アリバイ

 




 





 美弥は目を閉じ、少し迷ったが口にした。


「そう。

 河合先生を呼び止めてね。


 確かめたのよ、その人物のアリバイを。


 そして、口止めをした――」


 目を開けると、案の定、大輔がとがめるような顔をしていたが、かまわず続ける。


「そのこと言うと、先生に疑いかかるかもしれませんよ。


 先生、教頭先生と仲悪かったんでしょう?


 いつも叱られてましたもんね。


 わたしは先生、いい先生だって知ってますけど、警察はそんなこと知りませんから。


 死亡推定時刻しぼうすいていじこくってドラマとかで言われるほど、はっきり出ないって知ってました?


 さいわい、みんな誤解ごかいしてますから、今のままにしといた方がいいですよって」


 美弥は、一息ひといきに言って、息をついた。


 もう大輔の顔は見なかった。


 横にある棚の本に指をはわす。


 夢の世界のはずなのに、しっかりした手ごたえも、古い本の、独特どくとくの匂いもしていた。


「ま、たしかにいい先生はいい先生だわ。

 多少考えなしだけどね」

もうわけ程度ていどに付け加える。


 おとずれた沈黙ちんもくやぶって、最初に口を開いたのは、やはり叶一だった。


「相変わらずの悪党だねえ」

と笑う。


「河合のあの証言がある限り、あの人のアリバイは成立する。

 でも、警察はそんなに甘くないと思うよ」


「……でしょうね。

 向こうの世界で同じように時間が流れてるのなら、もう知れてるかも。


 あの先生、小心者だから、ああ言えば黙ると思ったけど、それって、おどされてもすぐしゃべるってことだものね」


 大輔はその言葉の意味を考えているようだった。


 河合の証言。


 それは受け取った祝儀袋しゅうぎぶくろのことだ。


『教頭からですよ。

 さっきトイレで――』

と河合は言った。


 あの言葉により、あの時点まで教頭が生きていたと、みんな思ってしまった。


 だが、それだとほぼ全員にアリバイが成立してしまう。


 大抵たいていの人間があの宴会に参加していたからだ。


 まあ、もっとも、犯人が生徒ならば別だが――。


 今、大輔がどの辺りを犯人と思い描いているのか想像はつくが、その全員に今の話は当てはまることだろう。


「あれはさ、あの後につづく言葉があったのよ。


『さっきトイレで――


 教頭先生からだと言って預かった』


 それを河合先生に確かめて、口止めしたの」


「じゃあ、教頭が殺されたのは、もっと前……?」


 美弥はうなずく。


「いや、待て」

と大輔は気づいたように手を差し出す。


「それだと、二人口止めしないといけないはずだ。

 河合と、トイレで河合にそれを渡した人間」


「だけど、僕は美弥ちゃんが奴に話しかけたあと、他の誰とも接触せっしょくしていないことを知っている。


 僕が父兄に幽霊話をききに行ってる間も、美弥ちゃんかくれて側にいたもんね」

と叶一が言い出した。


「ということは、河合にそれを渡した人間が犯人か」


 そう大輔がつぶやく。


 美弥の瞳を見ながら。


「犯人はたぶん、河合にこう言ったのよ。


『これを今、教頭先生からあずかった』って。


 それで、しばらくの間はアリバイを成立させてられると思ったんでしょう。


 でも、河合がしゃべった相手が酔っ払いだったこともあって、そこまで話すまでもなく、今、教頭先生の手から渡ったことになってしまった」







 大輔は、美弥の顔を見ながら考えていた。 

 

 犯行時刻はあれよりも前。


 もっと前――


 いや、そこまでではないかも。


 ……そこまでではないと信じたかった。


 美弥はそんな大輔の表情をうかがっていたようだったが、やがて小さく口を開いた。


「言ったでしょう?

 わたしは動機どうきもなにも知らないけど、ある事実から、その人物を疑った。


 あんたも――


 あのとき、そばにいたわ」


「あった!」


 そのとき、倫子が声を上げた。


 みんながそちらにけよる。


「この子でしょう!?

 あの配膳室の子!」


 広げられた、うすく古い卒業アルバム。


 ならぶ個人写真の中で、何故かその子はひとり幼く、全体写真の方では、丸いわくの中にいた。


 あの恐ろしい形相ぎょうそうからは想像もつかない、愛くるしい笑顔だった。


 大輔は胸が痛んだ。


 どんな凶悪な霊だって、元は普通の人間だ。


 不慮ふりょの事故や事件により、恨みを残したことで変貌へんぼうしてしまうだけで。


 恨みか。


 だけど、この霊は、もしかしたら、もうある意味成仏しているのかもしれない。


 それなのに、わざわざ自分たちの前に出てきているのは――。


どう実也みや?」


 倫子が彼女の名前を読んだ。


「『あかがね』って読むんだよ」


 そう言って、倫子からアルバムを取ったのは叶一だった。


「叶一。

 よく知ってたな、その苗字みょうじの読み方」

と大輔が言うと、


「昔、ある人に聞いたことがあったから」

と苦笑する。


「へえ~、『みや』っていうんだ、あの子。

 それで美弥ちゃんにすがって出てきちゃったかな。


 ――あの人の側にいる美弥ちゃんに」


「そのあかがねって苗字の人、他にもいたよ」


 ほら、と戻ってアルバムを取ってきた一志が広げて見せる。


 大人びてはいるが、銅実也と少し似ている少女がそこに写っていた。


 銅聡美あかがね さとみ――。


「これ、おじさん……?」


 浩太がつぶやき指さした先には、坊主頭の少年が写っていた。






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