第4話 人魚姫

 ある所に人魚の姫がおりました。


 15歳なった人魚姫は海の底から海面へと出ていました。


 姉たちからは「えー陸地? 結構微妙ー」とか聞いていましたが、実際にどんな所か自分の目で見てみたかったのです。


 彼女には皆が褒め称える綺麗な歌声がありました。

 学校は親の意向もあって音楽学科の声楽科に進学。

 大海原という舞台で悠々とお得意の歌の練習をしていた人魚姫。


 歌声を聞き付けたのか大きな船が近づいてきました。


「わあ大きな船。何か装飾も豪華だし」


 海面に顔を出し、誰の船なのだろうと興味津々に眺めていると、舳先へさきに誰かが立ちました。


 洗練された衣装を身にまとうまだ若い青年です。上流階級ですね。


 傍にはお付きの老人もいます。

 おそらくはじいやでしょう。


「わ、イケメン!」

「この綺麗な歌声は君が? こんな海中うみなかに一人でどうしたの? 良ければ僕の船にどう?」


 青年は開口一番誘ってきました。

 真っ先に遭難の可能性を微塵も考えない青年はどうかしていますね。


「どう? これでも僕王子なんだけどさ」

「えっ王子様!? だからそんなにイケメンなんだ!」


 いつの時代もどこの世界も王子という肩書きには弱い女子。

 王子=美形当然と信じて疑わない女子。

 それは人魚姫も例外ではありません。


「すごーい!」


 と興奮して思わずイルカのように海面ジャンプをしました。


「えっ、君って人魚……!? じゃ、それってら、らた…」


 直後、


 ブ――――――――ッッ!!


 王子が噴水のように鼻血を噴きました。


「ひっ」


 完全引いた人魚姫。

 彼は王子ですが鼻の粘膜が弱い系のようです。


 王子は出血多量でよろめきます。


「あっ王子!」


 じいやがカッコ良く手を伸ばしましたが、一歩遅く、王子は自分の血で滑って真っ逆さまに海に落ちました。間抜けです。


 ドボーン!!


 ぶくぶくぶくぶく……。


 意識を失ってそのまま海の底へ。


 鼻血で有り得ないほど海面が真っ赤に染まりました。

 ホラーもいいとこです。


「王子いいいいっ!」


 船べりから絶望一色で覗き込むじいや。


「わあよく見ればあの枯れ紳士もイケてる」


 女子はどんな時でもイケてるメンズを見逃しません。


「王子いいいいいッッ!」

「落ち着いて下さい。私が助けますから!」

「おお、おお……!」


 比喩でなく血の海に近寄るのはぶっちゃけ嫌だった人魚姫ですが、ここは我慢です。


 とにかく、王子は難破船からではなく、ナンパして助けられました。


「やっぱ顔だけは超好みだわ~」


 一度うっとりと見つめ、王子を船の面々に託した人魚姫。

 起きると何かと面倒そうなのでさっさとずらかります。




「――あ、僕はどうして助かって……?」


 船内の寝室で目を覚ました王子は不思議そうにじいやに訊ねます。

 全てを聞くや、


「じいや!! 僕の理想が今ここに完成した……!」


 海の中で頭でも打ったのでしょうか。


「理想……でございますか?」

「ああそうだ……!」


 ベッドの上で両の拳を握り締め、こう言います。


「人魚のしっぽは人で言う下半身だろう? 魚同様にそのままの姿で、要するに下着も何も付けていない……と言う事はあ~――――裸体!!」

「…………」


 慣れ切ったものなのか、じいやは動じません。


「裸体でいても誰にも咎められずに見放題!! これぞ究極エロの形、男のロマンだろう!!」

「……左様でございますか」

「僕は将来人魚をお嫁さんにしたい!! さっきの人魚を捜してくれ!」

「……左様でございますか」


 じいやは優しい笑みでいます。

 この大海原で捜すのは正直骨が折れて体バッキバキになって大変です。

 老骨に鞭打ってまでは捜しません。

 本音ではどこか適当な異国の姫君とでも結婚してくれとすら思っていました。

 けれど彼はじいや。幼少のみぎりよりご一緒していた王子の願いを無下にはできません。

 そういうわけで気長に捜します。



 人魚姫は海の底に戻って自分の胸を押さえました。

 王子との出来事を思い返すと妙にドキドキしました。

 吊り橋効果でしょう。


「私、王子様が好きだわ」


 早っ、どこに惚れる要素があったと言うのでしょうか?

 まあ感覚は人それぞれということで。


 人魚姫は悩み、ついに決意して海の魔女にお願いに行きます。


「人間になりたいだって? ところでダンディじいやの連絡先教えておくれよ」


 海の魔女は願いは叶えるが、その対価として美しい歌声……とじいやの連絡先を要求してきました。


「それでもいいのかい?」

「ええ!」

「もしも王子と結ばれなければ泡となって消えてしまうとしても?」

「ええ!」


 恋は盲目。

 人魚姫はそうして飲めば人間の足を手に入れられる魔法薬を手に入れました。


 海の底の家に帰った人魚姫。食後の団欒で不意に海の魔女の言葉が浮かびます。


 泡に……。

 急に不安が押し寄せ、自信を無くしそうになります。


 と、その時、


 ――ブゥッ!


「おっとすまんすまん」


 父人魚が屁をこきました。


 水中なのでおならは無数の泡になって海面へと上って行きます。


 人魚姫は呆然とその光景を見つめました。

 泡の正体が何なのか知らなければ綺麗だと思えたでしょう。

 しかし……。


「泡になるって泡になるって……お父様のおならにってこと……!? そんなのは絶対に嫌っ」


 人魚姫は心底強く思います。


「泡になんてならないわ! どう足掻いても私と添い遂げさせればいいのよね!!」


 そうして魔法の薬を飲み干した人魚姫。

 陸に上がって、足痛い~と靴ずれでヒイヒイ言っていた所をじいやに密かに保護されます。連絡先ゲットです。


 自慢の声を失いさぞや嘆き悲しんでいるかと思えば、


 ――うっふふ~本当はピアノ科に入りたかったのよね。お父様が反対したから泣く泣く諦めたけど、ラッキー!


 めっちゃポジティブでした。

 むしろ彼女の思う通りに事が運んでいるようでした。


 きっとどこに放り出されても自力で生きて行けるでしょう。雑草人魚です。


 そして人魚姫はピアノ科に入り直し数年でメキメキと頭角を現します。

 実はその間は王子のことはすっかり忘れ去っていました。

 なのでじいやも音楽家としての情熱に水を差してはいけないと、同じ王宮に住まわせていましたが王子にはずっと秘密にしていたのです。


 運命の相手ではないのか、ニアミスすらありませんでした。


 そうしてショパンやチャイコフスキーなど数々のピアノコンクールで賞を取り、若手ピアニストとしての地位と人気を確立した人魚姫。


「ハッそうだわ王子様に会いたくて陸に上がったんだった!」


 と思い出します。安そうな愛です。


 そういうわけでとうとう憧れの王子とのご対面です。

 じいやの計らいで案内された部屋で待っていると、王子が現れます。


「一体じいやは誰と会えって言うんだか。僕は僕の理想を追求するのに忙しいんだ…が……――――!?」


 王子は人魚姫を一目見るや、


「き、君は……!」


 驚いたように目を丸くしました。


「あの時僕を海で助けてくれた人魚の姫!」


 そして、


「はあああ!?」


 と何故か人魚姫の足を見て、がくりと両膝を着きます。愕然となってます。


「そんな……裸体が、裸体が消滅した、というのか……?」


 人魚姫は困惑します。

 一体何を言っているのかわかりません。


 王子は恨みがましい目で涙さえ流して人魚姫の両脚をじっと見つめます。

 人魚姫は美脚なのですが、王子はそれよりももっと超越したロマンを求めていたのです。


 ――え、あのー?


 と筆談で書くと、


「君のあの下半身のヒレはどうした!? 裸体はっ裸体はどうしたああああッ!?」


 唾を飛ばしての豹変に、人魚姫は目を点にし、王子の意図を理解するなり一瞬にして百年の恋も冷めました。


 それはもう跡形もなく粉々に。


 どこかの臼のように灰になりました。


 その灰と違って花は一切咲かせられません。

 残滓がぴうと風に舞うだけです。


 ――最っ低……!! 私の純情返してよ!


 蔑んだ目でそう吐き捨てて人魚姫は退室しました。


 ――あんっな変態王子願い下げよ! 私、次の恋を見つけるわ!!


 その時、


「ちょっとこら、王子との恋が成就しなければ泡になってしまうよ。あ、連絡先あんがと」


 世話焼きの海の魔女から通信魔法で警告です。

 ですが人魚姫、


 ――しようものなら、釣るわよ? 海用のクレーンとかで。


「あ、いや、いいよもう思うままに生きな」


 人魚姫の圧力に、海の魔女は屈しました。


 そうして人魚姫は人生の新たな第一歩を!!。


 一方、部屋に残された王子は、


「裸体……消えた、あああ僕の裸体……」


 理想が跡形もなく崩れ去ったショックで病みそうでした。

 というか元々病んでるようなものでしたね。


「王子、そうやって一つずつ人は強くなっていくのですよ」


 影から見ていたじいやがハンカチで目元を押さえます。


 じいやの教育方針については、一度見直すべきでしょう。


 おしまい。



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