第22話 甘い香り 6

     6


 私達の演奏を聴いた次の週、洸くんはアメリカへ発った。朝にまたねのキスを交わしたけど学校があったから私は見送りに行けなかった。寂しさは、練習とレッスンに明け暮れて誤魔化している。



 桜の蕾が綻ぶ時を待っている、三月。私は朔と旭さんと翔平さんと一緒に我が家のテレビ前へ張り付いた。録画のセットもばっちりだ。

「そろそろじゃねぇか?」

 ちらちら時計を気にしていた朔が、呟いた。

「第一弾、旭さん!」

「どうして俺が一番手なんだよ」

「しっ! 多分次だよ」

 口元に人差し指を当てた翔平さんの言葉で口をつぐみ、四人揃って耳を澄ませる。番組がCMへ移行したのと同時、流れて来たのは私達のデビュー曲! 画面に映し出されたのは仮面姿の男女。妖艶な美女が纏う香りを楽しんだスキンヘッドの男性の唇が赤い唇へ吸い寄せられるように近付いて触れ合う寸前、曲が絞られ商品を宣伝するナレーションが入る。

「キャー! すごーい!」

「ヤバイ! 恥ずい! 死ぬ!」

「でも仮面被ってるし、知り合いくらいしか旭さんだってわかんないねー」

「千歳飴も普段とは別人だしな」

「そんな事より、曲だよ! 流れた! 感動だぁ!」

 感極まった私は、旭さんのスキンヘッドへキスしてから跳ね回った。明日は翔平さん。明後日は朔。明々後日が四人揃ったバージョンっていう順番で放送されるんだ。

「来週は渋谷にポスターが貼られるんだろ?」

「誰のかは見てのお楽しみだってさー」

 朔と翔平さんの話題にのぼっているポスターも、四人で一緒に見に行く予定。

 翔平さんと朔バージョンが放送される時にも私達は集まり、私はまた感動の極致で大騒ぎした。朔に落ち着けって怒られたけど、どうやって落ち着いたら良いわからないんだもん!

「なんでこれ……?」

 渋谷に貼られたというポスターを観に行ったら、真っ赤になった朔が呟き蹲った。私も恥ずかしくて、顔が熱い。渋谷駅前のビルにでかでかと貼られたのは、私と朔のキス寸前の写真。それにキャッチコピーと商品名、会社名がプリントされている。しかも、駅前のスクリーンでは四種類のCMまで繰り返し流されてるの! オーランシュさんてば、ありがたいけどやり過ぎだよ!

「このCMの歌。カッコイイよね」

「ねー。誰が歌ってるんだろう?」

 後ろを通った女の子達がそんな会話をしていて、喜びと同時に照れ臭さが沸き上がる。お互いの照れ顔を見合わせて、私達は逃げるように移動した。



 日々が怒涛のように過ぎて行く。CMが話題になって、ネットで配信した公式動画の再生回数がぐんぐん上がって、六月一日のデビューライブのチケットも凄い勢いで売れているらしい。新しくCMのオファーも来たなんて話もあって、レコーディングにPV撮影と練習で毎日へとへと。家に帰るとお風呂へ入るのが限界で、ベッドに倒れ込むと即爆睡しちゃって気付いたら朝、なんて事が日常になった。

 そうして迎えたデビューライブ当日。例年より少し早く梅雨入りしてしまっていたけれど、雨は降っていない。ライブ会場は屋内だし、バンド名となった花は梅雨の象徴でもある。例え雨だってホリホックらしさに繋がるけれど、来場者にとっては降っていない方が良いだろう。朝からずっと曇っていた空は、開場時間が近付くと薄日が差し始めていた。

 今日の私達の顔に仮面は無い。ライブでは、仮面は付けないんだ。

 濃いめのメイクに真っ赤な口紅、長い髪は強めのウェーブをつけ下ろしてある。服は、デビューライブ限定のオリジナルライブTシャツにジーンズとスニーカー。シンプルなこの服装は、メンバー全員お揃いだ。

 ステージ裏にいる私の耳に観客のざわめきが届き、心臓が口から飛び出しちゃいそうなくらい暴れている。右手の親指を左手で包みこんで掌の真ん中にある緊張が解れるっていうツボを押してみたけど効果は感じられない。手が震え、端っこで一人両手を握り締めている私の緊張は増すばかり。

「千歳飴」

 呼ばれて振り向くと、朔の手が頭へ乗せられた。そしてそのまま髪をくしゃくしゃに乱される。

「ちょっと、朔! 髪がぐちゃぐちゃ」

 文句を言う私の鼻を朔が抓んで、黙らされた。目の前には朔の顔。真剣な表情で瞳を覗き込まれた私は朔を見つめ返す。視線の先では朔が、仄かな笑みを浮かべた。

「俺達を信じて、歌え」

 朔の手が離れ、緊張で狭まっていた私の視界が晴れる。朔の後ろには、旭さんと翔平さんがいた。二人も笑みを浮かべて私を見ている。

「大丈夫だよ、お姫さん。楽しめば良いんだ」

 優しい力で一度、翔平さんが私の背中を叩く。

「自信持って良い。姫が見つけたんだから」

 旭さんの大きな手が、私の頭に乗せられた。三人の笑みと温もりのお陰で、暴れ回っていた心臓が落ち着きを取り戻し気分が悪くなる程だった緊張は程よい痺れへと変化する。

 始まりはただのお手伝いだった。そこで見つけた彼らの音に惚れて、他の人が収まる場所だったここに今、私はいる。三人を埋もれさせたくなかった。旭さんと翔平さんの夢への想いの欠片に触れて、私も何かがしたいと思った。そして三人の音で歌って私は、私が、この場所に立ちたいと望んだのだ。

「私ね、旭さんと翔平さんと朔が奏でる音が好き。大好き。一緒にいられて、嬉しい」

 気持ちを言葉にして、私の顔には笑みが滲む。翔平さん、旭さん、朔と順に顔を見回して、私の視線に応えるようにして背中にあった翔平さんの手が私の背をもう一度叩き、旭さんの手がくしゃりと髪を撫でてから離れた。最後に視線が合った朔は、偉そうな顔して頷いている。いつもと変わらない朔の表情に、思わず私は噴き出すようにして笑ってしまった。

「朔、偉そう」

「俺はお前より偉い」

「どんな所が?」

「年上だし」

「それだけ?」

「努力する天才だ」

 なんだそれ、と思ったけれど妙に説得力がある。だって私、朔がたくさん練習してるのを知っているもん。朔の指先は硬い。それは毎日ギターに触れている証拠で、指先が練習量を物語っている。

 開演時間が近付いて、旭さんからの提案で私達四人は集まり円陣を組んだ。

「Hollyhockは今日、花開く」

 肩に乗せられた、互いの腕の重みと温もり。

「聖地の花なんて大層な名前だけどさ、これが俺らなんだって見せつけてやろうぜ」

 旭さんの声に全神経を集中する。言葉が脳に染み込んで、お腹の底の方から高揚感が湧き出した。

「楽しんで、楽しませよう!」

 旭さんの言葉に大声で叫ぶように応えてから、私達は暗転中のステージ上へ進み出る。背後の大スクリーンには演出の為の映像が流れ、それに合わせて光が踊る。大音量で流れる音楽が会場全体の空気を高め、客席からは指笛や私達を呼ぶ声が聞こえた。BGMが徐々に絞られると共に歓声も静まって行き、最高潮に高まった空気を朔が奏でたギターの音が震わせる。

 目を閉じ、私は大きく息を吸い込んだ。ギターの音の余韻に被せるようにして曲名を告げる。

「Adoration」

 これが私達のデビュー曲。香水のCMで使われているのもこの曲だ。私の声を合図にドラムとベースが鳴り響き、照明が上がる。客席からは割れるような歓声が湧き起こり、会場全体が震えた。

 旭さんのドラム、翔平さんのベースに朔のギター。三人の音色に包まれ私は、声で想いを奏でる。曲のイメージ。私達の音楽。みんなに届けと願い歌う。

「はじめまして! Hollyhockです!」

 デビュー曲の最後の音の欠片が空気に溶けた瞬間巻き起こった歓声は凄まじかった。その声達に応える為私はマイクに向かって大きな声を出し、私の言葉を合図に全員揃って観客へ向かって頭を下げる。

「みなさん、今日はHollyhockのデビューライブへ足を運んで下さって本当に、本当にありがとうございます!」

 ライブでのMCはボーカルである私の仕事。会場の空気を壊さないよう、トークでみんなの気持ちを盛り上げなくちゃならない。でもまずはしっかり、はじめましての挨拶から始める事にした。

「どうぞこれから、よろしくお願いします!」

 再度メンバー全員で頭を下げれば、歓迎の声が私達を包み込む。メンバーそれぞれを呼ぶ声も聞こえた。Hollyhockの公式ホームページにはメンバーの名前と仮面を付けた状態の顔写真が載せられている。それ以外の詳しい情報は、このデビューライブ後に段階を踏んで公開されていく予定になっているんだ。

「皆さんが知っている私達は仮面の姿だと思います。でもライブの時には皆さんとしっかり向き合いたいので仮面はなしです」

「素顔、超照れる。でもうちのお姫さんって美人でしょ?」

 翔平さんの言葉にお客さん達が反応を返してくれて、笑いも起こる。

 ライブでは顔を出す。でもテレビに映るライブ映像では加工が加えられて仮面で隠されるらしく、メンバーの素顔を知りたければライブに来てねっていう売り方から始めると悟おじさんが言っていた。

「ホリホックのメンバーを紹介させて下さい」

 トークで和んだ空気の中、続いてメンバーの紹介に移る。私が名前を呼ぶと自分の楽器をソロで奏でての自己紹介。旭さんから順に、翔平さん、朔、最後に私。

「ボーカル、姫!」

 メンバー三人から声を揃えて呼ばれた私は両手を頭上で大きく振ってから頭を下げる。

 挨拶の後はトークを交えて五曲を歌いきり、私達はステージ裏へ戻った。メンバー全員汗だくで、興奮を分かち合うようにみんなで拳を合わせる。会場からの歓声は鳴り止まず、それは徐々に手拍子とアンコールの大合唱へと変化した。

 肩を叩き合ってから、私達はステージへ駆け戻る。

「嬉しいからたくさんたくさん演奏したい、歌いたい! 皆さんに聞いて欲しい曲、まだまだたくさんあります。でも時間は限られているから今は一曲だけ。実は、アンコールは自由にと言われているのでバラードなんていかがでしょう? ――Sweet scent」

 「甘い香り」という名前のこの曲は、朔が書いた。朔の想いが詰まった私への――実る事ない片想いの歌。

 アンコールで歌う曲をどうするか、四人で相談していた時に朔がこの曲名を上げた。CDで出す予定は今の所ないから、このライブでしか聞けない特別感が良くないかという提案だった。……私がこれを歌う事によって、朔は吹っ切れるのかな。前に進めるのかな。恋愛での朔の想いには応えられない私だけど、仕事へ対する想いには応えたい。

 曲の余韻が会場へ溶ける前に沸き上がる拍手喝采。私達は今日この場へ集まってくれた事へのお礼を告げ、何度も頭を下げてからステージから去った。いつまでも鳴り止まない歓声の中で私達のデビューライブは幕を閉じ、ここから新しい日々が始まる――

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