帰還

 





 暗い洞穴どうけつを抜けると、そこには朝もやが広がっていた。


「ここは……」


 崖下に出た美弥がまぶしさに目をしばたたく。


「戻ったんじゃないか?」


 そう言った大輔も彼女たちの後につづいた。


 もう朝か。


 じゃあ、事件はほとんど解決かいけつしていることだろう。


 佐田先生はたいしたアリバイ作りもしていなかった。


 肝試きもだめしのときのことといい、多くの証拠しょうこを残していることだろう。


 目に入る早朝そうちょうの校舎は静まり返ってはいたが――。


 これから起こるであろうことに、覚悟かくごを決めるよう、目を伏せる。


 だが、ふと、気配を感じ、大輔は振り向いた。


 崖下に二人の女が立っている。


 佐田先生に何処どこ面影おもかげがある長い髪の女。


 この崖下で前にも見た。


 彼女は確か、佐田聡美だ。


 そのとなりに、同じくらいの身長の、よくた女が立っていた。


 誰だ?


 そう思い見つめる大輔に気づいたように、彼女は笑う。


 あっ、と大輔は小さく声を上げた。


 それは大人になった銅実也だった。


 魂が恨みから解放され、成長したのか。


 今の彼女にはもう、苦しみゆがんだ形相ぎょうそう欠片かけらも残ってはいなかった。


 実也は微笑んで大輔の手を取る。


 彼女が目を閉じたので、大輔も目を閉じた。


 ふっと雨に煙るこの崖下が見えた。


 教頭先生?


 まだ若い教頭先生が傘をさし、ここに立っている。


 前にもこの近くの学校にいたことがあると言っていたから、豪雨ごううのあと、地区の見回りに出たのかもしれない。


 教頭先生は黙って校舎を見つめていた。


 苦しげなその瞳に、実也のことを思い出しているのだろうな、と思った。


 そこへ、赤い傘をさした佐田聡美がやってきた。


 教頭先生の心の中を思うと胸が痛くなる。


 かつてのおのれの罪に思いをはせているときに、被害者ひがいしゃ血縁者けつえんしゃであり、一番、その罪を知られたくない人物がやってきたのだから。


 不安定な天候てんこうのせいもあったのだろう。


 気分的に激しく揺れていた教頭先生は、聡美にすべてをしゃべってしまった。


 ぜんぶ話して楽になりたい、という思いが長年あったのだろう。


 聡美は、にわかには信じられなかったようだが、やがて教頭先生をなじり始めた。


 こうなるとわかっていて話したのだろうが。


 かつて好きだった相手に激しく責められ、つめ寄られた教頭先生はつい、聡美を突き飛ばしてしまった。


 崖にのぞいていた岩に頭を打ちつけた聡美。


 それを茫然ぼうぜんと見ていた教頭先生の目の前で崖崩がけくずれは起こった。


 逃げた教頭先生は、くずれた土砂の中からのぞく折れた赤い傘を、ただ見つめていた――。


 そうか、と大輔は目を開ける。


 聡美が死んだのは崖崩れだけのせいではなかったのだ。


 教頭先生が突き飛ばし、気を失わせたせいで、聡美は逃げられなかった。


 そして、教頭先生は自らの罪が発覚することを恐れ、誰にも通報つうほうせずに、この場を逃げ出してしまったのだ。


『あの男が通報していてくれたら、姉さんは助かったかもしれないのに』


 実也が言う。


『許せなかった。


 わたしだけでなく、姉さんまで見殺しにしたあの男が。


 姉さんはもういいと言ったけど。


 姉さんの息子とあの男が、仲良さげにここに下見にやってきたとき、わたしはえられなくて。


 あの子にここであったことすべて見せてやった』


 あの子とは佐田先生のことだろう。


 でも― と実也は顔をくもらせる。


『それはわたしの勝手な想いだったのね。


 わたしはあの子の運命を狂わせた』


 うつむき唇を噛み締めた実也の肩に、聡美がそっとれる。


『あの子は見回りをよそおって、すべての始まりだったわたしが死んだ場所に彼を連れて行った』


 配膳室の奥、すべてをみとめた教頭先生の胸ぐらをつかみ、揺さぶる佐田先生。


 教頭先生は何度も強く壁に頭を打ち付けられた。


 ぐったりした教頭先生に気づき、佐田先生は驚いたように手をはなす。


 よろけた彼は片すみにあった水たまりに軽く尻餅をついた。


 はっと正気に返った佐田先生は、そのまま教頭先生を引きずり、上へと連れて行きかけたが、ふと、頭の中に置き去りにされた聡美や実也の姿が浮かんだ。


 佐田先生はそのまま教頭先生を放置ほうちすることにした。


 やがて、きもだめしに教頭先生が必要なことを思い出し、戻ってきたときには、教頭先生はもう冷たくなっていた。


 教頭先生に触れ、その冷たさに、佐田先生は自分のせいで人が死んでしまったことを実感じっかんし、ふり返りふり返り地下室から逃げ出そうとした。


 そんな不安定な体勢で逃げていたので、階段途中でうしろ向きに転倒てんとうしてしまったのだ。


 大輔は、実也の頭から流れ込む映像にため息をついたが、


「大丈夫ですよ。

 きっと佐田先生は」

と口にする自分でもわかる、根拠こんきょのない言葉を二人に向かい、投げかけた。


「それに実也さん、たぶん、貴方のせいだけでもない。


 先生はずっと自分のことをめていたんです。


 あの日、お母さんがここへ来る切っかけを作った自分をね。


 そこへようやく、教頭先生という罪を押しつけるに格好かっこうの人物が現れて、彼はある意味、喜んだんです。


 佐田先生は教頭先生にすべての罪を押しつけ、八つ当たりした」


 きっと― 憎い思いとは別に、教頭先生にあまえた部分もあったのだろう。


 教頭先生は本当に、なんでも受け止めてくれそうなふところの深い部分があったから。


 だがそれも、彼が数々の罪を重ね、おのれを見つめ続けた結果なのだと思えば、辛いものもあるのだが。


『ありがとう。あなた、やさしい子ね』

と実也は笑った。


『そうね。

 そうして責任をわけあえば、みんなちょっとずつでも救われるものね』


 ありがとう、と根拠こんきょのないなぐさめに、ていねいな礼を言ってくれ、実也は小さく手を振った。


 聡美が深々ふかぶかと頭を下げる。


 そのまま二人の姿は、明るくなった日差しの中に、朝もやとともに消えていった。


 緊張から解かれ、ふっと息をついた大輔は、突き刺さるような視線を感じて振り向く。


「久世……」


「誰と話してんだよ、大輔~」


 怖そうにみんなが自分を見ていた。


 そうだ。


 こちらの世界に戻ったから、自分以外に彼女たちの姿は見えていなかったはずだ。


 いつもならうまくごまかすのに、つい――。


 らしくもない失態しったいに赤くなったあと、大輔は気づいた。


「おい、美弥は――?」


 あれっ? とみなが辺りを見回す。


 美弥の姿は、すでにそこにはなかった。







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