第43話 ロミオとジュリエット
「うおおおおおーッ!」
ロミオは猛烈にトイレに行きたかった。
意中の女性のいる夜会に来たというのに、腹の調子がすこぶる悪かった。
表面上はにこやかに「涼んでくる」と友人たちに断って会場を出るや、超絶スーパーダッシュだ。
「トイレはどこだあああああー!」
初めて訪れた広い屋敷で勝手がわからず、ロミオは手当たり次第目に付いた部屋と言う部屋を覗いて回った。
しかしトイレはない。
休憩室だったり、逢引き部屋だったり、金の受け渡し場所だったり、倉庫だったり、秘密の部屋だったり、地下室だったり、銀行並みの金庫室だったり、女湯だったり、何で一般の貴族の屋敷にありそうもない部屋まであるのにトイレがないんだと焦りながら、ロミオは迷宮のような屋敷内を駆けずり回った。
「何で扉の向こうは雪国なんだよ! 意味がわからない……ッ。この屋敷のドアはどこでも何チャラ~っか!」
このままでは会場に戻れないまま終わる、とそう悔しく思いつつ次に見つけた扉を開けたロミオは……、
「トイレゲットオオオオオッ!」
やっとの事で
しかし、個室には先客がいた。
まるで「その片思いの女性とは縁がなかったと思って諦めんさい」と運命の女神から何故か方言口調で言われたような気分だった。
「くそっどうしてだ……!」
悪態の言葉通りロミオは大の方の用足しを所望していた。
何かの最終形態に覚醒しそうなくらいに尻の穴を引き絞って耐えていると、ようやく中の人間が出てきた。
「……ええとお宅、トイレで着替えるタイプのヒーローですか? 公衆電話ではなく?」
「……あ、ええ、まあ。なにぶんここらは公衆電話が少なくて。あと公衆トイレも」
先客の正体はピンチの人間を助けに行くというヒーローで、
「じゃあ救出頑張って下さい……」
「あ、ええ、そちらも……」
どことなく梅干し臭のする男が去るや否や「言われんでもやるよ」とバタンと叩くように戸を閉めて着席……しようとして出来なかった。
「こ、これは……カッコイイ形のでかい炊飯器か!? 米びつか精米機か洗濯機か!? いやAI!? 実はウィィィンとか動き出す補助ロボットなのか!?」
最近の一体型の便器は色もデザインもカッコ良く、優美なあの曲線などまさに黄金比かと言いたくなるくらいには素晴らしく、一見そう見えても仕方なかった。
ロミオの家はまだ一体型ではなく、水洗と後付けウォシュレットは完備だが形はトイレ以外の何物でもなかったのだ。彼が混乱するのも無理はない。
「でもここはトイレだし、やはりこれは便器だよな」
白い陶器によく合ったシックな色合いのトップカバーを開ければ一目瞭然。普通にトイレだった。
「ふっ、早とちりはいかんな」
今度こそ着席。
「んんんぬわあああッ!? こ、このちょうど良い座り心地! 質感! 清潔感! そうかこのトイレはジャパン製か! トイレを語らせたらナンバーワンなジャパンのトイレなのかあああ!」
羨望の眼差しで個室内を見回すロミオ。
トイレ収納のコンパクトかつシンプルさにも舌を巻くしかない。
「はあ、はあ、落ち着け俺。これじゃあいつまで経っても用を足せん」
真剣な表情で自身に言い聞かせ、ロミオは早速最優先事項に取り組んだ。くみ取り式ではなく勿論これは推薦したくなる水洗トイレである。
「んふうぅ~……もろに、安堵……」
暖房入りかつ安定感がパない便座の上でしばししてようやく人心地つけた頃、ロミオはある重大な現実に気づいた。
トイレと言ったらお約束。
「紙がない!」
これでは本格的に会場には戻れない。
やはり世界にもトイレにも神はいないのだと頭を抱えて絶望するロミオは、このままでは尻がスースーして冷えて余計に腹が下ると危機感を抱いた。
「このまま誰も来なければ、俺は下から全てを垂れ流して人生を終わるのか?」
その時、トイレに誰かが入って来た。
天の助けとはこの事だ。
「すいませんどなたかいるのなら、紙を下さい!」
「あ、えっ、ここ男子トイレ!? ごめんなさい間違えました!」
女性、しかも若い娘らしき声だった。慌てて出て行こうとする相手へと、ロミオは矢も盾もたまらず我武者羅無茶苦茶無我夢中一生懸命を合わせたような声で縋りついた。
勿論物理的には無理なので気合いで魂を飛ばした感じにして。
心の目が捉えたのは、美しい娘だった。
ロミオは一目惚れし、本当に昇天しそうになった。
最早自分は何なのかよくわからなくなり天の光に引っ張られそうになりながらも、ロミオは紙を望んだ。
ロミオの霊体は見えていないのか、娘は個室の隙間から紙を差し入れてくれたので、急いで体に戻った。結果神を臨まず済んだロミオだ。
「新聞紙……。何でだよ……」
硬そうだ……。
「え? 殿方がトイレで紙と言えば新聞かと」
「間違っちゃないが、それは読み物だね。今は拭く物が欲しいんだよ」
ロミオは天然さに少しイラッと来ながらも、可愛いから許した。そうしてやっと紙を手に入れたのだった。
「あ、お嬢さん、俺はこの恩は忘れない。お名前は?」
二人を隔てるものはたった一枚のトイレの戸だけ。他には何もない。
家同士の確執も罠も何も……!
「ウェンディです」
「はい偽名キターッ!」
「よく見破りましたね。トイレの中の誰かもわからない男性に不用意に名前は教えられませんから。ジュリエットです」
「言ってんじゃねえかよ!」
「あ」
「やっぱ天然ちゃん確定か。俺はロミオだ。紙ありがとうジュリエット」
「あ、いえ。貧しい者には分け与えよと……」
「俺これでも貴族のボンボンですが!?」
「心が」
「ひでえな!」
ともあれ、トイレから出られたロミオはジュリエットに告白しようとし、
「お話があるならせめて手を洗ってからに……」
出だしで挫かれた。
その日以来、夜会で会ったジュリエットを忘れられないロミオ。
彼はとうとう思い余って彼女の部屋に通じるバルコニー下まで忍んでしまったのだった。
その時ジュリエットが涼みに出て来てロミオを見つけた。
二人の視線が絡み合い濃密な想いの熱が行き来する。
「ああロミオ様」
「君に伝えたいんだ!」
バルコニーを見上げるロミオは叫んだ。
「ジュリエーット! ト、トイレを……!」
それで十分だった。
ジュリエットは心得顔で大らかに頷くと、バタンとバルコニーの扉窓を閉ざした。
いや、一度だけ開くと
「ジュリエット……」
ロミオは切ない目でバルコニーを見上げながら、悲劇の結末を悟った。
「尿瓶じゃ大きい方はちょっと、な……」
その後、ロミオは家の名誉を懸けて各地に公衆トイレを設置したという。
ジュリエットはロミオの熱心なトイレ愛に打たれ……る事もなく、別の男性と結婚した。
おしまい
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