解放

 




 

 大輔が今の勢いの持って行き場がないような顔をする。


「ば、莫迦ばかかお前は。

 お前じゃないんだぞ」


「でもなんていうか。

 それも先生らしいというか」


 佐田先生にどんな同情どうじょう余地よちがあったとしても。


 どんなに事故に近い殺人だったとしても、もう教師は続けられまい。


 罪をつぐなって出てきたとしても、おそらく無理だ。


 そういう、人間のどす黒い部分を見て来た先生も時には必要だと思うけどね――。


 美弥などはそう思うのだが。


「先生は……もうちょっと、わたしたちの先生でいたかったんだよ。


 悪いことだとわかってたと思うけど、でも――」


 でも、最後にもうちょっとだけ……。


 美弥、と大輔が困ったような顔をする。


 なんでだろう。

 泣くつもりはなかったのに。


 一志よりも倫子よりも自分が先に泣くなんて。


 つられたのだろう。

 倫子たちも泣き出した。


 美弥の涙で、今までなかった実感じっかんが一気にみんなの中にあふれ出したようだった。


「先生は悪くないもん。

 教頭先生も悪くないけど、先生もぜったい悪くないもん」


 泣きながら駄々だだっ子のように倫子がり返す。


 そう。

 きっと、佐田先生のお母さんの死に教頭がかかわっていて――。


 ここへ来て、先生はその事実を知ってしまった。


 そして、教頭にそれを問いつめて。


 事故に近い殺人だったのなら、止められたのかもしれないとやむ浩太の気持ちはよくわかった。


 変えられないから、未来なのか――。


「ごめん」

と美弥は涙をぬぐう。


「行こうよ。

 まだ何もちゃんとはわかっていない。


 先生のためにも誰のためにも、真実を明らかにしよう」


 そう言ったとき、パン、と図書室の入り口が開いた。


 ゆっくりと時間の流れるここは、まだ夕暮れの光を残している。


 開いた扉の向こうに見える木の廊下には、分厚ぶあつい窓ガラスから光がゆっくりと落ちていた。


 こんなときなのに綺麗きれいだな、と思った。


 本当なら見るはずのなかった。


 過去の校舎の夕暮れの光――。


「5時45分か」


 横でそうつぶやいたのは叶一だった。


「あれはもしかして、配膳室であの子が死んだ時間だったのかな。


 佐田先生のお母さんの方は豪雨ごううの後だったんだろう?」


 豪雨の後の小雨こさめの中、当時この近所に住んでいた佐田聡美は息子をさがしに出かけた。


 雨が降る前、友達といっしょに出かけていたのだが、急に激しくなった雨に、動けなくなったらしく、どちらの家にも帰ってきてはいなかった。


 豪雨のときはさすがに動かないだろうが、小雨になって危険な場所を歩いたりしてはいけないと思い、聡美は慌てて息子を捜しに出た。


 息子の好む場所を捜索していた彼女は、この学校に来て、土砂崩れに遭遇そうぐうしてしまったらしい。


 開いたドアを見たまま、ぽつりと美弥は言う。


「先生はさ。

 ほんとはずっと自分を恨んでたんだよ。


 あんな日に遊びに出て、お母さんに捜しに行かせてしまった自分をね」


「そこに教頭って、本来の敵があらわれた。


 今までの自分に対する怒りの念もぜんぶ彼に向けられたってわけか」


 言葉もなく廊下に落ちる光を見ていた美弥に、叶一が言った。


「まだなんにもはっきりとはしてないけどさ。


 でもほら、ここの時間だって、ゆっくり進んでる。


 あの子、実也ちゃんの長くしこっていた感情が解放されたんだ。


 佐田だって、きっといつか何かから解放されるよ」


 実也の事件は、ふたつの事件にどう関係しているのだろう。


 教頭がそれに関わっていたのなら、実也の解放のために、おいである佐田の人生がつぶれてしまったことになる。


 やはり、実也はそれをやんで、せめて、自分たちに佐田先生に同情の余地よちがあることを知らせようとしたのだろうか。


「行こう、美弥ちゃん」


 叶一がうながすように美弥の手をつかむ。


 うん……とうなずいたとき、ちらと視界しかいに倫子が入った。


 ちょっと正気に返った彼女が、口パクで、


 ず~る~い~! と叫んでいた。


 あわてて美弥は手をはなす。


 叶一が、なに? という顔で見下ろした。


 そのとき、

「……不吉だなあ」

とぼそりと浩太が言った。


 深刻しんこくなことかと思い、振り向くと、不吉だと繰り返した浩太は、何故なぜか大輔に足をられ、笑っていた。





 


 

 美弥と叶一、そして倫子を先頭に階段をりていく。


 少し遅れてつづきながら、浩太は大輔に耳打ちした。


「大輔さあ、事実から目をそむけてるようだから、忠告ちゅうこくしてあげるけど。


 実はあの二人、五つかしか違わないんだからね」


「何が言いたい」

と彼を見ずに言う。


「今は高校生と小学生だからそんな感じでもないけど。


 大人になったらそのくらいの年の差なんてことないよ。


 まあ、美弥ちゃんて、今でも頭の中は叶一さんよりよっぽど大人だけどね」


 目をそむけていた事実。


 そういえば、大輔の両親も確か五つ違いだった。


 叶一の母は父より、二つ上だと聞いたが。


「今そんな話してる場合じゃないだろ」


 そう言ったあとで、浩太がとなり《となり》にいないことに気づいた。


 り向くと、彼は階段の途中で足を止めていた。


 夕陽を背に受けた白い顔のその表情はうかがいにくい。


「……証明して見せてよ」


 証明して見せてよ、大輔――。


 そう言い、下りて来た彼のその眼は、いつもと違い、妙にめていた。


 だが、

「……なんの話だ?」


 そう問うてみても、

「いや、なんでも」

とかわされる。


 先を降りる美弥が、踊り場に差しかかり、ちょうど向きを変えた。


 こちらを見て、自分と浩太の間に流れる微妙びみょう雰囲気ふんいきを感じとったのか、不思議そうな顔をする。


 浩太はそれ以上何も語りそうにはなかった。


 こいつもよくわからんやつだ、とため息をもらす。


 まあ、だからこそ気が合うのかも知れないが。


 そもそも、昔から一番側にいる美弥も何を考えているのやらわからないところがあるし、叶一もそうだった。


 だからそういう人間の方がれていて落ち着くのかもしれない。


『証明して見せて』―― か。


 美弥たちは配膳室へと向かっているようだった。








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