむっつりスケベ!」

 私が朔を突き飛ばすと同時、丸められた台本が朔の頭に振り下ろされた。しかも二つ。パコンという間抜けな音と共に、旭さんと翔平さんが朔の頭を叩いて止めた。

「朔のバカ! 本番でも日向さんを襲うんじゃないでしょうね!」

「はぁ? バカじゃねぇの?」

「台本には確かにキスとは書いてあるけど、ディープなんてどこにもない!」

「知ってる」

「知っててどうしてこういう事をするんだ!」

「良いだろ、別に」

「良くないよ!」

 動揺と共に頭に血がのぼってしまった私は、朔と言い合いになる。だってなんか、腹が立った。想像したらすんごく、腹が立つ。

「はいはいそこまでー」

 私と朔の間に体を差し込んで、翔平さんが私達の言い合いを止めた。それで休戦にはなったけど、朔は不機嫌にそっぽを向いちゃった。

「姫だって、ヤキモチやくよな?」

 ぽんと乗せられた大きな手。私は頬を膨らませて、心とは反対の言葉を口にする。

「妬かないよ。仕事だもん」

 ぽんぽんと私の頭を撫でながら、旭さんは優しい顔して私を見てる。理解して貰えているのがわかってるから、私は平気で子供になれちゃうんだ。そういう甘えを許してくれるここが、とても好き。旭さんと翔平さんには、朔との事を特に報告したりはしてないけどきっと気付かれてるし、見守られている。

「お前の仕方ないが、俺は嫌いだ」

 そっぽを向いていた朔が私を睨む。

「だって……仕事だもん」

 綺麗に笑顔を作って見せたって、朔には見破られる。だから私は朔から目を逸らし、拗ねたように唇を尖らせた。「仕方ない」は、自分に言い聞かせる為の呪文。仕方ない。仕方ない。世の中は自分の思い通りにはならないものだから。そう言って納得した振りでもしていないと辛いだけだもん。

「良い子なお姫さんは俺が慰めてあげるから安心してね!」

 翔平さんからのハグ。素直に身をゆだね、私もハグのお返しをする。

「ありがとう、翔平さん」

「どういたしましてー」

 翔平さんの腕の中、頭に頬擦りされた私はくすくす声に出して笑った。そんな私の頬を、隙間から差し込まれた手が抓る。抗議の視線を向けた先には不機嫌な朔の顔。

「お前にしかしない」

「……するじゃん」

「仕事だ」

「だから、仕方ないでしょう?」

「そうだけど、そうじゃない」

 何が言いたいのかわからないよ、朔。

「気持ちがこもったやつは、お前にだけだ」

 言った途端真っ赤になって、朔が逃げだした。翔平さんの腕がいってらっしゃいって言うように開かれ、私は朔へ向かって駆け出す。練習室から逃走をはかった朔の背中へ飛び付いて、捕まえた。

「ヤキモチ、やくよ」

「……それで良い」

 素直に気持ちを言葉にしてみた私に与えられたのは、嬉しそうな朔の笑顔。世の中は「仕方ない」が溢れているけれど、そればかりじゃない。勝手に一人で飲み込んで、無理矢理納得してばかりの私。気持ちを吐露しても許してくれる相手がいるのって幸せな事だと思う。

「日向さん、可愛かった」

「そうか?」

「朔に色目使ってた」

「ふーん」

「朔の手、握ってた」

「そういえばそうだな」

「触らないでって、言いたかった」

「そうか」

 私のヤキモチを受け止めて、朔は微笑む。とっても嬉しそうな顔してにやけてる。

「仕方ないけど、嫌だよ」

「うん」

 褒めるように頭を撫でられ、抱き寄せられた。慰めるようにして朔の手が私の背中を撫でてくれる。そこから安心が広がって、とげとげしていたものが丸くなり、胸の中のもやもやも霧散していく。

「朔」

「ん?」

「浮気するなら、その前に私とちゃんと別れてね」

「ばーか」

 クローゼットの中に仕舞い込んだ洸くんとの思い出。それは今でもそこにある。朔が書いた詞に曲を付けて歌ったあの朝、ずるい私は朔に聞いたんだ。決心する後押しが欲しくて、捨てた方が良いよねって。でも朔は、捨てる必要はないと言った。捨てられない私の気持ちごと、向き合って一緒にいるよって言ってくれた。だから思い出は、捨てないで側にある。今はまだ胸が痛む思い出も、その内何でもない事のように手に取る事が出来るようになるのかな。

 来年、洸くんは日本へ帰って来る。その時私はどんな気持ちで彼におかえりを言うのだろう。

「千歳」

「なぁに?」

「泣きたい時は泣け」

「うん」

 目を閉じて、朔の温もりに包まれて、胸の中にある朔への好きを育てていく。

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