三階 ――サイレン――

 




「倫子っ!」

 悲鳴を上げたのは倫子だけだが、座り込んでいたのは、一志もいっしょだった。


 一美だけが二人を守るように、立ったまま、それをにらみつけていた。


「み、美弥っ」

 うようにしてやってきた倫子がしがみついて来る。


 廊下の突き当たりにそれはいた。


 りのズボンをはいた男の子だった。

 何度も同じ場所を行ったり来たりしている。


 問題は、顔から上が見えないということだ。


「な、なにあれ」


 さすがの美弥も動けずかたまっていると、

「あんまり長い間ああして、さまよってるから、自分の顔も忘れてしまったんだろう」


 いつの間にか側にいた大輔が淡々たんたんと言う。


「ああして、おなじところを永遠えいえんに歩いている霊をよく見る」


 見ろ、と大輔は指さした。


「あいつ、腕に本を抱いている」


「もしかして、図書室に行きたいんじゃない?」


 口を挟んだ浩太をさっきの余韻よいんそのままに、大輔がにらむ。


「図書室がなくなったから、さがしてるのかも」


 そうかもしれない。


 あれが本当は、図書室に何度も本を返しに行っている霊だとすれば、急に消えた図書室にとまどって、うろうろしているのかも。


「大輔」

とそのシャツをにぎる。


成仏じょうぶつさせてあげなさいよ、あれ」


 永久運動えいきゅううんどうのように、くり返しているその霊を見て、切なくなった美弥は言った。


 だが、

「むちゃを言うな」

と大輔は切りすてる。


「俺は霊能者じゃない」


「……だから見えないふりをしていたの?」


 見えているのに、そこにいないふりをした。


 大輔はだまっている。


「僕、行ってくるよ」

と浩太がけ出した。


 その霊の前に立ちはだかる。

 霊が驚いて足を止めた。


「こんにちは」

 初めて逢ったときと変わらぬ無垢むくな笑顔で浩太は言った。


「あのね、僕たちこれから図書室に行くから。それ、返して来てあげるよ」


 少し間があったが、その霊の手が浩太に本を差し出した。


「うん。確かに預かったから。安心して」


 霊は、軽く見えない頭を下げたようだった。

 そのまま、いきおいよくこちらに向かって走ってくる。


「あっ!」

 その霊とすれ違う瞬間しゅんかん、美弥は声を上げた。


 一瞬、その霊の顔が見えたのだ。


 浩太ほどではないが、可愛らしい顔をした少年がうれしそうに横をすり抜けていった。


「浩太くん、すごい」

 倫子が座り込んだまま、手をたたく。


「すごーい、すごいっ。

 やっぱりお化けが見えるだけのことはあるねっ」


 さっきまでの恐怖きょうふも忘れたように、一美の後ろに隠れていた一志も立ち上がったが、浩太は、ううん、と首を振る。


「ごめんね。

 僕に見えてるのは霊じゃないんだ。


 僕に見えているのは――」


「そんなことよりさ」

と美弥は話をさえぎった。


「図書室って此処にあるんじゃない?」

と今、霊がうろうろしていた三階の突き当りを指さす。


 そうねえ、と一美が近寄り、

ってみよっか」

と言いざまる。


 わああああっ、一美っ! と全員が声を上げた。


 もし、その推論すいろんが違っていれば、木造校舎をぶち抜いて、その勢いで下まで落ちてしまうかもしれないからだ。


「なんだか、みんな迷いがないよね~」


 ひとごとのように腕を組んで見ていた叶一が後ろで言う。


「でも、校舎って意外ともろいからやめた方がいいよ」


 倫子や一美、さっきの浩太の態度に勇気づけられたのか、一志までが、突き当りの壁に近寄り、触ってみては、うなっている。


 それを離れたところで見ながら浩太は言った。


「ねえ、なんで今、僕を止めたの?」


「霊が見えるって設定にしてたってことは、ほんとのことは言いたくないんだと思って」


 まあね、と浩太はすなおにみとめる。


 美弥に本を手渡てわたした。


 手の中で、確かにずしりと重みを感じる。


 それは赤い表紙のアンデルセンの童話だった。後ろを捲ると、定価ていかが百いくらになっている。


 やはり古いもののようだ。


「ま、未来が見えるとか言って、大歓迎なのは、悪徳政治家と芸能人くらいのもんでしょ。


 普通の人は未来なんて知りたくはないし。


 僕は何を見ようとか制御せいぎょできるわけでもないから」


 役に立たないよね、と言う。


「さっき、ここへ着いたあとで、そうだったのかって言ったのは?」


「……夕暮れの新しい校舎の映像が見えたんだよ。

 あの死体の映像の直後に。


 僕は結構時間の流れ通りに未来が見える。


 死体を見つけたはずなのに、夕方までキャンプが続いてるはずもないし、校舎が新しいのもせないなあと思ってね」


 大輔もそうだが、こういう力を持つ人間は、不思議に大人びている。


 力による経験がそうさせるのか。


 元からそういう精神の持ち主だから、そういうものが見えるようになるのか。


 美弥はつい、いたわるように大輔の手を握っていた。


 大輔はそれを振りほどかずに、こちらを向く。


 だが、美弥の口から出たのは呪いの言葉だった。


「あんた、よくも今まで黙ってたわね~」


 だが、大輔は、

「どうせ、気づいていたんだろ?」

 しれっとそんなことを言う。


「徹底してあんたが霊を否定するから言えなかったんじゃない」


「だって、俺は今でも信じていない。

 こうして、見えているとしても――」


 大輔はもういない霊の姿を追うように遠い目をする。


「なんだって、一番信じてない奴が、こんなもの見えるようになったのか。

 三根とかだったら、怖がりながらでも、喜びそうなんだがな」

と半ば投げたように言う。


「やっぱり、あのときからなの? プールでおぼれたとき」

 嫌な話を出され、大輔は顔をしかめた。


 小学校二年のとき、監視員かんしいんの目の前で大輔はおぼれた。


 美弥以外、誰も気づかず、泳げないはずの彼女が大輔を引っ張り上げたのだ。


 隆利が美弥を気に入っているのも、そのことが関係しているのかもしれなかった。


「あれはな、美弥。

 足がつっただけだ。別に俺は泳げなかったわけじゃ―」


 わかってる、わかってるって、と美弥はさえぎる。


「あんたは誰より速かったわよ。

 で、ちょっと調子に乗りすぎただけよね。


 ……いてっ」


 あいている方の手で、軽く小突こづかれ、美弥はつないでいた手を離した。


「そんなことより」

と大輔は神妙しんみょうな顔で言う。


「問題なのは、俺以外の人間にも霊が見えるようになったということだ」

 うん、と浩太が横でうなずく。


「きっとここの磁場じばが不安定なんだよ。

 早くしないと、嫌な予感がする」


「え?」


「言ったでしょう?

 この辺りが爆撃ばくげきされて人がたくさん死んだのは本当なんだ。


 その手の霊がってくるかも」


「でも、ここの時間は止まったままなのよね?」


 確認かくにんするように美弥は言う。


 不気味ぶきみなほどの静けさだ。

 せみの声さえ聞こえない。


 ただ、元来た世界と同じように暑いから、夏だと感じるだけだ。


「それに、爆撃だけじゃないだろう?


 裏山で土砂崩どしゃくずれがあって、人が死んでる。


 ……それで俺たちをあそこに誘導ゆうどうしたんだろう?」

と大輔が美弥と叶一をにらんだ。


「あそこ、見えるってウワサを叶一さんが仕入しいれてきてくれたから。


 だって、確かめたかったのよ。


 今度のことがなければ、私確かめたりしなかったわ。


 あんた、私にも知らせたくなかったみたいだから。


 でも、あんたの目、ちゃんと猫みたいに、たぶん、霊を追ってた――」


 なるほどねえ、と浩太が今更いまさらながらに、あきめたようなため息をもらす。


「大輔の目の動き見てたら、僕に見えてないのがわかっちゃうよね」


 でもさ、大輔、と美弥は向き直る。


「昔、死にかけたショックで見えるようになったのなら、今度もこんなことに巻き込まれたショックで見えなくなるかもよ」


「相変わらず、都合つごうのいいポジティブシンキングだな……」


「それにしても、どうして、図書室への入り口が開かないのかな」


 だまっていた叶一が、ふいに言った。


「俺にもよくわからないが、いくつかの力が介在かいざいして、この空間を作っている気がする」


 そう言う大輔に、それって、と美弥は言った。


「あの配膳室の霊の他にも……いえ、あれがやってるとも断定だんていできないけど」


「ねえ、もしかして、教頭?」


 口をはさんで叶一が言う。

 あのとき、庭を歩いていた教頭の霊を思い出したらしい。


「かもな」


 図書室が開くことは、真相しんそうを知ることになるのに。


 そのためにこの旧校舎にまねかれた気さえしているのに。


 その動きを止める別の力も働いているとは――。


 どちらがどちらの動きをしているとも、今はわからない。


「な、なにか聞こえない?」

 びくついたように美弥は辺りを見回す。


 微かにサイレンのようなものが鳴っていた。


 図書室の前に居た三人も気づいて、音を追うように首を回し、振りあおぐ。


「帰りなさいの五時のサイレン?」


 引きつった笑顔で、一志が言った。


 しかし、

「五時すぎてんでしょ」

と一美は容赦ようしゃない。


「じゃ、じゃあ、正午しょうごのサイレン。

 お昼だよって」


 もっとまと外れなことを倫子が言う。


 だが、誰もそれが本当だとは思ってはいなかった。


 このサイレンには、聞いたことがない人間でさえも、本能的ほんのうてきにおびえさせるような、気持ちの悪さがある。


「どっちかな」

 つぶやく大輔に、ど、どっちって!? と美弥は意味をつかみかねて、きく。


 あれしかないと思っていたのに。


空襲警報くうしゅうけいほうか、貯水池ちょすいちからの放水ほうすいのサイレン」


「は?」


 放水?


「土砂崩れは放水が間に合わなくて、貯水池ちょすいちの水がものすごいいきおいで裏山を押し流したせいで起こったらしい」


「こんなときになんだけど、霊が見えると歩く郷土史きょうどしみたいよねっ。うわっ」

と突然揺れた校舎に美弥はよろけた。


「美弥ちゃん!」


 こんなときだというのに、のんきに近くの教室をのぞきに行っていたらしい叶一が、柱につかまって中から身を乗り出す。


「時計進んでるよ!」


「えっ? うそっ!」

と叫びながら美弥はしゃがみ込もうとした。


「待てっ」

 ぐっと大輔が美弥の腕をつかんで、それを止める。


「一志! 三根! 見ろ、その隙間すきま!」


 一美は少しはなれて立っていた。

 ちょうど一志と倫子の間の板が割れている。


 そこに水色の違う板が見えた。


「あっ! もしかして、図書室の戸!?」

 前三人が叫んだのに、かぶせるように美弥も叫んだ。


「あっ、あれっ」


 大輔に引っ張られ、身体からだが半分後ろを向いていた美弥は見た。


 身体が焼けげた人たちが、すぐ側の階段をい登ってくるのを。


「一条! そこの板、引きはがせ!」


 そう叫びながら、大輔は浩太に美弥をあずけ、自分も突き当たりにけ出していく。


 大人も子どもも居た。


 救いを求めるように手を伸ばしながら、こちらに向かってやってくる。


 じりじり後退こうたいしかける美弥を浩太がとめた。


「僕は……未来が見えるだけで、過去は見えない」


 ふいにそんなことを言い出した浩太の静かな口調に、美弥は怖さも忘れて彼を見た。


「でも、こういうのを直視ちょくしすることこそ大事なのかもしれないね。


 大輔はいつも見てきた。

 だから、ああ見えて、やさしいのかも。


 いや、逆かな。

 やさしいから見えるようになったのかも」

とちょっと笑う。


「じゃあ、私たちはやさしくないのね」

と美弥も笑ってみせた。


 美弥は浩太の言葉にしたがい、おそらく爆撃ばくげきにあって死んだのであろう人々を逃げずに見つめてみた。


 見つめてみた……。


「ごめん」

我慢がまんできずに、美弥は目をそらす。


 そんな美弥に浩太は笑う。


「そう、それでさ。

 そらさざるをないことを知るのも大事なんだよ。


 二度と繰り返さないために」


「浩太くん、学校の先生みたい」


「いいね、学校の先生」

と笑った浩太は元気がなかった。


 美弥はその横顔を見つめる。

 何故なぜ、浩太が自分たちを巻き込んだのか。


 それは――。


「ねえ、美弥ちゃん。

 裏山からこんな空間に続いているとは知らなかったんだよね」


「あ、うん。

 防空壕の話はほんとだけど、建物の地下に続いてるとは知らなかったわ」


 ふうん、と浩太はうなずく。


「ウソから出た、まことか。


 うまく霊に利用されちゃったかな。


 それと、もしかしてだけど、美弥ちゃんには犯人わかってる?」


「……ちょっとだけ」

 そっか、とぼそりと浩太は言った。


「じゃあ、あんな風に巻き込む必要はなかったね」


「ううん。

 あそこに行ったからわかったの」


 そんな会話をしている間にも、美弥たちは、い寄る人々に押され、後ろに下がっていっていた。


「開いた!」


 何かを大きく引きはがす音ともに、そんな一美たちの声がする。




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