第40話 ピノキオ
「それでは社長、成功への鍵は何だったのですか?」
総本革製の応接セットが置かれた豪奢な社長室。
そこを取材で訪れた男性記者がそう訊ね、テーブルを挟んだ所にいる社長は、応接椅子に悠然と座し尚且つニヒルに笑んでいる。
それは記者が今日この男性社長に対面した時からそうだった。
「それはね、自身のアイデンティティーを貪欲に強欲に追求した結果ですよ」
記者は「なるほど」と妙に納得したように相槌を打った。
この社長は高級木材の伐採から家具や工芸品の製造、出荷、そして各地の支店による販売までを一手に担う新進気鋭の若手企業家だ。しかも世界各地の山を山ごと買い取り高級木を育てるという、運送業者に依頼している部分を除けば全てが自社で賄われているという徹底した仕組みにより、多額の純利益を上げている。
「ところで、その目を瞠る成功を快く思わない者の仕業だとは思いますが、一部の人間があなたを不可思議な妖術を使う日本の天狗と
「ハハハ、それは成功云々とは関係なく、過去のとある一時期の出来事が原因でしょう。昔は随分とやんちゃでしたから」
「そうなんですか? でも意外ですね~やんちゃとは。今の立派なお姿からは全然想像できないですよ」
「ハハハそうですか? 昔はよくゼペット爺さんに反抗したものでしたよ。それなのに私のわがままを聞いてくれて……本当にいい父親でした。今の私を形成してくれているのは彼の腕と職人魂です」
「ああ、社長の生みの親のゼペットさんは人間国宝もかくやの大変熱心な人形師だったと聞き及んでおります。もしよろしければその辺りの思い出なんかも交えてお話し下さると記事にも厚みが出ていいのですが?」
記者の問いにすぐに頷くでもなく男性が足を組み変えた際に、ギシリと椅子が鳴った。
高級スーツの裾からは彼の硬い足首が覗いている。
――高級な
「……そんな事を言っていいのですか? 話すととても長いですよ?」
「いえいえ全然構いません。こちらとしては願ったりです」
記者の破顔に、試すような物言いをした男性社長――ピノキオはやはりニヒルに笑っていた。
「ええ、皆さんが知るように、私は最初はただの安い木で出来た操り人形でしかありませんでした。意思などなく、ただそこにあった」
「ピノキオ社長、そんなあなたに子のいなかったゼペットさんが願ってくれたんですよね」
「ええ、自分の息子にと。それで妖精から私は命をもらったわけです」
「いい話ですね」
「そうですとも」
ただその妖精が自分に命を与える際、別の妖精に相談していた事をピノキオは何故か知っていた。
――ゼペットお爺さんの願い通り、このお人形に命を与えてもいいものかしら?
――オケ! オケオケ!
――まあティンクがそう言うなら……。
「ですが晴れて糸の無い操り人形となった私は、愚かにも見せ物小屋に売り飛ばされてしまいましてね。そこで馬鹿だとか未熟者だとか言われてついついカッと来て嘘をついてしまったんです」
「嘘、ですか。それは一体?」
「ええ、自分は世界三大銘木に数えられる高級なウォールナット材製で、しかも年季の入った物だと、つまりは未熟じゃないと言い張りました。露出している部分は日焼けとでも誤魔化せましたが、さすがに服の下は年季の入ったウォールナット材のように褪せた感じに塗りましたよ。経年のそれっぽさを演出するために様々な試行錯誤を繰り返した結果、塗装の腕が上がりましたね」
「何と! もしかしてその経験が工芸品まで手掛けるきっかけに?」
「お恥ずかしい限りですが、まあ、災い転じたものの一つですかね」
記者は熱心に話の内容を取材手帳に速記していく。
「しかしそこには大きな落とし穴があったんですよ」
「落とし穴!? それは?」
「鼻がね、伸びてしまいました」
「ええ!?」
「今となっては笑いぐさですが、嘘をついたせいで妖精に罰せられたんですよ。その時の私を見て天狗と思った友人もいたのでしょう」
「なるほど天狗の噂はそういうわけでしたか」
「ええ。天狗だなんてむしろ私の出身はどこだと思ってるのかを逆に問いたいくらいです」
「はっはっは確かに。それでその後は?」
意気投合した友人のように大袈裟な笑い声を立てる記者に、ピノキオは気分を害するでもなくニヒルに笑んでいる。
「反省したら戻りましたよ。それで家に戻ろうとしたのですが、今度は子供だらけの遊びの国のような所に連れて行かれまして」
「子供だらけ……それはもしやネバーランドでは?」
「いえいえあそことは違ってました。だって子供がロバになんてならないでしょう?」
「そこではロバになったと?」
「ええ。悪い子はロバになる所だったようですね。そして、残念ながら悪い子になっていた私は自分が半分ロバになってみて、こう思ったものです」
勿体付けるようなピノキオの間に、記者は釣り込まれるようにした。待つ間にごくりと生唾を呑み込む。
「木で出来た私を生身のロバに変える魔法、すげえな、と」
「確かに!」
「これを応用すれば農場なしに肉の大量生産性も可能ですよね。食料自給率も上がりますし」
「ええ、ええ!」
大仰に相槌を打つ記者に気をよくしたのか、ピノキオは以後も饒舌に語った。
「動物の木工工芸品を作れば売れるかもしれないと思い付いたのもあの時です」
「ほほう! それでその次は?」
もう記者はピノキオの紡ぐ物語の熱烈なファンのように先を促した。
「何とか逃げ出し家に帰ってもゼペット爺さんがいなくて、海に捜しに行きました。クジラに呑まれたと聞きましたので。せめてそいつの腹の中から遺骨だけでも……と」
「ですがゼペットさんは生きておられたのですよね」
「勿論です。何度感謝してもし足りない程に、今の私があるのは彼のおかげですからね」
「そうでしょうそうでしょう」
「話を戻しますが、実はあの一件が自分を変えたいと思った第一歩だったんです。当時海でそのクジラを探そうとしたのですが、如何せん私は安い木ですからね、浮くんですよ、水に……」
「ああ……。クジラは深い海にいますからね。時々海面近くに息継ぎに上がって来るくらいですし」
「ええ……」
ピノキオと記者の間に共有された沈痛な沈黙が落ちる。
「なので思ったのです。自分の体が安価で軽い木材ではなく、水に沈む硬くて重いオーク材や黒檀のような高級木材だったらと。まああの時は仕方がなく体に石か何かを括りつけましたけどね。そうして奇跡的に生きていた爺さんの救出が適った私は、死にそうになりながらも決めたのです。――自分改造を。それで以後は爺さんに色々な木で私のパーツを作ってもらったんです」
「ああそれで今日は黒檀製なのですね。先日テレビでお見かけした際は
「ハハハわかっています。よくそう言われますし。それにしても
「まったくですね」
――何言ってるのかしらピノキオは?
――さあ。
こそこそと囁き合うのは妖精たちだ。そこにはピノキオに命を吹き込んだ妖精もいた。海で溺れかけたピノキオ自身が人間になるのを保留にしていたので、時々意思確認に来ているのだ。今日は来客中だったので待っていたが、ずいぶん待たせる。
「海から生還してから私は木材に興味を持ちその道を進み始めました。ゼペット爺さんは私の要望を快く聞いてくれました。それこそ爪部分はピンクアイボリーにしてくれと言った細かな注文までね」
「本当に息子想いの方だったんですねえ」
「ええ」
「ところで、初めは材木商から始められて、色々と苦労もざれたかと思いますが、危険な目に遭った事は?」
好奇心旺盛な子供のように質問を重ねる記者は、同様にして答えをねだった。
「ありますね。ウバメガシパーツで日本を旅行した時はうっかり炭焼き小屋に連れて行かれて備長炭にされる所でした。何でも硬くて加工しにくいウバメガシは白炭にした方が需要があるとかで、ハハハ」
「いやいや笑い事じゃないですよそれは。殺人形未遂じゃないですか!」
苦笑いするピノキオに記者は慌てたように言い募る。
「まあこうして無事ですし。日本旅行では新たに見つけた素材――屋久杉でパーツを作ってほしいと爺さんに頼みました。ですが『ワシ一人では大きくて伐り倒せないから無理だな』と断られました。そんな時どこかの世界からガリバーさんと言う巨人が偶然現れましてね、軽々と屋久杉を伐採と言うか根こそぎ倒してくれて材料を得られたのですが、あれは貴重な体験でした」
「ガリバーさんと言う……巨人!? いるんですねえ」
「私も驚きましたよ。まあ私に命を吹き込める妖精がいるくらいですし、この広い世界に巨人が居ても何ら不思議ではないのかもしれません」
「なるほど。それにしても屋久杉ですか。樹齢千年以上のものを指すんでしたっけ」
「ええそのようです。千年も生きるとは木も侮れませんね」
「そういうピノキオさんも経営手腕は侮れませんよ?」
「ハハハありがたいお褒めの言葉ですね」
――退屈ねえティンク。
――まあね。てゆーかこの記者どんだけピノキオが好きなのよ。
その頃、耳を傾けていた妖精たちは白けていた。
――ねえもうそろそろ人間に変えちゃったら? ゼペット爺さんが死んで何年経つと思ってるのよ。
――うーん、ティンクがそう言うなら、やっぱりそうすべきよね。
――うん。ニヒルな表情とかちょっと鼻につくし、本来待ってやる義理なんてないし、オケオケ!
そして最早そんな会話が交わされていた。
そんな事とは露知らず、ピノキオ社長への取材は続いた。
それこそ、秘書がやって来て「社長そろそろ次の予定が」と終了を促して来るまで。
「それでは最後に、世界で唯一と評判の人形企業家からこれから起業すると言う人たちのために、成功の秘訣を一言」
「いいですよ」
そうしてピノキオはやっぱり木製なので変わらないニヒルな笑みで言った。
「秘訣の一つとしては、うーん……天狗にならない事ですかね」
「なるほど。本日はお忙しい中どうもありがとうございました。インタビュワーはジミニー・クリケットでした」
その後妖精たちからこいつ天狗と思われていた人形企業家が、どこにでもいる人間になったのかどうか、妖精と本人しか知らない。
おしまい。
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