銅 聡美

 


 

 

「これが教頭先生かー。

 当たり前だけど、ちっちゃいね」


 たいして驚かずに美弥は、その写真に写る、おさない教頭先生を見て笑った。


 必ず何処どこかに教頭先生とあの配膳室の少女の接点せってんはあるものだと思っていたから。


 配膳室の少女と、おそらくその姉、銅聡美。


 教頭先生は聡美の同級生だったのだ。


 当時は人数も少なかったこの田舎の小学校のこと。


 実也の方とももちろん、接点せってんはあったろう。


 この顔は……と大輔がアルバムを手に取る。


 聡美の顔をじっと見て言った。


「あの崖下の女の人だ」


 そのとたん、棚のはしにのせておいた新聞の縮刷版が、美弥の足もとに落ちた。


 ぱらぱらと勝手にページがめくれる。


 美弥は腰をかがめてそれを拾った。


 そこにある記事を確認する。


 もう間違いなかった。


 そのページを見ながら美弥はつぶやくように言う。


「雪道でわたしが転んで、大輔が保健室まで連れてってくれたとき」


 美弥が何を言わんとしているのかさっし、大輔は、ただ黙って聞いていた。


「保健の先生はすぐ病院に行くよう、手配てはいしてくれたよね。


 でも、それは立ち上がれないほど腰が痛かったからだけじゃなくて、わたしの――


 世界に色がなかったから」


「色がない?」

 浩太が問うた。


「転んで腰を打ったとき、脊髄せきずいをどうかしたのか、色が見えなくなったの。


 世界が白黒になっちゃって。


 でも、意外とああいうときって、動揺どうようしないのね」

と美弥は苦笑くしょうする。


「普通の人間ならもっとあわてるぞ」

と大輔が当時を思い出したように顔をしかめ、言ってきた。


『ほらほら、大輔、色がない~!』

みょうなテンションで、言ってもわからないのに、彼に向かってさわいで叱られたことを思い出す。


「怖くなかったわけじゃないのよ。


 痛いのと驚いたのといっしょで、なんていうか、いつ戻るんだろうとか思うような余裕が逆になかったの」


 ごめんね、と当時心配しすぎて怒っていた彼に向かい、今更ながらに謝った。


「しばらくして視界は元に戻ったけど。

 ほんと妙な感じだった。


 犯人も最初は自分の視界がおかしいことに、気づかなかったのかもしれない。


 おそらく腰を打ったのは、事件の最中だったんだろうから、動転してたでしょうしね。


 でも、気づいたところで、どうしようもなかった。


 だって、何処でどうして、そんな風になったのか、言えないんだもの」


「教頭先生ともみ合いになって腰を打つかどうかしたのか」


「たぶん……」


 いっそ、教頭先生が出てきて、すべて話してくれれば、すっきりするのだが、彼はわたしたちに犯人を知らせたくないようだったし、無理だろう。


「大輔、あのときビールを運んでいたね」


 そう言う美弥の手もとを倫子たちがのぞき込む。


 そして、その記事にあった名前に息を呑んだ。


「モノトーンの状態では、濃い緑と赤って区別つきにくいんだよね。


 いつも視界が白黒なら別だけど。

 瞬間的しゅんかんてきにはちょっと」


「なるほどね。


 ピーマンの緑とパプリカの赤が見分けられなかったってわけか。


 ま、うす暗い場所でのビデオの配線はいせんコードの区別もつきにくかったみたいだから」


 そう言う叶一を見上げて美弥は問うた。


「叶一さんはそれでうたがってたの?」


「いいや――

 それよりも雰囲気ふんいきかな?


 ほら、こう見えて付き合い長いじゃない。


 普通にふるまってても、なんか変だなあ、とは思ってた。


 ここ来たときから、もう変だったよ」


「その時点でもう事件は起きてたっていうのか」

と大輔がするどい眼で彼を見上げて言った。


 自分だけがわかってなくて、ねにされたような気がしたのだろう。


 だが、仕方しかたがない。


 彼は転倒てんとうして、視界しかいが白黒になったことはないのだし。


 美弥や叶一のように、パプリカをつかみそこねた彼の顔も、ビデオの配線が出来なかったときの様子ようすも見てはいないのだから。


「あの時点で事件はまだ起きてなかったかもしれないけど。


 何かその原因になることを彼は知ってしまっていたのかもしれない。


 それで様子ようすがおかしかった――」

と叶一は思い出すような顔をしながら言う。


「なんで……?」


 倫子が息苦しそうな声で、切れ切れに言葉を出す。


「なんでこの人。

 佐田聡美ってなんで―」


 一美たちは黙り込んだままだ。


 じっと古い木の床を見つめている。


 叶一が倫子の肩に手を置いた。


 気を落ち着けるよう、ぽんぽんと叩く。


 予想はしていたとはいえ、彼だって、こんな風に、はっきりとその事実を突きつけられて、動揺していないはずはないのに。


「たまたま同じ名前なだけだよね、叶一さんっ」


 倫子はすがるように叶一を見たが、叶一は首を振る。


「佐田聡美。


 旧姓、銅聡美。


 佐田先生のお母さんだ――。


 先生が小さいころ、事故で亡くなったって聞いてたけど。


 土砂崩れだったんだね」


 感慨深かんがいぶかげに叶一は言う。


 美弥はここに引っ張り込まれてから今までのことを思い返しながら言う。


「銅実也と銅聡美は、いずれ先生がつかまるとんで、わたしたちにその理由を見せることで、ショックをやわらげさせようとした。


 たぶん――


 先生が教頭先生と争って死なせてしまった原因は、先生のお母さん、銅聡美さんのことだから」


 あの崖下の幽霊の書き込みに注意を向けさせた実也の行動からもそれは明らかだ。


 そして、崖下で淋しげに立っていたという教頭先生の霊――。


「崖下の事故に、教頭先生がどう関わってるっていうの!?」


 否定したいがために、美弥に対して、という訳ではないのだろうが、攻撃的に倫子は言う。


「それはわたしにもわからないけど。


 教頭先生が佐田先生に何かい目があったことは確かだわ。


 だから、教頭先生は、自分を殺した犯人が捕まらないことを願った。


 そして、わたしたちには真相しんそうを知らせまいと実也さんたちの邪魔じゃまをしてたのよ」


 特別、先生になついてたわたしたちには―


「なんで教頭先生が佐田先生が捕まらない方がいいって思ってたってわかるの?」


「だって、先生が捕まったら、いずれわたしたちはすべてを知るわ。


 それを教頭先生が望んでいるのなら、今、彼が邪魔する意味がわからない。


 それに―― 教頭先生は、自分がここで死ぬことを知っていた。


 それでも彼はここへ来たの。


 それが運命だと自分で言って。


 そんなわざわざ殺されに来たような人が、殺した犯人をうらむはずがないじゃない」


 これが運命なんだと浩太の頭をなでたという教頭。


 彼は一体何から自由になりたかったのか。


 もうすぐ、その理由もわかるのだろう。


 現実の世界では、おそらく、そろそろ夜が明ける――。


 つづきを口にしようとして、美弥は一瞬迷った。


 倫子たちにそれを知らせてショックを与えるのがいいことなのか。


 だが、ここまでいっしょにやってきた仲間だ。


 真相は知りたいだろうと、それを告げる。


「それに……あのとき、笑ってたでしょう? 教頭先生」


「え?」


「死体で見つかったときは、うつむいてたからわからなかったけど。


 きもだめしのとき、笑ってたじゃない」


「きもだめしのとき?」


 こわごわ一志がきき返す。


「あのとき、青ざめた教頭の顔、はっきり見えてたわ。


 笑ってたでしょう?


 殺されて笑ってたってことは、それは――」


「ちょちょっと待って、美弥。


 あれは死体!?」


 さすがの一美も動揺どうようして、美弥の腕をつかんでくる。


「たぶん。

 だって、るしてたの佐田先生だし。


 誰も教頭の声は聞いてないじゃない」


 うーん、でも、と叶一が腕を組んでうなる。


「なんだってそんな目立つことを?」


「教頭もきもだめしに参加するはずだったのに。

 いないってなると騒ぎになるからでしょう?」


 美弥、とようやく大輔が口を開いた。


「死後吊るせば、身体にそのようにあとが残るし、あのとき、教頭の頭には血に見せかけた絵の具がかけられていた。


 それだって、後でふき取ったとしても、調べればすぐわかることなのに。


 佐田先生がそんなこともわからないとは思えない!」


 自分にみ付いてくる大輔を見ながら、美弥はちょっとだけ笑ってしまった。


 大輔にだってもう真相はわかっているはずだ。


 あのときの教頭と佐田先生を思い返して、彼がおかしいと思わないはずはない。


 だが、それでもこうして反発してくるのは、彼が佐田という人間を信じたいから。


 それだけだ。


 そういう真っ直ぐなとこが、わたしや叶一さんと違ってて、好きなんだけどなあ、と美弥は場違ばちがいにもなごんでしまう。


 たしかに、大輔はめがあまいというか、肝心かんじんなときにマヌケなこともあるが、そんな彼に、自分も叶一も救われる。


 彼のあまさに救われるのだ。


 佐田先生に裏切られたという思いを、こうして莫迦みたいに彼を信じようとしている人間がいるという温かい事実でめられる。


「だからね。


 そもそも、先生は罪をのがれるつもりなんかなかったのよ」


「じゃあ、なんで!」


 なおも噛み付いてくる大輔に、肩をすくめて美弥は言った。


「だから――


 最後の夏休みをやるためでしょう?」






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