出発





 ひゃああああっ!

 悲鳴ひめいを上げて美弥たちは飛びすさる。


 だが、次の瞬間、林の中からあらわれた長い髪の女を指さし、倫子は言った。


「あ、田丸先生」

「……人が苦労してやってんだから、もうちょっと怖がれ」


 そう言いながら、田丸先生は安物のかつらを外す。


 あちい、あちい、と白い着物の胸もとをはだけるその姿は、どう見ても、ただのおっさんだ。


 おしろいではないなにかをった白い顔と、血のように、たらして描いてある赤い口紅をのぞけば。


「いや、じゅうぶん怖がってるやつがいますよ」

と大輔が指さす。


 奇声きせいを上げながら、ひとりが先を走っていき、次に待っていた父兄にまた、おどろかされている一志がいた。


 しかも、なんだ、お前ひとりかあっ!? と怒られている。


「おら、とっとと行け」

 田丸先生はかつらで顔をあおぎながら付いてくる。


「なんですか、それ~」


「だって、お前らで最後だろうがよ。


 そうだ。

 お前たち、怖い話をしてやろうか」

と田丸先生がにやりと笑って言い出した。


「これは、先生の同僚どうりょうの先生の奥さんから聞いた話なんだがな」


 それ、ともだちのともだちから聞いた、みたいなかんじですね……と美弥は思ったが、だまっていた。


「その先生と奥さんが結婚してすぐのころ、住んでいたアパートの話だ。


 新築しんちくじゃなくて、ちょっと古いアパートだったらしいんだが。


 引っこす前に見に来たときには、明るくて、いいアパートだな、と思う感じだったらしい。


 ところが、引っこしたあと、奥さんが、食事のしたくをするのに、台所に立っていたら、なんだかわからないけど、北側から、視線しせんを感じたんだそうだ。


 北側にももうひとつ部屋があったんだが、そっちに行ってみても、もちろん、誰もいない。


 でも、そこに立つと、つねに誰かに見られている感じがしてたんだそうだ。


 気のせいだろうと思いながらも、奥さんは、なんだか気になって、いつも、北側の部屋のふすまを閉め、台所のドアも閉めて、食事のしたくをしていたらしい。


 でも、戸を閉めても閉めても、北側から、誰かが自分をのぞいているような気がしていたんだそうだ。


 それから何年かして、奥さんたちが、そのアパートを引っこすことになったとき、奥さんが北側の部屋の押し入れの中をひょいとのぞいてみると――」


 田丸先生はそこで言葉を切り、を持たせる。


「……そこにお札がってあったんだそうだ」


 倫子は悲鳴を上げたらしいのだが、口をおおっただけで、声は出てはいなかった。


 聞いている場所が雰囲気ふんいきがありすぎるので、声も出せないほど、おそろしかったようだ。


 そんな倫子をはじめとするみんなのリアクションに気をよくして乗ってきた田丸先生は、まるで怪談番組で話すタレントのように、不気味ぶきみに声を落として言ってきた。


「そのお札。

 なんで、かくすようにってあったんだろうな……。


 アパートとかってさ。


 住んでいる人がかわるとき、おそうじの人が入るし、不動産屋ふどうさんやさんも入るじゃないか。


 あそこにお札があることに、おそらく、気づいていたわけだよな。


 なのに、なぜ、お札をはがしていなかったのか。


 奥さんたちは引っこしてしまったので、なんでなんだか、わからないままなんだが。


 今でもそのアパートはあって、その部屋にも誰か住んでいるらしいぞ」


 やめてーっ、と倫子が腕をさする。


 調子にのった田丸先生は、そのままつづきに話してくる。


「その話では、特に霊が見えたりしたわけではないんだけどな。


 奥さんは、その家では別の気配けはいも感じていたんだそうだ。


 つるっとした生地きじの黒いツナギを着た男の人が、いつも玄関げんかんから入ってきて、家の中をななめに、つっ切っていくらしい。


 特にがいはなくて、ずーっとおなじことくり返してるだけなんだそうだが。


 なんなんだろうな、そういうのって」


 そう田丸先生が言ったとき、竹林の陰にぼうっと立っている女が見えた。


 頭をまっぷたつにするように、おのが刺さり、血が流れている。


 下から、ごていねいにも、懐中電灯かいちゅうでんとうで自分の顔をらしていた。


「あ、ゆうくんのママ」

とその幽霊役の人の努力どりょくもむなしく、また、倫子が指さし言った。


「バレちゃあ、しょうがないわ~。

 ねえ、あんたたちで最後~?」

と言いながら、顔を下から照らしたまま、ゆうくんのママは美弥たちがいる小道に出てきた。


「田丸先生~、聞こえてましたよ~」

ともうバレているのに幽霊的なしゃべり方をするゆうくんのママは、


「では、わたしもひとつ、怖い話を~」

と美弥たちのうしろをついて歩きながら言い出した。


 いえ、けっこうです、と美弥は思ったのだが、そのときにはもう、ゆうくんのママは話しはじめていた。


「これ、わたしの友だちに聞いた話なんだけどね~」


 都市伝説としでんせつにありがちな、友だちの友だちに聞いた、というパターンよりは、これも少しだけ真実味しんじつみがある。


「東京のとある大学の話らしいんだけどね。


 その大学のりょうは入り口から見て、片側に勉強部屋、片側にベッドのある部屋が、ずらっと並んでいるそうなのですが、奥の方、一ヶ所だけ、それが逆になっている場所があるそうなのよ~。


 なんで? ってきいたら、

『そりゃあ、お前、寝てるときに出るより、起きてるときに出た方がまだマシだからだろ~』って~」


 いや、そのご友人のセリフのところを怖く言う必要はない気がするのですが……と美弥は心の中だけで、つっこむ。


「その寮はね~、今でも、一年間で、一日だけ、立ち入り禁止になるそうなのよ~。


 どうしても気になった生徒さんが、しのび込んで見てみたらね~。


 廊下ろうか兵隊へいたいさんたちが、行ったり来たり行進こうしんしていたらしいのよ~。


 その学校、兵隊さんたちが寝泊ねとまりしていた場所にっていたらしいんだけどね。


 その日がなんかわけありの日だったらしくて。


 う~ん。

 なんの日だったかな~?


 そこはおぼえてないんだけどね~。


 そういえば、『馬の耳に念仏ねんぶつが出る』って話、知ってる~?」


 知ってる~、とみんなが笑う。


「そう~。

 じゃあ、いいわ~。


 ご静聴せいちょうありがとうございました~」

と言い、ゆうくんのママは懐中電灯かいちゅうでんとうのスイッチを切った。


 結局、美弥たちは、出番の終わった幽霊たちをゾロゾロ引き連れ、出口へと向かうことになった。


「なんだかこれはこれできょうざめだわ……」


 そうつぶやくと、

「そうでもないよ。

 人数がいるから助かってることもある」

と横にいた浩太がぼそりと言ってきた。


「え、なに?」


 その言い方に、なんだか嫌な予感がしながらも、美弥は思わず、そうきき返していた。


「……いる」


 浩太は足を止めずに、横の竹林を見ている。


 先ほどから、ニセモノの霊がたくさんひそんでいた竹林だが、彼が見ているのは、なにか違うもののような気がした。


「一、二……三体くらい。


 ここ、前は学校の山だったみたいだけど、ずいぶん人が死んでるんだね」


「なな、何を言っているのかな、浩太くん」


 無理に笑いを押し上げつつ、美弥はそう言った。


 浩太は他のみんなに聞こえないようにか、前を見つめ、声を落として言ってくる。


「大輔には言わないでよ。

 そういう話、大嫌いだから」


 きこうかどうしようか美弥は迷った。


 世の中には、知らない方が幸せなこともある。


 だが、ツバを飲みこみ、美弥はきいた。


 かえって、妄想もうそうがふくらみそうだったからだ。


「浩太くんて―― 幽霊見えるの?」

「うん」


 あっさり浩太はそう答えてきた。


「へ、へー……そうなんだ?」

としか言いようがない。


 うたがっているわけではなく、なんと言ったらいいのか、わからなかったからだ。


 だが、そこで、浩太は語り出した。


「僕、あの旧校舎の中、探検してたでしょう?」

「旧校舎?」


「あ、知らなかったんだ?

 むかしはこの辺りの小学生はみんな、ここの学校に通ってたんだって」

とあの古い建物の方を見ながら、浩太は言う。


「でも、町全体がベッドタウンみたいに開発されて、生徒が入りきらなくなったから、何校かにわかれたんだ。


 そのうちのひとつが君たちの笹波ささなみ小学校なんだよ」


「そうだったんだ。

 くわしいね、浩太くん」


「ううん。

 僕もそんなこと知らなかったよ。


 さっき迷ってるときにきいたんだ」


 そう浩太は笑顔で言ってくる。


「え?

 だれに?」


「ちょうどそのころ、先生やってた人」


「へー」


 しばらく間を置いて美弥は問うた。


「……それ、生きてる先生?」


 ううん、とあっさり浩太は首を振る。


「あのー。

 もしかして、それで遅くなったの?」


「いや―― 

 遅くなったのは、ちょっと気を取られていたからだよ」


「なっ、なにに?」


 もう嫌な予感しかしなくて、おびえたように美弥はきいた。


 配膳室……。

 そう小さく浩太は言ってくる。


「あそこ、なんかおかしいんだよね。


 でも、ひとりで入る勇気はなくて。

 ぼーっと立ってたら、思ったより時間がたっちゃってたんだ。


 もしかして、少し違う空間にいたのかもしれないな」


「えー。


 なになに?

 配膳室が、なに?」


 ところどころ聞きかじっていたらしい倫子がふり返り、きいてきた。


「幽霊でも出るの?」


 そんな彼女の言葉は、何故なぜか語尾が浮かれている……。


「だったら、みんなで配膳室行ってみようよ」


 そう倫子は言い出した。


 はあ? と美弥は声を上げる。


「だってさ。

 考えなきゃいけないじゃない、図書室の怪談話」


 それに、これ、あんまり怖くないし、と倫子が小声で言ったとたん、横から血まみれの教頭先生が飛び出してきて、ひゃああああっと倫子は悲鳴を上げた。


 一志はまた怖いくせに、先頭を切って走り出す。


 いや、怖いからか……。


 教頭先生は脇の下をひもで釣られ、宙に浮いていた。


 血をしたたらせながらも、その顔は笑っている。


 どわーっと先生たちも叫んで逃げた。


「ラ、ラストは効いたね~」

 出口で倫子が胸を押さえ、言ってくる。


「絵の具の匂いがしなきゃもっとよかったけどね」

と美弥は苦笑いして言った。


「教頭先生ー、佐田先生ー。

 いっしょに戻らないと暗いですよー」

とふり返り、田丸先生が呼びかけている。


「ちょっ、ちょっと待ってくださいっ。

 紐とくのに時間かかっちゃってっ」

と佐田先生があわてたように言うのが聞こえてきた。


 うしろから紐を引っ張っていたのが佐田先生なのだろう。


「置いてきますよー」

と意地悪く田丸先生は笑って言った。


「ええっ?

 ちょっと待ってくださいよーっ」

という佐田先生のあわてた声に、みんなが笑った。


 つい立ち止まり、佐田先生たちのいる暗がりを見ていた美弥の腕を、浩太がつつく。


「美弥ちゃん、最後にならないほうがいいよ」

「え?」


「ずっとうしろ、つづいてるから」


 暗い林の中の道を見ながら、浩太が言ってきた。


 ……なにが?

 なにがですかっ? とあせる美弥は、軽くその場で飛びながら、あわてて叫ぶ。


「せんせー、教頭先生ーっ。

 早く早く早く~っ!」


 前にいた大輔がふり返り、こちらを見ていた。





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