第43話 育む 5

     5


 いよいよ朔と日向さんのキスシーンがやってきましたよ! 逃げないで真正面からがっつりバッチリ見てやろうと思います!

「お姫さん、マジに見るの?」

「見る!」

「やめとけって、姫。俺らとどこか行ってよう?」

「やだ、見る!」

 翔平さんと旭さんには、朝からずっと心配されている。でも私は見ようと思う。もしかするとこれからも、仕事でこういうシーンはあるのかもしれない。それなら今逃げたって仕方がない。それに、朔は私の不安を受け止め消してくれると知ってるから大丈夫。

 見ると言い張る私に、朔は何も言わなかった。ただ私の頭の上に手を置き髪の毛をくしゃくしゃにしただけ。

 準備も整い、キスシーンの撮影が始まった。

「待てって、おい! 明日香!」

 逃げようとする明日香を伸一が止める。

「放して」

「何怒ってんだよ?」

「別に」

「別にって顔じゃねぇって」

 泣きそうに顔を歪ませて、明日香は伸一の手を振り払った。

「伸一なんて、礼奈さんの所に行っちゃえば良いんだ!」

「どうしてあの人の名前が出てくんの?」

 答えない明日香に、伸一が焦れて顔を覗き込む。

「何、泣いてんだよ」

「泣いてないよ」

「泣いてんじゃん」

 呟き、伸一は明日香にキスをする。触れるだけの優しいキスで、明日香の目からはパタパタ、涙が零れて落ちた。

「な、んで? キスなんて、しないでよ」

「わかれよ。俺の気持ち」

「そんなの、わかんない!」

「……好きだよ、ちと――すんません」

 朔がやらかした! 赤面して蹲った朔。だけど待って! 私の周りにいる人が一斉に振り向いてにやにやした笑みを向けて来るよ!

「マジ、朔ウケるんだけど!」

 翔平さんはお腹を抱えて大笑い。

「やらかしたなぁ。公開愛の告白なんて、良かったな、姫」

 温かな眼差しで、旭さんは私の頭を撫でた。大勢の注目を浴びた私の顔は尋常じゃないくらい赤く染まっていると思う。熱くて熱くて、顔が燃えているみたいだ。

 あまりにも朔が真っ赤で赤みが引かないもんだから、冷静になる為の休憩が挟まれる事になった。私達の所へ戻ってきた朔の顔は相変わらず真っ赤で何事かを叫んでる。きっと、とっても恥ずかしかったんだろうな。

「……朔」

 確かに嬉しかったよ。でもこの後、嬉しくない事態が待っている。だから私は朔に歩み寄り、唇を尖らせた。

「またキス、するんだ?」

 私の言葉で、朔の動きがぴたりと止まる。

「一回で終わらせてよ、バカ」

 そう何回も見せないで。自分で見るって決めたくせに、やっぱり嫌な気持ちになるものだと実感した。私の口癖の「仕方ない」も流石に出て来なくなっちゃったじゃないか、なんて自分勝手な事を心で思いつつ、私は朔の頭を人差し指で突つく。

「悪かった」

「うん」

「次で終わらせるから」

「うん」

「終わったら、褒美をくれ」

「うん……?」

 首を傾げた私の唇を、朔が掠め取った。そのまま立ち上がり、台本を手に集中モード。ご褒美って……目標を達成していないはずの朔が今奪って行ったと思うんだけど、違うのかな?

 再開する時、朔が私を見て頷いた。任せておけって事かな。でもね、朔の雄姿は見たいけど生でもう一回はちょっとキツイ。朝の勢いはどこへやら、私の覚悟は一度のキス分しかなかったみたい。翔平さんと旭さんにはトイレへ行くと断って、私はその場を離れる事にした。強がってみても弱虫で、私は泣き虫だ。

「千歳」

 しばらく経って、迎えに来てくれた朔の声にも顔を上げられない。強がって見せた分余計に、きまりが悪くて恥ずかしかった。

「お前って本当にどうしようもなくて――可愛い」

 蹲り顔を隠していた私を、朔が包み込むようにして抱き締める。なんだよ、それ。可愛いなんて、朔の口からは滅多に出ない言葉だ。

「千歳」

 私は答えない。答えられない。だって、謎の涙が喉の奥からせり上がって来たんだもん。

「おい、こっち向け」

 朔が私の顔を覗き込もうとしている気配がする。

「千歳、千歳飴」

 首を振って拒否を示してはみたけど、朔はしつこい。それに朔に泣き顔を見られるのなんて、今更だ。

「ちゃんと一回で決めた」

「家でって、言った」

「ならこれは、お前のだ」

 朔の唇がおでこに押し付けられ、すぐに離れる。私の顔を覗き込み、朔が笑う。

「真っ赤。可愛い」

 本当にこれは、私へのご褒美みたい。可愛いと好きを交互に囁きながら、朔は私の顔のあちらこちらに唇で触れた。

「やっぱりね、嫌だった」

「うん」

「でも、もうこういう仕事受けるのやめようとは、やっぱり言えない」

「……それで?」

「我慢した分たくさん、ご褒美が欲しい」

「ここで?」

「……ここで」

 場所とか状況とか何もかもを頭から飛ばして、私は朔の唇に溺れた。


 そうして色々あった映画撮影。日向さんはいつの間にか朔を諦めたみたいで、クランクアップの時に私は花束で殴られた。「やってらんない」の言葉に込められた意味に、私は赤面した。

「朔くんって本当に姫しか見てない感じ。それと、場所は選びなさい」

 彼女の助言に狼狽えたのは私だけで、朔が飄々としていたのが納得行かない。やつはきっと、反省しないでまたやる気なのかもしれない。

 映画の公開直前に撮影時の密着ドキュメンタリーがテレビで放映され、いつも通り仲良しのホリホックと共演した役者陣の様子やNGシーンが盛り込まれていて話題になったんだけど……一番世間を騒がせたのは朔が出したNG。名前部分は伏せられていたけど、それが逆にファンや世間の想像力を煽り、公開された映画の動員数はものすごい事になった。

「末永く爆発しろ」

 後日仕事で再会した日向さんは笑顔で私の額を突っついた。今では芸能界で一番仲の良い友人だったりする。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る