5 愛香

第54話 前世と今世

 最後の記憶は鳴り響いたクラクションと眩しい光。激しい衝撃と痛みに襲われたと同時にぷっつり意識は途切れ、気付いた時には桃園ももぞの愛香あいかとして私は生きていた。その記憶が何なのか、今の自分は何なのか、平穏に過ぎていく日々の中で一人混乱し続けた。私の中に、違う人間として生きていた記憶がある。それだけではなくて死んだ記憶まで。そして、その記憶と今の私を繋ぐものはある一つの――ゲームだったんだ。

 名前が一緒だった。まだ幼いけれど、その顔にも見覚えがあった。親に確認してみれば同じ名前の高校が存在した。だから私は思ったの。ゲームをやれば良いんだって。これはきっと、神様が若くして死んでしまった私にくれたプレゼントなんだ。そう納得してからの私は、ゲームのように自分のステータスを上げる事に集中した。ゲーム開始時点と同じ所まで自分の能力を上げさえすればきっと、あとはシナリオ通りの幸せが私を待っているのだと思い込む事でこの生を受け入れた。今思えば、ハッピーエンドの先がどうなるのかなんて考えもしなかった。クリアしてしまえばエンディングで、終われる。終わりたかった。桃園愛香としての生は私にとって、ただの恐怖でしかなかったから――

 待ちに待った入学式。私の頭の中には忘れないよう何度も反芻し続けたゲームのシナリオと正しい選択肢しかなかった。最初のイベントは、裏門側にあるゴミ捨て場。そこにはシナリオ通り連城洸がいて、私のバレッタは壊れて、落ちた。

「ちぃ?」

 やっと終わりが始まった。そう思って歓喜で震えそうになるのを堪えていた私は想定外の出来事に驚愕した。連城洸が私に気付かずどこかへ駆けて行く。向かった先には妙な女がいて、連城洸は彼女しか見ていない。連城洸が「ちぃ」と呼ぶ女の子。それは楠千歳だとすぐに思い出した。連城洸ルートのライバルキャラだ。でも彼女がここで登場して分岐が生まれるシナリオはなかったはずで、楠千歳の服装も妙だ。彼女はプライドが高いから、あんなにダサい服は着ない。いつでも自分の魅力を存分に発揮していて自身満々に連城洸に迫っていたはず。

 ゲームのシナリオにイレギュラーを起こしたその女、そいつは私と同じなんだと気が付いた。彼女は「恋歌」のゲームを知っている。だから、自分が破滅するのが嫌で邪魔したんだと私は思った。

 初っ端のイレギュラーには動揺したけれど、連城洸以外は記憶の中のシナリオ通りに事は運んだ。連城洸のイレギュラーの所為で不安になりイベントを起こしまくってしまった所為で逆ハールートを突き進む羽目にはなったけど、エンディングさえ迎えれば良いんだ。大丈夫。自分に言い聞かせるけれど、やっぱり連城洸の存在はイレギュラーで、彼だけはゲームの通りにはならない。そのバグが私の恐怖を煽った。だって、逆ハールートに入ってしまっているのに連城洸とのイベントは一向に起こらない。進まない。連城洸を攻略出来なければエンディングが迎えられない。終われなかったら、私は一体どうなるの?

 恐怖に支配されながら、私は連城洸に付き纏った。私がヒロインなのに、私が主役のゲームなのに、連城洸は私に全く見向きもしない。理由を考えて、思いつくのはあの女。イレギュラーを起こしたあの女が、私の邪魔をしている。

 文化祭で、歌うはずだったのに降ろされた。

 これまではずっと優しかった攻略キャラ達が私を冷たい瞳で睨んでくる。

 怖い、怖い怖い怖い――――

 私はどうなるの? 死んだはずの私はここでどうしたら良いの? クリア出来なければ終われない。終われなければ私はどうしたら良い? ぐちゃぐちゃな気持ちを、見つけた彼女――楠千歳へぶつけた。

 殴って、殴られて、怒られて、話しをして……

 彼女の温もりに包まれ、私は救われたんだ。そうしてやっと、ゲームなんて関係ない、前世の記憶になんて縛られない、今生きているここを現実として受け止められたの。現実を受け止めてからはそれまでの自分の行いが返って来たけれど、千歳ちゃんがいてくれたから大丈夫だった。彼女が私の弱さを受け入れて寄り添ってくれたから。だから今、私はここで桃園愛香という私として笑えている。

「プロポーズってどんなのだったの?」

 千歳ちゃんとの友人関係は今でも続いていて、彼女がオフの時にはこうして彼女の家へ遊びに来るんだ。そこでケーキやお菓子を食べながら女子トークを繰り広げるの。今日の話題は、千歳ちゃんと朔の結婚について。二人は先日、晴れて夫婦となった。

「書けって、婚姻届けを渡された」

「それだけ?」

 それだけのはずがないと思って私は聞いてみた。だって、二人のこれまでを私はかなり詳しく知っている。千歳ちゃんから聞いていたっていうのもあるけど、今は私の恋人になった彼が、二人を心配しながら教えてくれていたから。

 私の視線の先では千歳ちゃんの顔が、幸せ色に緩んでいく。可愛いな、女の子のこういう表情。

「曲をくれたよ。アコギを弾きながら、朔が作った曲を歌ってくれたの」

 よっぽど素敵な曲だったんだろうな。千歳ちゃんの表情がそう言ってるもん。

「どんな曲? 聞きたい!」

「ダメ。これは私だけのものだから。朔にも、他の人には聞かせないでってお願いしたの」

「なら、世の中には出さないの?」

「うん。私だけの、朔の歌」

「それはそれで指輪のプロポーズより素敵かも!」

 羨ましいってはしゃぐ私に、千歳ちゃんは同意して笑っている。大好きな友達が幸せそうなのって本当に嬉しいな!

「愛香ちゃんは? 翔平さんとはどうなの?」

 聞かれ、私は紅茶へ手を伸ばす。

「まだ。そういう話は出てないよ」

 翔平さんはとても素敵な男性で、一緒にいると楽しいし、あのタレ目で微笑まれると胸がキュンとなる。優しいけど結構意地悪で、私はきっと、いつでも彼の掌の上で踊らされちゃってるんだと思う。でもそれが嫌じゃないの。だって、彼の意地悪は不快になるものじゃなくて、意地っ張りの私の本音を引き出す為のものだから。

「幸せそう」

 紅茶を一口飲んだ私の額を、千歳ちゃんがテーブル越しに手を伸ばし指で突ついた。私は頬を緩ませ、頷く。

「うん。幸せだよ」

 お互いに自分の相手の事を思い浮かべてデレデレの幸せな笑いを滲ませながらケーキをつついた。

「結婚式はしないの?」

 私の友人の中ではまだ結婚するような子っていないから、前世を含めて結婚式って出た事がないんだよね。だから出てみたいな、なんて自分の願望も込めて聞いてみたんだけど、残念ながらやらないんだって。

「前世ではどうだったの?」

 結婚式は興味がないと言った千歳ちゃん。前世は既婚者だったと言っていたから聞いてみた。

「確か……やったかな? でも、なんか面倒なだけだった気がする」

「えー、夢が壊れるー」

「多分、私には向いてなかったってだけだよ」

 こうして私達はたまに、自分達の前世についての話をする。だけど最近はその頻度も減って来て、段々とその記憶も薄れて来ているような気がするんだ。

「千歳ちゃんは朔に、前世の話とかする事はあるの?」

 私は、今の所翔平さんにはしていない。千歳ちゃん以外とは、前世云々の話は全くしないんだ。

「してない。でもきっと朔は、そうかなんて言って簡単に受け入れるだけだと思うし、前世がどうだったとかを朔に話す必要性は感じてないんだ」

「うん。なんかそれ、わかるな」

 翔平さんにその話をしてみる所を想像して、私は頷いた。多分翔平さんも疑いもせずに受け入れて、「そういう事もあるんだね」なんて言うような気がする。それに、もう前世の私は今の私とは別物っていう感覚がある。

「結婚式、旭さんはやるんだよね?」

 今日はホリホックのメンバーは全員オフで、旭さんは相手のご両親へのご挨拶の為留守にしているらしい。

「十一月に、内輪だけの小さい式だって言ってたよ。その為に私、朔と一緒にウェディングソングを作ってるんだ!」

「ホリホックのウェディングソングって事? 楽しみ!」

 実は私、ホリホックの大ファンなの! CDとかDVDとか、千歳ちゃんも翔平さんも無料でくれるとは言うんだけど……ファンとしては売上に貢献したいじゃない? だから私は全部、自分で買うようにしているの。ホリホックが出演した映画も映画館へ観に行ったし、パンフレットもDVDも買って何回も見てる。礼奈役の千歳ちゃんは妖艶な美女で、礼奈としての歌も本当に凄くて痺れるー! って感じだった!

「あーいかちゃん? そろそろ俺の事も構ってよ?」

「千歳、俺もケーキ食いたい」

 女子トークするからって、練習室へ押し込んでいた二人が痺れを切らせてやって来た。背中から翔平さんの腕が回されて、きゅうっと抱き締められる。こうやって甘えてくるのも上手で、可愛い人。二人がいると会話の内容が女子トークじゃなくなっちゃうから、ちょっとの間千歳ちゃんと二人にしてもらっていたんだ。

「ケーキ、朔はチョコで良い?」

「他に何があるんだ?」

「レアチーズと、モンブランとチョコ」

「チョコだな」

「オッケー」

「千歳が食ってるやつは何?」

「私のは桃のタルトだよ。食べる?」

「食う。チョコの方も食うだろ?」

「うん! 食べたい!」

 これが夫婦か……なんて、思わずじっと観察しちゃった。朔って普段は結構な不愛想なくせに、千歳ちゃんに向ける表情は全然違う。甘々とろとろって程ではないんだけど、ふんわり柔らかで、雰囲気が温かい。見ているとこっちまで幸せな気分になれちゃう。

「愛香ちゃんてば本当にお姫さんの事が好きだよねー。そんな熱い眼差しで見つめちゃってさ」

 私を抱き締める腕の力がほんの少しだけ強くなって、見上げた先で翔平さんの唇が尖ってる。

「ヤキモチ?」

「そう、ヤキモチ。俺の事も見てよ」

「えー、どうしようかなぁ」

「俺に意地悪するの?」

「たまには良いかなって」

「好きなだけして良いよ。俺も好きなだけいじめるから」

「それはちょっと……」

 翔平さんは、私を好きだと言ってくれる。「桃園愛香」じゃなくて、私が好きって。

 この顔になってから近付いて来る人はみんな、桃園愛香の見た目に惹かれた人ばかりだった。私をちゃんと見てくれたのは千歳ちゃんくらいで、それ以外はほとんどみんな、私の中身を知ると見た目と違うと言って離れて行ってしまった。翔平さんは、私がぷりぷり怒っても文句ばかり口にしても、いつも笑ってる。笑わせてくれる。だから私は安心して、彼の前では私のままでいられるの。

「翔平さん、好き」

 目の前の夫婦の幸せオーラにあてられて、ちょっと素直になってみた。恥ずかしいから、彼にしか聞こえないような小声だったけど。

「聞こえない」

 嘘だ! 絶対聞こえてた! そのにやにや意地悪な笑みは絶対聞こえていたと思う!

「聞こえなかったから、もう一回」

「何も言ってません」

「ふーん?」

 あぁもう顔が熱い! 変な事口走るんじゃなかった! 後悔している私の頭を片手でガシリと掴み、翔平さんが浮かべるのは意地悪悪魔の笑み。

「言わないなら、キスね?」

「ちょ、ま……」

 千歳ちゃんが見てるから! 朔も、ケーキ食べながら興味なさそうな顔してこっちを見てるから、やめてー!

「俺の事を放置した罰。この後は存分に構ってもらうつもりだから、そこで言ってね?」

 軽々担ぎ上げられ、攫われた。千歳ちゃんは笑顔で手を振っていて助けてくれる気はないみたい。でもね、私だって本当は翔平さんと二人きりになりたかった。千歳ちゃんも翔平さんも忙しいから、会える時間ってそう多くないんだもん。

「愛香ちゃん、好きだよ」

「う、ぇ……はい……」

 降ろされたのは翔平さんの部屋のベッドの上。好きという言葉と共に、キスが降る。与えられる感情が心に積もり、温かな幸せが満ちていく。

「好き」

「うん」

「好きだ」

「はい……」

「大好き」

 翔平さんに私が敵う訳なんてないから、私が素直にされちゃうのはきっと――時間の問題。

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