第35話 いろいろな、恋の歌 4

     4


 タクシーの中でひたすら泣いて、運転手のおじさんにまで心配されちゃった。空港に着いた時、めげるなって励まされジェリービーンズを貰った。甘いぐにぐにのジェリービーンズ。噛み締めて、やっぱり涙は止まらない。

 朔が手を伸ばして来たけど拒絶した。もう縋り付いたらいけない。朔の事だって、私が縛ったらダメだ。選んだのなら、決めたのなら、もう無自覚だったあの頃には戻れない。

 早く日本へ帰りたい。だけど予定よりかなり早く終わっちゃったから、飛行機の時間はまだまだ先。

「お姫さん。無理すんなって」

「姫、何があった?」

「千歳」

 空港のベンチへ座らされ、顔を覗き込まれた。ただ泣いているだけでは心配を掛けるばかり。そんなのは最低だと思うから、私は口を開く。

「おわ、おわったの。鉢合わせちゃった。びっくり」

 涙を拭って、笑った。笑わないとどうにかなってしまいそうで怖い。

「浮気って事?」

 翔平さんに聞かれ、私は頷いた。笑おうとしても、どうしても泣き笑いになっちゃう。旭さんがマジかよって呟いて、私はあはははって乾いた笑いを漏らす。

「あいつ、殺す」

「朔、物騒。仕方ないよ。四年は長かったんだねぇ。抱けない子供は、やっぱりお年頃には辛いんだ」

「またお前はっ、大人ぶってんなよ!」

「大人、だったんだよ。でも今の私って、何なんだろう……」

 あるのは前世の記憶。それに基づいた考え方。でも体は十六歳で、アンバランスな私。どうして前世の記憶なんて持って生まれちゃったの? そんなもの、きっと必要なかった。大人だった記憶がなければ、もっと素直に洸くんに身を委ねられたのかな。それともその記憶を持たない私は、洸くんに好きになって貰えなかったのかな。考えたってわからない。私にあるのは、今の私の現実だけ。

 私の言葉に、訳がわからないって顔して眉間に皺を寄せてる朔。

 悲しそうに、顔を歪ませて心配してくれる旭さん。

 隣に寄り添い慰めるように頭を撫で続けてくれる翔平さん。

「もう何にも、わかんないっ……」

 正しいと思って取った行動が、正解なのかなんてわからない。必死に考えて出した答えだって、誰かの犠牲のもとに成り立った。それでも失って、零れ落ちて、裏切られた私だって、裏切ってしまっていた。

 私の逃げ道を作る為、朔が力づくで抱き締めてくれる。私はそれを、振り払えない。泣いたらまた頑張るから。一人でちゃんと立つから今は、このぬくもりに縋る事を許して欲しい。

 旭さんの大きな手が頭に乗せられ、翔平さんの手が背中を優しく撫でてくれる。私は三人の優しさに付け込んで、みっともなくもぼろぼろに泣いた。


 日本の我が家に着いてすぐ、荷解きの前に私はゴミ袋を引っ掴んだ。勢いよく自分の部屋へ駆け込んで、香水瓶を乱暴に掴む。思い出は全部捨ててしまいたい。ボディケア用品も、入浴剤も、彼の香りのパフュームボトルのネックレスも。いらない。必要ない。見たくない。でも躊躇って、空っぽのゴミ袋片手に私は動けない。一つ一つが大事な思い出で、今の私には重たく辛い物。

「洸、くん……」

 失ってしまった人を呼び、暗い部屋の中で私は泣き崩れた。

 自分に彼を責める権利がないというのは思いの外辛い事で、人は誰かの所為にして被害者面していられる状況が楽なのだと初めて知った。

 リンチ騒動の時の傷のように、心に負った傷も時間が癒してくれるのかな。洸くんとの思い出がたくさんある家にいるのが苦痛で、自分の部屋のカーテンを固く閉ざしたまま開けられなくなって、でも思い出を手放せない。私の日々は暗鬱のまま過ぎて行く。捨てられない思い出は、クローゼットの奥へ詰め込んだ。捨てられないけど、目に入る所にも置いておけない。

 救いなのは、仕事が忙しくて考える時間すらない事だ。家に帰るのは眠る為。くたくたの体は、ベッドに入ればすぐに眠りへ落ちてくれる。

 あれから、洸くんからは一度も連絡はない。

 暇が出来るのが怖くて、何も考えたくないけど自分の気持ちも整理したくて、私はたくさんの曲を書いた。でも今の私に書けるのは悲しい恋の歌ばかり。こんなあからさまに曲に出ちゃうなんて、もう朔の事を笑えないね。

「千歳。チョコ食う?」

「食べる」

 朔は、特に何もしてこない。今まで通り変わらず側にいて、仕事して、学校行って、くだらない話をして一緒に笑う。

『チトセ、頑張っているようね?』

 いつの間に入ったのかわからない夏休みも終わりに近づいた、八月末。事務所に顔を出すとなんと、ママがいた。

『ママ! どうしているの?』

 迷わず駆け寄って、ハグとキスを交わす。ママの匂いだ。びっくりし過ぎて、心臓が激しく脈打っている。

『あなた、忙し過ぎて電話も中々通じないじゃない? だから来ちゃったわ』

「悟から、千歳が落ち込んでいると聞いてね。無理しているようだから、心配で会いに来た」

「パパ!」

 ひょっこり後ろからパパが顔を出した。その隣には悟おじさんがいるから、どこかでお話でもしていたのかな。

「パパ、ママ。会いたかったよ!」

「私達もだよ。千歳、お世話になっている人達を紹介してくれないか?」

 パパにもハグとキスをして、我を忘れるくらいの喜びに包まれた。でもパパに促され振り返る。そこにはびっくりした顔の三人がいて、私はパパとママを紹介する。

「初めまして。娘がお世話になっているわね」

 ママが日本語で挨拶をするとびっくりしたみたい。握手しながら、応えた旭さんの第一声が裏返った。

「いえ、千歳さんには俺らの方がお世話になってます」

 翔平さんが、ママと私を見比べている。ママは年を重ねた美女。年齢不詳な感じだから、子供がいるようには見えない。

「あなたが熱愛報道の相手? 可愛い子ね」

 面白そうに観察しているママの視線を受け止めた朔は、いつも通りの飄々とした態度で「どうも」なんて答えていた。みんなとの挨拶が終わり、パパが私を振り向いてにっこり笑う。

「千歳、最近書いた曲を聴かせてくれるかな?」

 パパはそれを聴きに来たらしい。聴けば今の私がわかるから。でも私は、聴かれる事を躊躇った。でももう悟おじさんに許可をもらい、スタジオまで空けて貰ってるなんて言われたから諦めて従う事にする。パパに反論する時はちゃんと話をしないといけないから労力がいる。今の私がパパを納得させられるとは思えなかった。

 最近書いた曲を全部だと言われて私は、悲しい恋の歌をピアノの伴奏で弾き語りする。メンバーも、パパもママも、私をじっと見つめたまま耳を傾けている。途中何度も涙が零れそうになったけど飲み込んで歌った。でも、声が震えちゃったのは誤魔化せなかった。

「なるほどね。あの小僧。握り潰してやりたいわ」

「そうだなぁ。悟の息子とはいえ、潰そうか」

 両親の物騒な発言に、私は思わず笑みを零した。

「洸くんばかりが悪い訳じゃないから。私は大丈夫」

「チトセ、ちゃんと泣いた?」

「泣いたよ、ママ。みんなが泣かせてくれた」

「そう。……ありがとう」

 ママは私を抱き締めて、旭さんと翔平さんと朔に感謝の言葉を伝えた。三人は照れたように謙遜している。パパはその間、三人を観察するように眺めていた。こういう状態のパパは何を考えてるのかわからない。長年パートナーをやっているママにだって、読めない時もあるらしい。でも時が来ると種明かしをしてくれるから、私達家族はそれをただ待てば良いんだ。

 今日の仕事はもうおしまい。帰るのが嫌で堪らなかったあの家に、久しぶりに家族三人で帰った。

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