第42話 育む 4

     4


 今日の撮影は私の出番。朝一番で映画の中で使う礼奈のPVを撮るんだ。礼奈の歌は全部、私が作詞と作曲を担当した。バンド用の曲じゃなくて歌姫らしさを重視した曲ばかり。衣装は体の線が出る漆黒のライダースーツ。胸の谷間も大胆に披露しちゃって、足元は高いピンヒールでアイメイクばっちりのお色気むんむん!

 スタジオに入ってスタンバイした私は、ホリホックの姫じゃなくて礼奈として歌う。これは礼奈の存在を印象付ける為の歌。歌唱力重視で、ダンサーを従えて踊らないとならないから大変。練習も苦労した。

 撮影がスタートして、辺りはしんと静まり返る。はじまりの合図は私の声。長く伸ばす高音域から入って、力強く、攻撃的に。歌詞はほぼ英語で構成した。

「カット!」

 歌いながら踊るのってかなりキツイ! 息を切らせながら私も映像のチェックをして、相談しながら何度か撮り直す。納得出来るものが撮れたから、私は次の衣装に着替える為控室へ向かった。

 今度の衣装は彼シャツ姿。礼奈はこの作品のお色気担当なの。白シャツ一枚で髪の毛を下ろしてナチュラルメイク。この格好で、スタジオへ見学に来ていた伸一を見つけて誘惑するシーンを撮るんだ。

 全ての準備が整い、撮影開始!

――雑誌の撮影中、礼奈は見慣れぬ四人組を見つけマネージャーへ声を掛ける。

「ねぇ、あの子達は?」

 指さした先には女の子一人と青年三人。彼らは楽しそうにスタジオ内を見学していた。

「うちから新しくデビュー予定のバンドの子達らしいです」

「ふーん……」

 礼奈の顔に浮かんだのは妖しげな笑み。それはちょっとした悪戯心。礼奈がよくやる火遊びで、たまたま選ばれた相手が伸一だっただけ。

 撮影の合間、こっそり忍び寄った礼奈が伸一の腕を引く。驚いた様子の伸一へ静かにするよう動作で示し、スタジオの隅に置かれていた撮影用のベッドへ伸一を押し倒した。

「え? あの?」

「しぃ……」

 唇に蠱惑的な笑みを浮かべたまま、礼奈は伸一へ口付ける。深く舌を絡めてからゆっくり、唇を離した。

「あなた、名前は?」

「し、伸一です」

「伸一。私と遊ばない?」

「は? ちょ、何してんすかッ?」

「しー」

 馬乗りの状態で伸一の手を自分の胸へ押し付け、礼奈は妖艶に微笑む。

「良い事、教えてあげる」

「伸一? どこ行ったの?」

 そこへ伸一を探す声が聞こえた。遠くない場所から聞こえた声。残念そうな溜息を吐いた礼奈は何かを伸一の手に握らせ、もう一度キスをしてから呆然としたままの伸一を置いてその場を離れた――

 この作品の礼奈はとことんお邪魔虫。でもこういうきっかけで出会ってちょっかいを出して行く内に、どんどん伸一への想いが本気に変わっていっちゃうの。それがなんだか切なくて、私は礼奈が嫌いじゃないんだよね。散々邪魔はするけど、礼奈のお陰で明日香と伸一は素直になって結ばれる訳だし、最後は陰でひっそり涙を零しつつ身を引くの。

「あれ? 朔は?」

 撮り終わった映像をチェックしている場所に朔がいない事に気が付いた。翔平さんに聞いてみたら、まだセットのベッドにいたと教えてくれる。

「あいつまだ立てないみたいだよー」

 一瞬怪我でもしたのかなって思ったけど、翔平さんが矢鱈と二ヤついているから違うって事がわかった。……うん。わかった。なんだか私もこの場にいられない気分になって、朔を探してセットへ戻る。

 朔は、翔平さんが言った通りの場所に座っていた。でも隣に日向さんまでいる。思わず私は物陰に隠れてしまった。いや、隠れる必要はないはずだ。でもなんだか、行くべきか見てみぬ振りをするべきか迷ってしまった。

 戸惑う私の視線の先で、日向さんの手がべだべたと朔に触れている。肉食系女子とはこういう人の事を言うんだろうな、なんてどうでもいい事を考えて気を紛らわせてみる。

「ねぇ、朔くん……」

 聞こえたのは色気をたっぷり含んだ声。まるでさっきのシーンの再現みたいに、日向さんの手が朔の手を捕まえ自分の胸へ押し付けた。

 どくり、心臓が嫌な音を立てる。

 一気に血の気が引いて、私は逃げ出す為に後退った。

「千歳?」

 日向さんの手を振り払い、立ち上がった朔が私を呼ぶ。その後ろでは日向さんが私を睨んでる。

「朔がいないから、探してた」

 声が震えてしまわないよう、動揺が顔に出てしまわないよう必死に笑顔を作った。そんな私の二の腕を捕まえて、朔は日向さんへ向き直る。

「俺、こいつにしか勃たないんで」

「は?」

 え? いきなりこの子は何を言い出したの? さっきまでの動揺が吹っ飛んで、私は間抜けにも口をぽかんと開けて朔を見上げてしまった。でも朔は私の視線に応えるつもりはないようで、私同様ショックを受けている様子の日向さんを置き去りにして歩き出す。捕らえられたままの私は、そのまま朔に引っ張られついて行く。

 連れて行かれたのは物陰の隙間。何故かそこへ押し込まれ、出口は朔の体で塞がれた。

「見てただろ?」

 問われ、私の目が泳ぐ。

「勘違いするなよ? あっちが勝手にやったんだ」

「で、でもどうしてあんな事になったの?」

 勇気を出して声を振り絞る。責める口調になっちゃったのは、きっと私の本心が滲み出してしまったからだ。朔の顔が見られなくて俯いてしまった私の顎を、朔の手が掴んだ。乱暴でちょっと痛くて、非難する為睨んだ先の朔の顔は赤く染まり視線が泳いでいる。

「さっき、勃った」

「……は?」

「それをあの人が気付いて寄ってきて、相手してやるとか言い出してあぁなった。でもあの人の胸の感触のおかげで萎えた」

「え?」

 間抜けな受け答えしか出来ない私を見下ろして、朔は恥ずかしそうな、でもどこか嬉しそうな笑みを浮かべた。

「俺、お前にしか反応しないみたいだ」

「うぇっ?」

 究極に恥ずかしくて、嬉しいのか何なのかわからないごちゃ混ぜの感情に心乱され、私の全身が赤く染まる。衣装である彼シャツ姿を隠す為に纏っていた丈の長い上着の合わせ目を、朔の両手が開いた。

「責任取れよ」

「ぬぁっ、なんの?」

「こういう体にした責任」

 囁きながら、朔が私の体の線をなぞる。何か違う! 何かが違うよ、朔!

「さ、朔っ」

 焦りつつも止める目的で呼んだのに、朔の顔は更に蕩けてしまう。

「お前の声も、クる……」

「うえぇっ!」

「今は耐えるからさ」

 続きは家に帰ってから――宣言した朔はこの場では私を解放してくれたけど、家ではしっかり捕まえた。何かが違う気もするけどちゃんと合っていて、私のもやもやは育つ前に朔本人によって幸せ色に書き換えられた。

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