第二章 タチアオイのつぼみ

1 原石探し

第7話 原石探し 1

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 元々は洸くんの恋愛を傍観したくて決めた帰国だけど、洸くんとの恋愛の当事者となってしまった私。しかも当の洸くんはアメリカへ留学してしまい、私が日本にいる理由は実はもうない。だけど国を跨いでの編入って面倒だし、この一年で出来た中学の友達と別れるのも何だか寂しい。だから私は、洸くんのいなくなった日本で中学生を続けている。

 中学二年生になった私の毎日は平和で、あまり活動のない部活に入ってしまった所為で放課後も休日も運動部の同級生に比べるとかなり時間に余裕がある。前世では運動部に入って部活ばかりの中学生活を送っていたから、今世ではプライベートを大事にしてみたかったんだよね。

「千歳ちゃん、今日は部活?」

 帰りのホームルームが終わり、クラスメイト達は鞄を持って続々と教室を出て行く。そんな中で仲の良い友達に声を掛けられ私は笑顔で頷いた。

「うん! ちょっと寄ってから帰るつもり」

「水やり部なんて辞めてうちの部入れば良いのに」

「ほんとだよ! 一緒にバスケしよう!」

 バスケ部は派手目の子が多い部活だから、ダサ子スタイルでは確実に浮きそうで嫌なんだよね。

「運動部はなぁ……」

 首を横に振ると違う友達が声を掛けて来る。

「なら吹奏楽部?」

「楽器もなぁ……」

 家にはピアノがあるから好きな時に弾けるし、楽器は幼い頃から身近にあり過ぎた所為で新鮮味がない。

「じゃあ何が良いの?」

「園芸部かな。花の世話も楽しいし、将来は公務員になりたいから空いた時間で今から勉強しないと!」

 ここ最近の、仲の良い友達同士で流行っているお決まりの流れ。私のこの答えを聞くとみんな「うへぇ」って声に出して顔を顰めるの。友達はみんな、もっと可愛らしい夢を口にする。だけど私は一度大人になった記憶があるもんだから、夢に夢を見られないんだよね。安定ってとっても魅力的だと思う!

 クラスの友人達と別れ、私は一人校庭の一角へ向かう。園芸部の活動は基本的に週二日。土日の活動はほとんどない。週二日の活動内容は、顧問の先生から植物の事を教わって自分の好きな花や野菜を植えて世話をするくらい。部員数は全部で六人。だけど全員個人主義者なのか、みんなで力を合わせて何かをしよう! って雰囲気にはならないの。それぞれ好きな花を愛でて、好きな野菜を育てて収穫しておすそ分けし合って、のんびり活動しているんだ。

 短い部活動を終えて学校から帰ると、私は着替えてから連城家へ向かう。洸くんがいた時にもよくお邪魔して夕飯をご馳走になっていたんだけど、洸くんがアメリカへ旅立ってからはおばさんが一人の夕飯は寂しいからって理由でお呼ばれしてるの。私も毎日一人きりは寂しいし、お言葉に甘えて夜は毎日連城家にお邪魔しているんだ。

「おばさん、ただいまー」

 制服から楽な服に着替えた私は勉強道具を持って連城家のリビングのドアを開ける。

「おかえり、千歳ちゃん。今日は学校どうだった?」

「楽しかったよ! 放課後は部活で花壇の水やりして来たんだ」

「この時期は何が咲いているの?」

 リビングでおばさんが洗濯物を畳んでいる所だったから、隣に座ってお手伝いしながらのおしゃべり。私は今日見た花壇の様子を思い出しつつ話を続ける。

「色んな花が咲いてるけど、今はアヤメが一番綺麗に咲いてるかな。そういえば先生が、もうすぐ梅雨だから立葵が楽しみだなって言ってた」

「梅雨といえば紫陽花じゃないの?」

「そうなんだけど、立葵も梅雨の花なんだって。別名でね、梅雨葵ともいうんだってこの前教えてもらったの。立葵の一番下の花が咲いたら梅雨の始まりで、一番上の花が咲くと梅雨の終わりなんだってさ」

「へぇ……園芸部も、何だか面白そうね」

「うん! 結構面白いよ!」

 顧問の先生からの受け売りを話して、私は得意になって笑う。

 洗濯物の片付けが終わった後、私は勉強道具を開いて今日出された宿題をこなす。一区切り付く頃にはおばさんが夕飯の支度を始めるからそれを手伝って二人で夕ご飯を食べるの。悟おじさんが帰ってくる時間はその日によって違うから、夕飯が終わって一息ついた辺りで私は自分の家に帰るようにしてるんだ。

「良かった! ちぃちゃん、まだいた!」

 食後のお茶を飲みながらおばさんと一緒にテレビを見ていたら悟おじさんが帰って来た。帰宅してすぐの第一声に、私とおばさんは二人で首を傾げる。おばさんと一緒にしたおかえりの挨拶に簡単に答えてから、何故か悟おじさんが私の目の前で正座した。

「実は、頼みたい事があるんだ」

「どうしたの?」

「ちぃちゃん頼む! ちぃちゃんの耳を貸して欲しい!」

 なんと、悟おじさんが土下座した。

「ちぃちゃん、耳が良いだろう? 売れそうな音の原石探しの手伝いをしてもらいたいんだ」

 悟おじさんのその言葉で、何となくの察しはついた。

 私の両親はプロのピアニストとバイオリニスト。そんな両親のもとで育った私は二人の職場にもよく顔を出していた。最高級のプロが集まる場所で幼い頃から本物の音に触れていたから自然と耳が肥え、隠れた特技が身に付いたんだ。売れる音、売れない音。それが何となくわかってしかも、大抵それは当たる。

「今度うちでモデルの歌手デビューをプロデュースする事になったんだけどさ――」

 悟おじさんの話だと、どうやらそのモデルの歌唱力はそこそこ。良い曲を使えばまぁいけるレベルで、話題性もある人だから売れはするだろうっていう感じらしい。

「でも先方の希望で曲は向こうが決める事になってさ、しかもソロじゃなくてバンドが良いんだって。Rエンターテイメントなら良いバンドメンバーごろごろいるでしょうって……」

 大きなため息を吐いて、悟おじさんは頭を抱えてしまった。

「うちの名前使って世に出すんだ。そこそこレベルなんて許せねぇ! 結城彩瑛の歌唱力なんて中の下だ! 曲だってこっちに選ばせてくれりゃぁ良いもんをあぁチクショウ! こうなったらボーカルの歌唱力カバー出来るくらいの本物用意してやろうじゃねぇかってんだ!」

「ちょっとあなた落ち着いて? 子供の前よ」

 おばさんに言葉使いを注意され、ヒートアップしていた悟おじさんは少しだけ落ち着いたみたい。またまた深い溜息を吐き出して、再び土下座。

「だから頼む、ちぃちゃん! おじさんを助けてくれ!」

 一通りの事情はわかった。床に額を擦り付けるようにして頭を下げたままの悟おじさんのつむじを見下ろし、私は短い時間考える。

「いいよ」

 私の答えを聞いた悟おじさんが勢い良く顔を上げた。必死の形相過ぎて、ちょっと怖い。

「いいの?」

「うん。放課後は勉強以外やる事ないし」

 目指せ公務員! を目標に掲げる私。今世はかなり勉強を頑張っているから実は学年一位の成績なの。だからちょっとくらいサボっても良いよね。だって、原石探しって楽しそうなんだもん。

「ありがとう! 助かる! 愛してるよちぃちゃん!」

「悟おじさん大袈裟。痛いよ」

「まぁ……私には最近そんな言葉は掛けてくれないじゃない」

 力一杯私を抱き締めていた悟おじさん。おばさんの言葉で一瞬固まって、しどろもどろになりながらもおばさんへと向き直る。

「ゆ、夕紀奈。子供の前だぞ」

「あら、愛の言葉こそ子供の前で言うべきよ。ねぇ千歳ちゃん?」

「言うべきだと思うー」

「ちぃちゃんまで何を……」

 悟おじさんは困った顔。私とおばさんは悟おじさんに圧力を掛けるようにして見つめつつ、こっそり視線を交わし笑い合う。

 色黒でわかりづらいけど、悟おじさんの顔は赤く染まっている。照れて視線を彷徨わせて最終的に、悟おじさんはおばさんの瞳を覗き込んだ。

「愛しているに、決まってるだろう」

「ふふふっ。私も愛しているわ、悟さん」

 熱々らぶらぶって良いよね! うちの両親とはまた違った感じの夫婦のらぶらぶな様子に、私まで幸せな気分になった。


     *


 熱気と音が充満するライブハウスで、私は目を閉じ音の欠片を拾う。演奏者が訴えたいもの。技術。何かが色付くような音。そこそこはいる。でもガツンと来る何かが欲しい。それは、そんな簡単には見つからないんだ。

「ちぃちゃん、どう?」

 隣に座っている悟おじさんに聞かれ、私が浮かべたのは苦笑い。その表情で理解した悟おじさんは、がっくり肩を落とした。

 悟おじさんに土下座されたあの日以降、私の放課後はライブハウス巡りに当てている。放課後だけじゃなくて土日も使って原石探しの真っ最中なんだけど、簡単に見つかるものなら悟おじさんは私に土下座なんてしなかったと思う。どこかに絶対ある本物の原石。輝く宝石の欠片。探して探して、一体どれだけのライブハウスに足を運んだのかもわからなくなって来て……気付けばいつの間にか、蝉が鳴く季節になっていた。

 ここ最近は毎日、学校から家に帰って着替えるとすぐに悟おじさんが迎えにやって来る。悟おじさんと二人の時もあれば、会社の人が一緒の時もある。だけどどうやら今日は二人きり。悟おじさんが運転する車の助手席に乗り込み、日課となった原石探しへと向かう。

 薄暗い箱の中、中々収穫が無い所為で疲れた溜息を吐きつつも私達は最後のグループがステージに上がってスタンバイする様子を期待せずぼんやり眺めていた。

「悟おじさん……ドラム、この人が欲しい」

 鈍器で殴られたような衝撃に襲われ、うちから溢れた震えが私の体を揺らす。今はあんまりやる気のない音を出しているけれど、本気が聞きたくなる音だ。

「このバンド、ドラムと歌詞は良いと思う」

 気だるい感じでドラムを叩いているのは、スキンヘッドが特徴的なワイルド系の格好良さがある人。悟おじさんは演奏が終わる前にライブハウスの人に紹介してもらえるよう声を掛けに行ったから、私はそのまま演奏を聴いていた。

 演奏が終わり、ライブハウスの人から話を聞いたらしき彼が戸惑い顔でこちらへ歩み寄ってくる。震えた体の余韻に支配されていた私は思わず、スキンヘッドの彼に駆け寄り力一杯手を握った。

「あなたのドラム、本気が聴きたいです!」

 いきなりで自己紹介もなしだったから、とっても怪訝な表情で首を傾げられてしまった。苦笑いの悟おじさんが私の後ろからやって来て、名刺を渡して呼び出した目的を告げると彼は目を見開いた。呆然とした様子で名刺を穴が開く程見つめている。

「あ、すみません……名前、松尾まつおあさひです」

 少しの間の後で、我に返ったように彼は口を開いた。

「松尾くん、年は?」

「二十三歳です」

 悟おじさんが、守秘義務でまだ言えないけれどとある芸能人のプロデュースの話がある事とそのバンドメンバーを探している事を告げてから彼を勧誘する。そのまま、考えてから連絡しますって感じで初対面が終わりかけたんだけど……それじゃあ納得出来なくて、焦った私はおじさんを仰ぎ見た。

「ダメ! 待って! 悟おじさん、今旭さんのドラムを聴けないかな?」

 私のお願いに、おじさんはちょっと待っていなさいと言ってライブハウスの人へ交渉しに行ってくれた。

 無事許可は下りて、絶対本気でやって下さいという注文を付けてから演奏してもらう。最初の一音で、全身が痺れたみたいになる。これだ、この音。私は感動で震える手を握り締めた。音の余韻が消えてすぐに、私はステージ上の旭さんへ駆け寄り感動のままに抱き付く。

「あなたが欲しいです! 絶対良い返事下さい! 他のメンバーも頑張って探しますから! ね? お願い!」

「いや、あの……君は?」

 そう言われ、自分の紹介がまだだった事を思い出した。恥ずかしさで少しだけ冷静になる。

くすのき千歳ちとせっていいます! バンドメンバー探しのお手伝いをしてるんです! 私、旭さんの音に惚れました!」

 旭さんは縋り付いたままの私を見下ろして、苦笑した。旭さんはとっても背が高い。洸くんより大きいから、百八十センチは超えていそう。

「バンドメンバーにも相談して、考えてみるよ。……でも、そんなに熱烈な告白初めてだから嬉しい。ありがとう」

 絶対連絡下さいねって念押しして、旭さんとは別れた。

 空気のこもったライブハウスから夜でも衰えない夏らしい熱気の中へ踏み出しても興奮が収まらず、私の心臓は早鐘を打っている。メンバー探し、改めて頑張ろうと気合が入った。


 旭さんからは三日後に返事が来た。元々バンドメンバーのやる気も無くなっていて解散話が持ち上がっていた所だったんだって。今回の勧誘で完全に解散しちゃったなんて聞かされたら、益々責任重大。それに期日も迫っている。でもだからって適当な所で妥協するなんて考えは私の頭にも悟おじさんの頭にもない。

 本物の原石、一つのピースは見つかった。残り二つをまがい物で済ませるなんて絶対に嫌。

「知り合いで良いベーシストいるんですけど、聴いてみます?」

「お、是非聴きたいね!」

 そうは言っても悟おじさんも私も、ライブハウス巡りには疲れていた。だから旭さんの提案は渡りに船で、旭さんの言うベーシストは電話したらすぐに来てくれる事になった。

 待ち合わせ場所に現れたのは、あちこち跳ねた髪の上半分だけをゴムで括ったタレ目のお兄さん。ベースが入っているのだろうギグバッグは使い込まれていて、持ち手が擦り切れている。ギターよりも大きくて重たいベースを軽々背負った彼は、人当たりの良い笑みを浮かべて私と悟おじさんを瞳に映した。

「こいつとはライブハウスで会ったんですけど最近バンド解散しちゃって、今はフリーなんですよ」

「はじめましてー。篠塚しのづか翔平しょうへい、二十二歳でっす! ベーシストしてまーす」

 話し方と動作から推測できる彼の性格は、お調子者タイプ。でも確認の為に盗み見た指が彼のこれまでを物語っていた。たくさんたくさん、楽器に触れている人の指だ。

 おじさんの会社へ移動してから会社内のスタジオで旭さんのドラムと合わせて演奏してもらう。腹の底へ響いた低音に、笑みと震えが止まらない。掴んだ音を両手で握り締め、私は満面の笑みを浮かべながら悟おじさんを見上げ頷いて見せた。悟おじさんの口元も緩んでる。

 満場一致でベーシストも決定して、二人は悟おじさんと大人同士の大事なお話。契約だなんだの話に私は関われないから、少し離れた場所で待っていた。話が終わって悟おじさんが彼らに背を向け、私のもとへ戻って来る。

 その時私は見たんだ。

 悟おじさんの背後で、ベーシストの彼の顔には滲み出すような喜びが笑みとなって湧き出した。小さく拳を握り締め、叫び出しそうなのを唇引き結んで我慢してる。同じく嬉しそうに笑った旭さんに拳で肩を叩かれた彼は震える手を誤魔化すように鼻を擦る。喜びを分かち合うドラマーとベーシストの姿に、私の責任が重さを増した瞬間だった。

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