第三章 タチアオイの華
1 想い探る唇
第23話 想い探る唇 1
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今週に入って一気に春めいた陽気で満開間近まで花開いた桜を眺めながら、のんびり歩く。真新しい制服を身に着け顔見知りが一人もいない新入生の列に紛れて向かう先は入学式が行われる講堂だ。
高校一年生になった私が今日から通うのは諫早学園。本当は愛香ちゃんが通っていた普通科高校へ行きたかったんだけど、周りの大人達から反対されちゃったの。諫早学園なら朔がいるし、芸能関係の仕事をしている子達が多く通っていて学校側が協力的だから仕事で抜けないといけない時にも問題無いからって。抜けた授業は補修を受けたりレポートを提出したり、働きながらも学校へ通えるようサポートが充実しているから普通科に通うよりも私の負担が減るだろうと説得された。説得された後でも普通科での平凡な青春への思いを断ち切れず渋っていたら、諫早だったらセキュリティーもしっかりしているから諫早に通って欲しい、心配だからそうしてくれって最終的には悟おじさんに泣きつかれちゃったんだよね。
「千歳飴」
学校での今日の予定を終えた私が下駄箱で靴を履き替えていたら、耳へ馴染んだ静かな声に呼ばれた。視線を向けた先には朔が立っていて、呆れつつも面白がってる笑みを浮かべながら私の全身を眺めている。
「ここの制服をそこまでダサく着こなせんのはお前ぐらいだな」
そういう朔だってきっちり着ている訳じゃない。でも気だるい感じに着崩していても朔には似合ってると思うから言い返せなくてちょっと悔しい。
諫早学園の制服は、男女共にオシャレなの。特に女子の制服は可愛いと有名で、ティーン誌でやっていた「一度は着てみたい他校の制服特集」とかいう企画で見事一位に輝いたくらい。ワイシャツは胸元にギャザーが寄っていて、赤と紺のチェックのボックススカートを胸の下辺りで履く。左胸に校章が刺繍されたジャケットは紺色で、首元に付けるのは大きな赤いリボン。他の子達は紺色ハイソか黒タイツを合わせてるんだけど、私は三つ折り白ソックスに黒くてダサい靴を合わせている。髪型も中学時代と同じで適当に結って、顔に馴染んだダサフレーム眼鏡も忘れず装備!
「趣味なの。どこまでダサくなれるかの挑戦」
わざとらしくダサ眼鏡を押し上げ、私は口の端を上げてにやりと笑ってみる。
「バカだろ」
「失礼な! でもこうしているから、私の日常は今でも平和だよ」
去年の六月にデビューしてから我らホリホックは結構――だいぶ、いや……かなり売れた。テレビや街中で曲を聴かない日はないし、CMにも色々出演していてポスターも街中に溢れている。ライブ以外でメンバーの顔だしはNGってルールだからどれも仮面を被った状態ではあるんだけど、身近な人は気付いちゃうみたい。朔なんて、諫早学園の中ではホリホックのギタリストだって既にバレてるらしい。
「平和の為でも俺には真似できねぇ。――後ろ、乗ってくだろ? 待ってた」
「もち! 乗る乗る!」
どうやら朔は私を待っていてくれたみたい。さっさと歩き出した朔を小走りで追いかけて、隣に並んだ後はさり気なく歩幅を合わせてくれた。朔の親切はいつもこっそり。たまに暴言の照れ隠し付き。
「ダサ眼鏡取ってメット被れ」
「イエッサー!」
駐輪場に停めてある朔のバイクまで辿り着くとヘルメットを放り投げられた。華麗にキャッチしてから、私は外した眼鏡をケースに入れて鞄の中へ仕舞う。渡されたこのヘルメット、実は私専用なの。同じ学校にいるのなら一緒に行動する事も増えるだろうって事で、旭さんと翔平さんと朔から入学祝いのプレゼントでもらったんだ!
ヘルメットを装着して鞄を抱えた私が後ろに跨るとエンジン音を響かせバイクが発進する。最近の朔の移動はこのバイクが主だ。それかマネージャーさんが運転する車。電車には、乗れなくなった。いくらメディアに素顔で出ないと言ってもライブでは丸出しにしているもんだからファンの人に気付かれ、追い掛け回されて大変な目に合ったんだって。それ以来電車に乗る事をやめた朔と違って私の日常は平常運転。電車にも普通に乗るし人目を気にせず出歩く。ダサ子ファッションという隠れ蓑のお陰で、ホリホックの姫のプライベートは謎に包まれたままなんだ。
春の柔らかな空気の中をバイクが疾走する。先週までの寒さが嘘のように日差しが暖かい。曲がる時に体重移動の協力をする以外は朔に捕まっていれば良い私は、桜が咲き乱れる街の景色をひっそり楽しんだ。目的地へ近付くと速度が落とされる。バイクは吸い込まれるようにしてRエンターテイメントが所有するビルの地下駐車場へ入って行く。駐車場の入り口には警備員さんが常駐しているんだけど、私達は顔パスだ。手を振って挨拶するだけで入場許可が下りて中へ入れる。警備員さんが知らない車両や人は止められるようになっているんだって悟おじさんが言っていた。
「高校入学おめでとう!」
いつも練習で使わせてもらっているスタジオへ入ってすぐに鳴り響いた音に驚いた。クラッカーの紙吹雪が舞う中、旭さんと翔平さんが笑顔で出迎えてくれる。嬉しくなって、笑みを浮かべた私は喜びの勢いそのままに二人へ駆け寄った。
「ありがとう!」
ハグと頬へのキスで喜びと感謝を表した私の鼻を、美味しそうな甘い香りがくすぐる。なんだろう? 何があるのかなってウキウキしちゃう。
「靴下とローファー履き替えて、可愛く制服着てねー」
「姫の為に両方買って来た」
翔平さんと旭さんから紺色ソックスとローファーを差し出され、私は苦笑した。中学の時にもこんな事があったなって思い出す。
「おいばかっ、恥じらいを持てッ!」
椅子に座って靴下を履き替えようとしていた私の耳に届いたのは朔の怒鳴り声。視線を向けた先では真っ赤な顔で朔が怒ってる。だからちょっと、いたずら心が湧いた。
「なぁにぃ? 生足、興奮しちゃう?」
足組んでセクシーポーズを取ってみる。殴られた。
「痛い! 朔の暴力男!」
「てめぇがバカな事してっからだろ! さっさと靴下履け!」
「履くもん! 痛い! バカになる!」
「安心しろ。元々バカだ」
朔の暴言にふくれっ面を作って抗議したけど無視された。わざと頬を膨らませたままで靴下履き替えて、ほっぺが痛くなってきたから溜めていた空気は飲み込む事にする。旭さんと翔平さんが用意してくれたローファーを履き、仕上げに髪ゴムを取って手櫛で整える。大きな鏡が側に無いから確認は出来ないけど、これで大丈夫かな。
「お姫さん。良い! 最高!」
「これを見られるのが俺らだけってのがまた、堪らないよな」
旭さんが洸くんみたいな事を言った。男の人ってたまに理解出来ない。私は乞われるままにくるっと回ったり、ポーズを取って写真を撮られたりした。その間ずっと端っこで朔が黙ってこっちを見守っていたから、近付いて見せびらかしてみる。
「ダサ子じゃないよ。可愛い?」
「可愛い可愛い」
仏頂面での適当な返事だったけど、私はにっこり笑って朔のほっぺに軽いキスをしてからハグをした。親愛と喜びの表現。前世では旅行以外で海外に行った事のなかった私だけど、今世はグローバルで感覚が麻痺してしまったのかたまに出てしまうこの癖。最初の頃は朔にすんごい怒られた。流石に私も反省したけど、そこで変な反応をすれば違う意味が生まれちゃうんじゃないかなとも思って悩んだ結果、心の赴くままに振舞う事を決めたの。だって、旭さんも翔平さんも朔も毎日長い時間一緒にいるから家族同然。日本人らしい喜びの表現ではどうしても物足りない時だって出てきちゃう。家族以外に対してはよっぽど親しい相手じゃない限りやらないけど、三人は私の中でとっても特別な存在だから。今では慣れたのか、朔は何も言わずに私のそれを受け入れる。旭さんと翔平さんも、当然のように受け入れてくれる。まるで兄に甘える妹みたいだけど、この三人は私の甘えも子供っぽい言動も許してくれるからいつの間にか私は力を抜いて寄り掛かってしまうようになっていた。
「制服似合うわね、姫君」
スタジオから出てすぐの所にある休憩スペースで、ドーナツを食べながら入学祝いをしてもらっていた所へマネージャーの広瀬さんがやって来た。頬張っていたドーナツを飲み込んでありがとうを伝えた私の頭を、広瀬さんが優しく撫でてくれる。
彼女はこの春、ホリホック専属マネージャーとなった。これまではいくつかのグループを掛け持ちしていたから私達と関わる事は少なかったんだよね。現場での挨拶が終わると頃合いを見計らい、彼女は違うグループのいる現場へ向かってしまうなんて事は常だった。それは多分、デビュー前の新人バンドに専属マネージャーは付けられないっていう会社の事情があったんだろうな。
「広瀬さんも食います?」
「いいの? ありがとう」
旭さんがドーナツの箱を差し出して、受け取った広瀬さんも一緒にドーナツを食べる。食べながらするのは仕事の話。
「今までは中学生がいるから抑えていたんだけど姫君も諫早に入った事だし、これからは今まで以上に仕事が増える事になると思うわ」
「大歓迎です。もう何か話があるんですか?」
手についた砂糖を払い落としながら興味津々の様子の旭さん。隣で翔平さんも身を乗り出して食いついている。二人は、デビューしてからバイトが出来なくなっちゃったの。追っかけのファンがバイト先へ押し掛けたり待ち伏せされたりする事が続いて、職場へ迷惑になるから辞めざるを得なくなった。だから、仕事が増えて収入も増えるのは大歓迎なんだよね。
「新しく数社のCMへの出演が決まっていて、今後は音楽番組とかにも出る予定よ」
「いいねー! バンバン働くよ!」
機嫌良く笑った翔平さんにみんなも同意して、頑張るぞーって気合のガッツポーズをしながらスタジオへ入って練習を始めた。
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