第四章 よみがえる旧校舎

PM11:30







 教頭先生の死因しいん後頭部こうとうぶ強打きょうだしたことらしかった。


 眠っている子どもたちを起こさないように、そっと警察は到着とうちゃくし、捜査そうさを始めた。


 殺人なのか事故なのかは、まだわからない。


 いずれにせよ、朝になれば、キャンプは中止になるだろう。


 大輔たちはこっぴどく叱られるかと思ったが、死体を見つけたショックをかんがえてか、あまり注意されることもなく、テントに帰らされた。


 もっとも、倫子のりこが泣きじゃくるので、女の子たちは建物の中の保健室に連れて行かれたようだが。


 大きな木の側にあった小さな切り株に大輔は腰を下ろし、建物の方を見ていた。


 覆面ふくめんパトカーが何台もやってきて、私服の刑事や鑑識かんしきの人たちが右往左往うおうさおうしている。


 三根倫子の父親の姿も遠目に見えた。


 二階にも三階にも灯りが灯り始めたころ、やあ、大輔、と浩太が声をかけてきた。


「なに? 不機嫌だね」

と笑う。


「……お前が余計なことを言うから」


「冷たいね~。

 でも、死体は元からあそこにあったんだよ。


 それにしても、キャンプ中止になるのかなあ」


 浩太は少し残念そうに言う。


「事故なのかなあ」

「さあね」


「あれ? 推理しないの?

 昔得意だったじゃない、大輔」


 大輔はだまる。


 なんでも真実を知る方がいいとは限らない。


 叶一は好きだが、彼の母親と、父とのことは出来れば知りたくはなかった。


 母はわかっていたが、触れないでいたようだったのに。


 自分が感づかなければ、父はその事実を母に対して打ち明けることはしなかったのではないかと思う。


 知らないふりをしているままの方が幸せなことはたくさんある。


「まあ、あそこ鍵もなかったし、誰でも出入りできたみたいだけど」


 浩太の声が大輔を現実に引き戻した。


「でも、教頭先生があそこに入る理由がないだろ」


「僕らみたいな生徒が入り込んでないか、見回ってたんじゃない?


 それで足をすべらせたんだよ。


 奥の方の床、れてたよね。


 あの上の部屋の窓が開いてて、昨日の雨で水浸しだったみたいだよ」


 大輔は静けさをよそお旧校舎きゅうこうしゃを見上げた。


 灯りも強くなり、人の出入りも激しい。


 この分ではトイレに起きた生徒たちが感づいてしまい、すぐに騒ぎになるだろうと思われた。


「美弥ちゃん、可愛いね」


 はあ? と大輔は突然脈絡みゃくらくのないことを言う幼なじみを見上げた。


「大輔、面食いなんだね、意外」


 立ち上がった大輔に、

「あれ? 否定しないの?」

と面白そうに笑う。


「何処行くの?」

「お前はテント帰ってさっさと寝ろ」


 そう言うと、浩太を置いて歩き出す。


 振り返ると、浩太は何処にも行かずに切り株のそばからこちらを見ていた。






「なに、スイカなんか食ってんだ」


 そう大輔が声をかけると、美弥は自分を見上げてきた。


 保健室に幾つか並ぶ木の二段ベッドのそれぞれに、美弥たちは陣取じんどっている。


 倫子は泣きつかれて寝ていた。

 一美は大輔の方を振り向きもせずに、廊下の窓から外を見ている。


 その話しかけられないような雰囲気に、彼女のことだ、自分が肝試しを始めたことに責任を感じているのかもしれないと思った。


 大輔は美弥のベッドに腰かける。

 彼女のひざには、食べかけのスイカがそのまま皿の上にあった。


「父兄の人が持ってきてくれたの」

 美弥は笑って見せたが、やはり少し憔悴しょうすいしているように思えた。


「お前、どう思う?」

と訊くと、美弥はすぐに、


「あれが事故かどうか?」

と答えてくる。


 やはり、こいつが誰より順応性があって、たよりになると思った。

 まあ、小学二年のときからわかっていたことではあるが。


後頭部こうとうぶ強打きょうだしたせいだと聞いたけど、打ち付け方によるでしょうね」


 そう答える美弥の目が、どこか違うところをさまよっているように見える。


「……どうかしたのか?」

「え?」


「お前、あのときおかしかったろう?」


 なにか見たのか? と問うと、美弥は花の模様もようの入った白い皿をにぎりしめ、


「スマイリーマーク」

とつぶやいた。


「は?」

「もどるとき、あのコンクリートの階段の途中で、笑ってる顔が見えたの」


 自分が沈黙ちんもくしていると、あ、信じない、と美弥はいつもの調子をよそおい、笑って大輔を指さす。


「信じないわけじゃないが、なんだそれは」


「階段の途中に、二つの並んだ小さな丸と、笑った口にも見えるきかけの円みたいなのがあったの。


 最初の入ってすぐの段のとこね。あそこから逃げ出すときに、振り返ったら見えたんだけど」


「……そうか。

 あとで三根さんにきいてみるよ」


れてコンクリートの色がくなってたみたいだった。もしかして、鑑識かんしきさんが入ったときには、もうかわいてたかも」


「どうかな。あそこは湿気しっけが多いし。今は日はってないし」


 あまり長くいては悪いかと立ち上がった大輔だったが、やはり気になり、ガラス戸のところで振り返る。


「美弥、お前が見たのはそれだけか?」


 そう問うと、逆に問い返された。


「じゃあ、大輔。私が何を見たと言っても信じる?」


 少し考えていると、美弥は、それ以上追求ついきゅうせずに、後でね、と手を上げた。


「後で……なんだよ?」

「どうせ、おとなしく朝を待ったりはしないんでしょう?」


 見透みすかすようなその言葉に、つい、反抗的に、そんなことはない、と答えてしまう。


 だが、美弥に、

「あら。じゃあ、ける?」

と言われ、


「――賭けない」

 素直にそう答えると、美弥はふき出していた。






 人気のない大樹の側で、叶一が星を見上げていると、軽くくしゃみをしながら小柄こがらな人影があられた。


 ぎりぎり肩に届く長さの髪を、ふたつに分けてむすんでいる。

 あら、叶一さん、と彼女は自分に気づいて言った。


 近衛美弥このえ みや


 県で一番の鉄鋼てっこう会社、久世グループよりも古い歴史を持つ近衛鉄鋼の社長の娘だ。


 近衛鉄鋼は、会社自体は今ではそう大きな方ではないが、社長のその誠実せいじつな人柄から、信用度は久世よりもはるかに高い。


 小さな頃からべったり一緒にいることもあり、近衛美弥は事実上、久世大輔の許婚(いいなずけ)だと言われていた。


「なにしてるの?」

と美弥は無理に笑顔をつくっていてくる。


 さっきは意味一番ショックを受けているように見えたのに。


「いやー、テントにもどって呑気のんきに寝てる連中の顔見てるのも、なんだかなって思って」

 そう、と美弥は笑顔のままうなずく。


 顔立ちは可愛らしいといった方がいいのだが、その目つきのせいで、大人びた美人に見える。


 身長も年のわりに大きく見えるが、本当は普通か、普通よりちょっと高いくらいだろう。


 バランスがいいのか、なんとなく迫力があるせいか――。


 あの偏屈へんくつでワンマンな久世隆利くぜ たかとしが息子よりも気に入っているというウワサ《うわさ》が流れるだけのことはある。


 十二歳なのに、こういうときだけ目がすわっている。


「なに? 大輔探してんの? さっきテントの方に行ったけど」


 そう、と美弥はおのれのあごに指先で触れ、何か考えているようだったが、どうせ、すぐ戻って来るわね、と言った。


 この小さな少女に、あの小生意気こなまいきな大輔が、行動パターンをみな読まれている。


 そして、大輔はそのことを心地ここちいいと思っているようだった。


 叶一は、最初に会ったとき、微妙びみょうに大輔をかばうように自分の前に立った美弥を思い出す。


 あのときから、勝手に美弥を、心の中で、『大輔ママ』と呼んでいた。


「教頭ってさ。

 殺されるような人なわけ?」


「知らない。

 私はあんまり接点せってんなかったから。


 でも、評判ひょうばんは悪くはなかったわね。

 ひまなときは結構けっこう生徒たちとも遊んでくれてたみたいだし」


「あのときさ―― どうしたの?」

 え? と美弥は、外灯がいとうの光にけて、少し茶味がかったひとみで見上げる。


「地震のとき、転びかけたじゃない。

 死体もまだ見てなかったのに、なににおびえてたの?」


 美弥は迷うような素振そぶりを見せたが、やがて、大輔には言わないでね、と言った。


「一瞬、違う空間にいたの。いえ、そう見えただけだったのかも。夕暮れのあの地下室に、私はいた。


 女の子の死体があのコンクリートの踊り場にあったわ。水音がして、奥をのぞくと、今度は教頭の死体があった。


 振り返ると、女の子は瞳孔どうこうの開いた目でそれを見ていた」


 ふうん、と軽く流すように言ったが、その話に興味がないわけではない。


 それがわかっているように美弥は身を乗り出す。


「私に予知能力なんかない。

 なんで、教頭先生の死体があそこにあるのがわかったのかしら」


「……君ではない誰かの力が君にそれを見せたってこと? 例えば、その死体とか」


 君、霊感あったっけ? と問う。


「ないわよ。

 今まで一度だってお化けなんか見たことないわ」

と美弥は威張いばったように言う。


「でも、霊って波長なんだって。

 たまたま波長が合えば見えるし。


 ってことは、合わなければ、霊感が強くても見えないんじゃないかしら」


 考えるように呟く美弥に、

「それってあの、浩太とかいう奴のこと?」

と問う。


 瀬崎せざき浩太、名前くらいは知っているが、叶一自身はそう面識めんしきはなかった。父親同士が知り合いなだけだ。


 それに、父親の知人の息子というだけで、あまり関わり合いになりたくない部類の相手だと叶一には認識にんしきされる。


 大輔はそういうものから逃げられない立場にあるが、自分は自由だ。そのぶん、彼よりは楽だろう。


 もっとも、彼には都合よくささえてくれる人間がいるのだが、と目の前の美弥を見る。


 美弥は、うーん、とあいまいな返事をしていた。


 この小さな頭の中で、一体なにがどのように回転しているのか、ときどきすごく興味がある。


 育った環境のせいか、生まれつきか、あまり他人には興味のない叶一だったが、この二人は見ていると実に面白い。


 一見、とぼけているようで、頭の回転が速く、如才じょさいない美弥が、頭はいいが、ただ突っ走る不器用な大輔をうまくささえている。


 いいコンビだった。


 ところでさ、と美弥は話を変える。


「叶一さん、さっき、いなかったけど、他校の女生徒ナンパに行ってたんだって?」


「……誰が言ったの、そんなこと」

「大輔」


「あいつ実は僕になんか恨みがあるだろう」

 愛人の息子として笑えないことを言ってみたが、美弥は笑った。


 そうではないことを知っているからだ。


 その心を許したような笑顔に、自分を仲間と認めたのは、大輔に害をなさないとわかったからだろうなと思う。


 美弥の中の一番の基準きじゅんはそれだ。大輔のためになるか、ならないか。


 ちょっとさびしくはあるが、なにせ、彼女は大輔のママだから。


 ああ、もうこんな時間ね、と美弥は可愛い赤い腕時計に目をやった。いつか見たことがあるが、キャラクターのついた子どもらしいものだった。


 建物の壁面にも古い時計がかかっているのだが、この暗さではよく見えない。


「じゃあ、おやすみなさい。叶一さん」

と美弥は、さっさと行こうとする。


「あれ? 美弥ちゃん。事件はほったらかし?」


「だって、子どもが首突っ込んでも迷惑なだけじゃない」

 しれっとそんなことを言う。


 見つめてみても動じないその目を見ながら、小さく恨みがましく、叶一は、

「……僕もぜてよ」

と言った。


 高校生が小学生に何をお願いしてるんだ、と自分で自分に突っ込みながら。


 しかし、動物がすぐに上下関係をさっするように、敏感びんかんな叶一は今回の真のリーダーが美弥であることを察知さっしていた。


 正直、さっきまで、事件のことが気になりながらも、半分はめんどうくさいと思っていた。


 だが、こうして、さらっと流されると余計気になる。


 美弥はわかっていたように、そう? と勝利しょうりの笑みを浮かべる。


「じゃ、行こっか」


 いつの間にか、大輔だけじゃなく、自分まで、あやつられている気がしたが、特にそれを嫌だとは感じなかった。








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