第32話 ヘンゼルとグレーテル
息子の名前をヘンゼル、その妹の名前をグレーテルと言いました。
彼らはその日の食事にも事欠く始末。
とうとうある夜、子供たちが寝静まった頃、母親が話を持ちかけます。
「ねえあなた、私たちもうやっていけないわ」
「お前……ッ? 俺を捨てるのか!?」
離婚の危機です。
「いえそうじゃなくて、食べ物もないし子供たちを森に置き去りにしましょうって話です」
「何だって!? そんな酷い話があるか!」
「あるんです。ここに」
「ええッ!?」
口減らしをしなければ自分たちが生きていけないと包丁片手に延々と語られ、父親は押し切られます。物理的には寸でのところで切られませんでした。
「い、一度だけだぞ、二人が自力で戻ってきたらもうしないからな」
「ええ、ええ、それでいいです」
鬼畜な母親もいたもんです。
「そんな……」
「どうしようお兄ちゃん……」
ヘンゼルたちは聞いていました。
「わたし捨てられるのやだよぉ……」
とうとう泣き出す幼いグレーテル。
赤くなった目元と鼻先、潤んだ大きな瞳、もちもちとしたほっぺ。
「グ、グレーテル……!!」
ヘンゼルの中で何かが芽生えました。
「俺だけはお前を捨てたりしない! お前に相応しいのは俺だけだ!!」
「……え? 何の話?」
「だから森に置き去りにされても一緒に家に帰ろうな!」
「う、うん」
グレーテルは何か今おかしな事を言われた気がしてしばし兄を怪訝に見ましたが、言葉のあやかと気を取り直します。
そして翌日、両親から森に置き去りにされました。
「お兄ちゃんどうしよう、もう夜だよ?」
不安になる妹の姿に……、
「グ、グレーテル……!!」
ヘンゼルは鼻息を荒くし、妹を視線で
「お、お兄ちゃん?」
「ああいや怪我はないかと思ってな」
「そ、そう? ないけど」
別の意味で不安を感じるグレーテルです。
「安心しろ、実は道しるべとしてこれを通った道に撒いて来た」
そう言ってポケットに残っている物を取り出したヘンゼル。
「光る……きのこ!?」
「ああ、ヒカリゴケの一種さ。この森に自生してるんだよ」
何と小石ではなく、生モノでした。
ただし、ここではとある事情で食用にはなっていません。
「この欠片を辿って行けば家に戻れるはずさ!」
「お兄ちゃん……!」
そうして二人は家に戻りました。
「あなたたち……!?」
「おおおっ二人共!!」
感激する父親とは違って、母親は笑みを取り繕っていました。
父親はもう子供たちを捨てるつもりはありません。
けれど翌日、母親は父親に内緒で二人を森の奥に連れて行きます。
またもや置き去りにされた兄妹です。
……しかし、
「「ただいま!」」
「え!?」
ヒカリゴケのおかげでまた戻ってきました。
それでも翌日、父親がいない間にまたまた二人は置き去りにされます。
……が、
「「ただいまあ」」
翌々日も置き去られますが、
「「ただいまああー」」
更に次の日……。
「「ただいまあああ~!」」
何度やっても二人は帰って来ます。
「もうッ何なのよッ!!」
母親と子供たちとの根比べです。
「ねえお兄ちゃん、最近楽しそうだね」
「ん? だってさ、お母さんがどこまで耐えられるか、やってみたいだろ? 置き去りゲームってとこだな。くくく」
「お兄ちゃん……」
あの母あってこの息子あり。
(血は争えない)
グレーテルは思いました。
攻防が続き、何だかんだで何とか食っていけてるじゃんと思っていたそんなある日。
「じゃあ坊やたち、ここで待っていてね?」
母親も考えたのか、特に今日はいつも以上に遠い場所に置き去られました。
準備していたヒカリゴケだけでは間に合わず、途中からはなけなしのパン屑を道に撒いたヘンゼル。
しかしパン屑の方は鳥たちに食べられていたので、結局家への道がわからなくなりました。
「くそっ、くそおっ、負けて堪るかよっ……」
木の幹に何度も拳を打ち付け引っ掻き、悔しがるヘンゼル。
手を洗っていないのでヒカリゴケの繊維が付いたままなのか、指先が仄かに闇夜に光っています。
「お兄ちゃんやめて、手から血が! 消毒しなきゃ!」
傍らのグレーテルが兄の手を取って、傷口に唇を押し当てました。
「は!? ググググレーテル!?」
狂喜乱舞して大興奮の
「やめろグレーテル! 何てことを……! この森のヒカリゴケは固有進化してて、人の唾液と科学反応して猛毒を生じるんだよ!」
「え?」
と、驚くグレーテルがそのままパタリと意識を失いました。
ぐったりとして動きません。
「グレーテル!! くそッ解毒薬を調合しないとッ」
急いで妹を背負うと、森を歩き出す兄ヘンゼル。
「どこか、どこかに家があれば……!」
焦燥に駆られるまま一晩休みなく歩き通し、未だ森の奥、とうとう一軒の家を見つけます。
「おかしな家だ……」
確かに全部がお菓子で出来ているおかしな家です。
しかし最早ヘンゼルは子供らしいお菓子への高揚を感じません。
彼には早くグレーテルを救わなければという使命感しかありませんでした。
「俺には妹さえいればいい……!」
偏った愛とも言います。
さて、魔女サイドでは――……
ドンドンドンドンと朝っぱらから五月蠅くしつこく家のドアを叩かれて、魔女はやや迷惑そうな顔をして中からドアを開けます。
「誰だい? こんな早くから」
その先にいたのが人間の男の子と女の子とわかるや、子供を食べるのが好きな魔女は内心諸手を挙げましたが、次にはもう後悔しました。
ダンッ…と入口に
「運が良かった。あんた見た所魔女だろ。今すぐ特殊ヒカリゴケの解毒薬を作れ」
「へ?」
純真な子どもの目ではありません。
「妹を絶対に助けろ」
冷徹な威圧感に魔女は我知らず後ずさります。
少年は有無を言わさない様子で家に入って来ます。
「もし、グレーテルが死んだら……こう、な」
立てた親指を横に引いて、首を切る仕種をしました。
「ひいッ」
これなら金品狙いの強盗の方がまだ対処ができたと魔女は冷や汗を滲ませます。
「早くしろ。ベッドを借りるぞ」
「は、はいいッ」
そうしてグレーテルの解毒薬を作る羽目になった魔女。
お菓子に見向きもしないヘンゼルは、室内の丸椅子に座り片膝を抱えた格好のままじっと睨むように魔女を見つめます。
(こっ怖くて手元が狂いそうだよ!)
魔女は極度の緊張で、半日で胃に穴を開けつつも無事に解毒薬を完成させ、グレーテルに与えました。
そして――
「ああ良かった、グレーテル……!!」
無事にグレーテルは目覚め、魔女共々命の危機を乗り越えました。
「え、わたしどうしたんだっけ……?」
「もう大丈夫だ。お前には一生俺が付いて回るからな!」
「え……」
兄へと薄々感じていた疑いを、確信に変えたグレーテルです。
「ああ、変態シスコンだったのかい……。どうりで怖い生物だと思ったよ」
その後のヘンゼルとグレーテルですが、
「「ただいま~!!」」
「!? 生きてたんだなお前だぢいいい!! よがっだあ゛あ゛あ゛~!」
さすがに事情を知って悲しんでいた父親は泣いて喜びました。
「ところでお母さんは?」
姿がないのを不思議に思ってヘンゼルが訊ねると、父親は沈痛な面持ちになります。
「実は森の奥で迷ったらしく、そのまま……」
兄妹は何とも言えない気持ちになります。
「……森に住み着いてしまってなあ」
「あ、そう……」
「お父さん思わせぶりな演技上手いね」
予想外でしたがまあこれはこれで。
「済まなかった。これからは貧しくとも仲良く暮らそうな!」
「「うん、お父さん!」」
実はお菓子の家に三ヶ月くらい居座っていたヘンゼルとグレーテル。
『グレーテルともう三カ月滞在させてもらうかな』
『いやいやいや今すぐ出てっとくれ! これ全部やるからお願いさ!』
と、魔女の家からたくさんの金貨や宝石類を譲渡されていた二人。
一家はそれで貧乏から抜け出せました。
「本当にグレーテルは料理が上手だなぁ!」
森の傍の家で、三人で食卓を囲みながら父親が満足そうに料理を食べています。
「えへへ、魔女のお婆さんの所で習ったから。煮炊きからオーブンの効果的な使い方まで、色々と教えてくれたの!」
「そうそう、……強制的に教えさせたんだよな」
後半部分、ヘンゼルは声を潜めて独り
親切な魔女のお婆さんだったと思っている何も知らないグレーテル。
そんな裏があったようです。
「可愛いグレーテルや。お前はきっと良いお嫁さんになるな。……だけど寂しいからあんまり早く嫁がないでおくれよ?」
「えへへ、うん」
「む!?」
くすくすと笑い合う父と娘。
けれど
「グレーテルを嫁に出すなんて絶対に駄目だ! お父さんはきっと僕の妹への愛をわかってくれると思ってたのに……!」
「……え? ヘンゼル?」
「――黙ってお兄ちゃん。今すぐオーブンでこんがり焼いてあげようか?」
「……え? グレーテル?」
父親は子供たちのやべえ方向への成長に困惑するほかありません。
「そ、そんな口を利くなんて、グレーテルが、グレて…る?」
ヘンゼルは想定外過ぎる精神衝撃の余りつまらない駄洒落を口にし、最早焼きを通り越して灰になっています。
本当にお菓子の家では様々な事を学んでいたグレーテルだったようですね。
めでたしめでたし☆
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