第20話 甘い香り 4
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お風呂に口まで浸かって、ブクブク泡を作りながら考える。撮影後の帰りの車中、朔にキスをされた気がするんだ。疲れて寝ちゃって、唇に柔らかい感触がして目が覚めて、目の前には朔の顔があった。朔は何でもないみたいな顔してすぐに離れて、涎垂れてたとか言われたんだけど……垂れた涎拭ったにしても無理があるよ、朔! 寝込みを襲われた? でも洸くんとキスする夢を見た可能性も無きにしも非ず……うーむ…………考えてもわからない事は、考えるのはやめにしよう。とりあえず今後朔の隣で寝るのは控える。それで決定!
勢い良くお湯から上がり、髪を乾かして寝支度を整える。洸くんが帰って来るまでまだ時間があるから、私は時間を潰す為に練習室へ向かった。ピアノの用意をして、鍵盤にそっと指を乗せた私が奏でるのは、ショパンのノクターン。第一番から順に、弾く事にした。
第十番の途中で防音の扉が開いた気配に顔を上げ、視線を向けた先にいたのは洸くんだ。お風呂は済ませた後みたいで、部屋着に着替えている。歩み寄って来た洸くんは、後ろから私を抱き締めた。
「部屋の窓叩いてもいないみたいだったから、玄関から来た」
私達家族がいない間の管理を任せていたから、連城家にはうちの鍵を預けてある。洸くんがうちに来る時はいつも窓からで、その鍵を彼が使う事は滅多にない。私が思っていたより洸くんの帰りは早かったみたいで、仕事で疲れているのに待たせちゃった事に対して申し訳なさが沸いた。気持ちを伝えるように腕に触れ、背後に立つ洸くんの顔を振り仰ぐ。
「待たせてごめんね? お帰りなさい」
「ただいま。……何かあった?」
「どうして?」
隣に座った洸くんが私の顔を覗き込む。にっこり笑ってから、触れるだけのキスをしてくれた。
「ちぃがショパンのノクターンを弾いてる時は何かあった時だって、慎吾さんが言っていたから。それで? あいつに何かされた?」
恋人と自分の父親が仲良しらしいのは良い事だけど、今回は嬉しくない展開へ転んだ。私のこの癖が知られているのならもう少し慎重に行動したのに。洸くんを不安にさせるのが嫌で、私は何にもないよと笑顔を作る。
「ただ弾きたくなっただけ。最近、撮影とか慣れない事ばかりだから少しだけ疲れちゃったの」
「……ねぇちぃ。俺の前では無理しないでよ。隠し事もなしにして? 俺ってそんなに頼りない?」
不安にさせたくなかったのに、悲しそうな顔をさせてしまった。しょんぼり視線を下げてしまった洸くんの頭を抱えるようにして、私は抱き締める。ごめんね。そういう事じゃないんだ。ただ私はとっても臆病なの。
「されたのかされてないのか、わからないんだよ」
「何を?」
私の言葉に洸くんはすぐさま反応した。私の腕の中で顔を上げた洸くんに、至近距離で瞳を覗き込まれている。ここで隠せば逆に不安を煽ってしまう。でも、知られたくないとも思ってしまう。洸くんに、幻滅されたくない。
「ちぃ?」
口ごもり視線を逸らした私の唇を、洸くんが捕まえた。重なった唇は深く繋がり、私は彼に、翻弄される。
「言って。言わなかったら、襲う」
洸くんの指先が、首筋を辿って鎖骨を撫でる。嫌な訳じゃない。でもそれは、まだダメだよ。私は洸くんの手首を掴んで止めて、そのまま彼の首筋に縋り付く。肩口に顔を埋めて隠して、女は度胸だ! と自分を叱咤した。
「帰りの車で……キスされたかも。でも寝てたから夢を勘違いしたのかもで……よく、わからない」
無言の洸くんに髪を梳かれた私は、不安になる。怒っているのか今どんな表情を浮かべているのか、知りたくなって恐る恐る彼の顔を覗き込み、後悔した。
「次会ったら削ぎ落とすから、安心して?」
目が笑ってないこの笑い方は、一ミリも安心出来ないよ。
「洸くんって物騒な事ばっか言う」
「ちぃに関する事だけだよ」
「素直に喜べない。……物騒な事なんてなしで、忘れちゃうくらい、考えられなくなるまでのキスが良い」
「……仰せのままに。俺のプリンセス」
優しい顔で微笑んで、洸くんの顔が近付いてきてゆっくり唇が重なった。今度は私から彼の中へ滑り込んで、体もぴったり寄せる。洸くんの唇が首をなぞり手がパジャマのボタンを外し始めたけど、私は止めない。
「ちぃ? 止めないの?」
珍しく自主的に止まって、洸くんが私の顔を見上げた。何て返したら良いのか、止めるべきなのかすらよくわからなくなった私は、黙って洸くんの髪を梳き続ける。
「……寝ようか」
私の表情から何かを読み取った洸くんは優しいお兄ちゃんの顔で笑った。外したボタンを留めてくれ、軽くキスしてから体を離してピアノの蓋を閉じてくれる。
「抱き締めて、寝てあげるね」
抱き上げられた私は洸くんの首に腕を回して身を預けた。洸くんは強引で、物騒。でもちゃんと私の事を考えてくれて、やっぱりとっても優しい。
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