後書きに変えて
―近衛美弥―
以上がわたしが小学六年生のときに
学校はずっと違ったけれど、浩太との付き合いはつづいた。
彼は大人になるにつれ、お約束のようにその力をうすれさせ、もうほとんど未来は見えなくなったらしい。
なのに、
たしかに、彼には未来もお化けも見えてはいないのかもしれない。
だが、彼の言葉に助けられている人間も数多くいると知っている大輔は、しぶしぶながらも、ときおり、浩太の
その大輔の力の方は、本人が語らないので、どうなっているのかわからないのだが。
たぶん、消えてはいないのではないかと思う。
彼はときおり、なにもないところで足を止め、もの哀しげな顔つきで、立ちつくしているからだ。
わたしはかつて、おぼれたせいでそんなものが見えるようになったのだろうと彼に言ったが、たぶん、それはひとつの切っかけに過ぎない。
彼がやさしいから、いろんなものが寄ってきてしまうのだろう。
一方、叶一さんは、あいかわらず、だらしなく――。
「ねえ、叶一さん。
ちょっとここ、片付けない?
食べたものくらい片付けない?」
地下室のような叶一さんのアパートはいつもうす暗く、散らかっているのに生活観がないという、わけのわからなさで、ここに来るたび、わたしは
「美弥ちゃん~。
死にゃしないって、少々汚くても~」
寝転がったまま床に下ろしたパソコンのキーボードを叩く叶一さんの背をわたしはにらみつけた。
「こんなに汚かったら、わたしが死ぬわ」
「美弥ちゃん、ここ住んでないじゃない」
「住んでなくても、誰かが訪ねてきたときに、これがわたしの夫の
と
そんなところは、あのころと、全然変わっていない。
ああ、これだから
のれんに腕押しとは、まさにこのこと、と思いながら、美弥は、
「ぜったい
とつぶやいた。
「すればいいじゃん。
離婚とどけは、もうあげてるでしょー?」
たしかに持ってる。
たしかにもらった。
でも、タイミングを
どうせ叶一さんとの結婚は会社同士のいざこざがらみで、大輔と叶一の父、久世隆利の
こちらが力さえつければ、いつでも引っ繰り返してかまわないのだか――。
ふっとため息をついて、わたしは落ちていたゴミを拾い出した。
叶一さんはそれを
わたしがそう簡単に彼を
だって、ほっといても大輔は生きてるけど。
叶一さんは、ほっといたら、干からびて死んでそうだもんな~……。
そのとき、わたしの
叶一さんが勝手に出る。
「あ、ちょっと」
と言ったとき、叶一さんは起き上がって、そこに相手も居ないのに笑顔で言った。
「はい、こちら、近衛探偵事務所です。
いえいえ、所長は近衛美弥。わたしは所員の近衛叶一です。
ええ、ええ、そうなんですよ。
いえいえ、わたしが近衛の家に
「……叶一さん。
依頼人になに言ってんの?」
とわたしは叶一さんの前に仁王立ちになる。
「事務所まだ開いてませんか?
すみませんね。
近くを目つきの悪い男が胃が痛そうにして、ふらふらしていたら、それが所員の久世大輔です。
ああ、いた?
じゃあ、鍵開けるように言ってください。
すぐに行きますから」
そう言って携帯を切った叶一さんをにらむ。
「大輔の胃が悪いの、誰のせいなの?」
「僕のせい?
なかなか決断が下せない君のせいでしょー?」
そう言いざま、意外に素早く立ち上がると、上着を手に、ほら、行くよ、とポンと頭を叩いてきた。
思わずそこに手をやり、考えこんでいると、何もかも
ちぇっ、と誰にともなく言い、わたしは電源付けっぱなしのパソコンをふり返る。
「あーあ、もう、
これだから、見捨てづらいんじゃないのよっ、と思ってしまう。
自分たちの結婚は、
ため息をつきながらも、しゃがんで、ついたままのパソコンの画面を見た。
「なによ、調べ物してるのかと思ったら――」
画面に出ているのは妙に暗い
怖い話を見ていたらしかった。
まったく……と切ろうとして、わたしは、ひとつの書きこみに気がついた。
『うちの学校の図書室には怖い話の本があります。
それは、代々受け継がれているもので、生徒たちが自分で書き込むものなんです。
誰にも見られないように書いてもいいし、みんなで怪談を作りながら書いてもいい。
毎年、卒業アルバムの委員はひとつ話をのせることになっているので、わたしたちもがんばろうと思います。
では、内緒でその中から、ひとつ、<
長い
あの日、朝もやの中で静かに釣り糸をたれていた佐田先生の笑顔が思い出され、泣きそうになる。
そのとき、コンコン、と軽いノックの音がした。
振り向くと、うすく開けたままのドアのところに叶一さんが立っていた。
こちらを見ずに、
「奥さん、そろそろ時間ですよ」
と言う。
「……誰が、奥さんよ」
と憎まれ口を叩きながらも、電源を切り、立ち上がった。
玄関に行き、大きくドアを引き開けると、叶一さんがよろける。
「美弥ちゃん~っ」
かろうじて踏みとどまった叶一ににらまれたが、わたしは、ははは、と腰に手をやり、笑ってやる。
「ほら、行こうよ」
と言うと、
「いや、僕が君を待ってたんだけどね」
と文句を言ってきた。
「あら、わたしがあなたの
そう言うと、ほんとうに口の
こうして関係は変わっていっても、変わらない
ガシャンと鍵をかけると、叶一さんと並んで歩き出す。
気持ちのいい天気だ。
あの日の青空を思わせる。
いい香りのするコーヒー専門店の前を通りながら、わたしは叶一さんの腕に手をふれながら言った。
「ねえねえ、いつか、先生と釣りに行こうよ。
みんなでほら、おべんと持って」
「えー、僕さあ。
ほんとは釣り嫌いなんだよね~」
そう文句をたれてはいたが、まんざらでもなさそうだった。
「あの、黄色いのとか赤いのとか、プラスチックの浮かぶやつ、なんだっけ?」
佐田先生の持っていた、いれ物の中のものを思いだながら叶一さんに問うたとき、
「ルアーだろ」
と言う声がした。
いつの間にか、うしろに大輔が立っていた。
「早く来いよ。
依頼人が待ってるだろ」
あっ、ああ、そう、とわたしは慌てて叶一さんから手を離す。
それをちらと横目で見て大輔は先に歩き出した。
「ああもう、待ってよ、大輔っ!」
急いでそれを追いかけていると、うしろから叶一さんがつぶやくのが聞こえてきた。
「いや~、事件よりもわかんないのは、女心だよねえ」
いや……あなたに言われたくないんですけど、とわたしは思う。
叶一さんがわたしを好きなのかどうか。
いまだにつかみかねているからだ。
単に、わたしはこの人にとって、べんりな家政婦さんなのではないだろうか、とときどき思うからだ。
ふと見ると、大輔はこんなわたしを、ちゃんと足を止めて待っていてくれた。
大輔も離婚しろとも、するなとも言わない。
だからしそびれてるってのいうのもあるんだけど……。
ああ、ほんと。
先生、人の気持ちはわかりにくいです。
ある意味、事件よりも、はるかに。
あのときと似た空を見上げ、わたしは佐田先生にそう話しかける。
でも、その事件もまた、人の
わたしはそれを
あれ以来、キャンプ場に行っても現れない、実也さんや聡美さん、そして教頭先生のことを思い出す。
配膳室の霊はもう出ない。
彼らはただ、あのノートの中だけの
だけど、それらはいつまでも、
あの楽しかった夏のはじまりのように――。
事務所のある
見ると、入り口のところに、小太りな若い男が、スーツを着て立っていた。
春先だと言うのに、暑そうにハンカチで額をぬぐっている。
「はじめまして。
さきほど、お電話いたしました、前田ともうします」
ふかぶかとその依頼人は頭を下げてきた。
これがまた、わたしたち自身のうえにも降りかかってくることになる大事件の
まあ、それはまた、別のお話――。
<完>
図書室の怪談 櫻井彰斗(菱沼あゆ・あゆみん) @akito1
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