第25話 想い探る唇 3
3
仕事で疲れちゃって授業はとても眠たい。こんなんじゃもう公務員目指せないよなんてぼんやり考えた。
諫早学園では、仕事で作った曲も評価対象になる。だから学校側は私がホリホックの姫だと知っている。諫早学園とプロダクションの間で交わされる誓約書があって、ここで知った事を教師たちは絶対に外部へ漏らしてはいけない事になってるの。教師陣の口が堅い事も信用されている理由の一つで、所属タレントやミュージシャンを諫早へ通わせる芸能プロダクションは多い。そんな特殊な学校だから、授業も普通科とは少し違っている。基本的に高校生が学ばないといけないものにプラスして、音楽に特化した選択科目が充実しているんだ。選択科目の中で私が選んだのは作曲の授業。パパに教わったとはいえ、折角こういう学校に入ったのならちゃんと学んでみようと思って選んだの。ちなみに朔は作詞と作曲の両方を選択していると言っていた。
「千歳飴、友達いねぇの?」
学食内で一人天ぷら蕎麦を啜っていたら朔が現れた。当然のように前の空席へ持っていたお盆を置き、椅子を引いて座る。
「んー、そうだね。あんまり馴染めてない」
「なんで?」
朔は生姜焼き定食にしたみたい。それも美味しそうで迷ったんだよね。
「私、ちょくちょく休んだり授業抜けたりするじゃない? 有名人でもないのに頻繁過ぎて、こんな見た目のせいか遠巻きにされてるんだよね」
話し掛けても逃げられたり無視されたりするの。腫れ物か嫌われ者か、両方か。芸能人や芸能関係の仕事を目指している子が多いこの学校では、美意識がやたらと高い。そんな中で私のダサ子スタイルは完璧裏目に出ちゃったみたいなんだけど、今更劇的な変身を遂げるのもどうなのかなって思うんだよね。朔とよく行動を共にしている私。ダサ子だから有り得ないと思われているお陰で正体はバレていない。でも素顔を晒せばきっと、私がホリホックの姫だとバレてしまう。
「おい、勝手に食うな」
「生姜焼きも食べたかったんだもん。蕎麦食べる?」
「食う」
朔に蕎麦の器を渡して、私は白米を一口もらう。ここの学食って安くて美味しいんだよね。
「その格好やめれば? それで解決じゃん」
「そうかもだけどさぁ……なんかそれで掌返したようにされるのも怖いかなって」
「あぁ。確かにな」
「それに一人って楽。あんまり困ってないかなぁ」
「ぼっち満喫?」
「満喫。朔は友達どうしたの?」
朔の方こそ私に話し掛ける時はいつも一人だ。でも朔は、みそ汁を啜りながら残念でしたって表情を浮かべてる。
「あっちにいる。ぼっちの千歳飴見つけたからこっち来た」
「気にしなくて良いのに。私は大丈夫だよ?」
箸を置いた朔の手が伸びて来て、デコピンされた。
「痛い!」
「ぼっち飯よりマシだろ?」
朔の優しさだと理解して、私は苦笑する。もう一回「私は大丈夫だよ」と言ったけど無視された。
「飯の後は? いつもどこにいんの?」
先に完食した私は頬杖を付きつつ朔が食べる姿をぼんやり眺める。
「いつもはねぇ、過疎ってる練習室探してピアノを弾いたり、お昼寝したりしてる」
「人がいないなら、第四か?」
「うん。あちこち探したけどそこしかなかった」
諫早学園の敷地は広い。校舎が四つあって、学食があるここは第一校舎。専攻学科ごとに使う校舎が違っていて、楽器の第一。歌の第二。ダンスの第三と呼ばれているの。それぞれの校舎には練習室があるんだけど、どこも誰かが使っていて空いている教室はない。だから私は、臨時授業とかでしか使われない少し離れた第四校舎まで行きそこの練習室を使ってるんだ。
「今日も?」
「行くよ。教室は居づらいもん」
朔が食べ終わったのを見計らって立ち上がり、食器を片付けた。また放課後ねって手を振ったのに何故か二の腕を掴まれ、朔が私を何処かへ連行する。行けば分かるだろうと思いそのまま身を任せて着いたのは第四校舎の練習室だった。やっぱり朔は過保護だなと思い、私は笑う。
「一人でも平気だってば」
「別に。俺も疲れてるから昼寝するだけ。教室帰るとうるせぇし」
「ふーん。子守唄、いる?」
「いらねぇ。お前も寝とけ」
「あーい」
窓下の壁に背中を預けてぽかぽか日向ぼっこ。疲れているからか睡魔はすぐにやって来た。一人分距離を空けて隣にいる朔は腕を組んで俯いている。
何処かの練習室から微かに漏れ聞こえる楽器の音を聴きながら、私は穏やかな眠りに誘われた。
柔らかな熱が唇へ触れ、甘くない嗅ぎ慣れた香りが鼻をくすぐる。なんだか心地よくて安心して、身を委ねてしまいそうになっていた私は我に返る。
脳みそが一気に覚醒して警鐘を鳴らした。
だってこれは、してはいけない相手との、してはいけない種類のキス。
焦りながら目を開けた時には手遅れで、緩んでしまっていた唇の隙間から舌がそっと差し込まれる。柔らかなそれは窺うようにして私の内側を撫でた。
仰け反り逃げようにも背中には壁。ギターを弾く為の固い指先が、私の頬へ触れる。
あまりにも優しいその感触。泣きたくなるような切なさが、込み上げて来た。
朔の、私への気持ちを忘れていた訳じゃない。だけどそれはいつの頃からか綺麗に隠されるようになっていて……見えないからと、気持ちの整理が付いたのだと勝手に思い込み朔の優しさに甘えて傷付けていたのは、私だ。だからといってこれを受け入れたらダメだ。受け入れられない。
喉の奥に込み上げた何かを飲み込んで、拳を作り朔の腿を叩く。私の目が覚めた事に気付いた朔が、唇を解放してくれた。
「朔、私、彼氏いる」
「知ってる」
「ならこんな事しないで。私は答えられない」
「知ってる。でも――好きだ」
泣きそうに顔を歪めながら朔は再び唇を重ねてきた。私の両脚の上に跨った朔が作る、壁を利用した檻。そろり伸びて来た朔の手が私の両手を捕まえ壁に縫い付ける。無理矢理なのに……あまりにも優しいキス。朔は、何かを探っている。
抵抗するには舌を噛んでやれば良い。でもそれは――躊躇われた。
「朔、やぁだ!」
「千歳。俺なら……側にいる」
どうしてそっちが泣きそうなんだ。その顔も声も、ずるい。隠されていた感情は今までどうやって隠れていたのか疑問に思う程明確で、大きなものだった。
吐息が首へ触れ、押し付けられた感情が、熱い。
「朔! 朔! やめて! やめなさい!」
一生懸命叫んだら、顔を上げた朔が私の瞳を覗き込む。
「嫌だった?」
「お、おバカなの? 無理矢理は犯罪です!」
「うん。でも……欲しくて死にそう」
泣きそうに目を伏せて、だけど次に顔を上げた時には何にもなかったみたいに隠された。いつもの調子に戻った朔が、やっと私の上からどいてくれる。眠る前にも外した覚えのない眼鏡を手渡され、腕を引かれて立つよう促されたけど……足に力が入らない。
「骨抜き?」
「違う! 恐怖! 婦女暴行!」
「悪かった」
軽口を叩き合ういつものような雰囲気で、朔が浮かべるのはどこか飄々とした普段と同じ表情。ぽんと頭に乗せられた朔の手を合図に、私の目からは涙が零れ落ちる。
「放せ! まだ座る!」
「もう授業」
涙を誤魔化す為に抵抗して、私は俯いた。
「はな、放して、よ……」
涙を止められず泣きじゃくり始めた私の傍らに屈んで側に居続けた朔は、謝罪を繰り返すという事をしなかった。それはまるで朔の意思表示のようで、私の胸の真ん中にずんと重たいものが居座るのを感じた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます