領主と吸血鬼19

 一対一ならまだしも、多勢に無勢はマリアの得意とするところではない。加えて場所が最悪だ。

 敵はわざとこのスラム街に罠を張っていたとしか思えない。


(何のために?)


 女たちの白い手及びナイフの切っ先がマリアに伸びる寸でのところで、マリアは前転して彼女らの攻撃を避けた。

 女たちはそれぞれ衝突し、再びその場にダウンする。


 それを見て安堵したのもつかの間、


「マリア、上‼」


 ロアの警告にマリアが宙を見上げると、壁を蹴って高く斧を振り上げるカロライナの姿があった。


「く!」


 マリアは再度その場を横に転がり、なんとか一撃目をかわす。

 が、カロライナの斧は息を吐く暇もなく再度襲ってきた。

 マリアが体勢を立て直すよりもその斬撃のほうが早い。


(避けられない)


 そう悟った瞬間、


「!」


 ロアがその間に滑り込んで、マリアの身体を抱きかかえて跳ぶ。

 斧の直撃は免れた。

 が、


「つぅ…!」

「ロア!?」


 苦悶の表情を浮かべるロアに、マリアは慌てて身体を起こす。

 完全には避けきれなかったのか、ロアの左足、ちょうど腱の部分が裂けており、ブーツから血がにじみ出ていた。


「ロア、立って。走れますか」

「……、多分」

「退きましょう、この場は不利です」


 マリアはロアの腕を引っ張り上げ、カロライナに背を向けて走り出す。

 ロアは片足を引きずりながらもどうにか走った。


 走れど続く灯のない暗い道。

 早く抜けなければとマリアの気持ちは急く一方だった。

 しかし


「マリア、前に何かいる」


 前方に不審な影を複数見つけ、ふたりは足を止める。

 よく目を凝らすと、それは人の形をしたおぞましい怪物だった。

 服こそ着ているが、背骨は折れ曲がり、眼球は朽ち果て、言葉にならない声を喉の奥から発している。

 その数はざっと見た限り20はいる。


「……はは、ゾンビだねぇ」

「笑っている場合ではありません、挟まれました……!」


 前方には絶望的な数のゾンビ、背後からは4人の女性がじりじりと詰め寄ってきている。

 間違いなく絶体絶命の状況だった。


 ロアはマリアに耳打ちする。


「左の塀から樹をつたってマリアは逃げて。木登り得意でしょう?」

「でも、ロアは」

「私はここでしばらく時間を稼ぐよ。隙を見て逃げるから、はやく」

「そんなの、!?」


 有無を言わさず、ロアはマリアを脚から抱え上げて塀の上に登らせた。


「ロア!」

「今日行った遺跡で落ち合おう」


 赤い瞳をしたロアはそれだけ言って銃を抜き、襲い掛かってくるゾンビの群れに発砲を始めた。




 マリアは一目散に走った。

 逃げるためではない、応援を呼ぶためだ。


 スラム街とはいえあれだけの数のゾンビが市域に放たれているのは教会としても見過ごせないはずだ。


 はやく、はやく。

 手遅れになる前に。


「……ッ」


 ひとりでは何もできない悔しさに歯噛みしながらマリアは教会を目指してひたすらに走った。






 ゾンビに銃は効かない、ということをロアはここにきて学習した。

 今まで知識として知る機会がなかったのだ。それは仕方ないとしてあきらめよう。

 お陰で手持ちのナイフで応戦する羽目になり、帰り血は浴びるわゾンビにあちこち噛まれるわで悪態つかずにはいられない。


「……男に噛まれるとかほんと最低」


 そういう意味ではマリアだけでも逃がすことが出来たのは幸いだ。

 彼女を同じ目に遭わせていたら、殺されるよりも先にロアが自害したくなっただろう。


 しかし腹立たしいのは、うら若い女性を死人として操る所業だ。

 なまじ美しいままであるために、死人と割り切っても刃物では傷をつけにくい。


 一方、相手は手心などなく、美しいまま力任せに凶器を振り回してくる。

 それでいて急所は必ず狙ってくるという残忍さなので、油断をすればすぐにやられる。

 彼女らと応戦すればするほど、自身の人間らしい感情が失せていく気がするのだ。


「……はあ」


 比較的動きの鈍いゾンビは踏み倒す勢いで蹴散らしてきたが、どうにもあの4人の死人はまともに相手が出来ず、結局こうしてごみ溜めに身を隠す羽目になった。見つかるのは時間の問題だが、まな板の鯉でも少しの間くらいは感傷に浸りたいのだ。

 しかしここは臭いし不衛生だし、なんだか本当に自分の身分を忘れそうになる。


 貴族の身分を偽り、少し浮かれてマリアとともにロンディヌスを訪れた日をなんだか随分と懐かしく感じた。

 ロンディヌスではいろいろあったが、マリアと穏やかに過ごした今日という日を楽しみすぎた罰が当たったかなとロアは思わず苦笑する。


 だって昨夜のマリアがあまりにもいじらしかったから。

 彼女の涙がとても温かかったから。


『貴女とずっとお屋敷にいれば、こんな目に遭わせずに済んだのに』


 彼女らしくない後ろ向きな言葉が、ロアにはとても嬉しかった。


 約束を果たせないかもしれないと泣いた彼女がとても愛おしかった。


『マリアが約束を破っても、私はマリアを嫌いにならないよ』


 臆病な自分は、そんな後ろ向きな言葉でしか応えられなかったけど。

 本当はもっと伝えたい言葉があった。

 それはもう、叶わないことと飲み込んでしまったけれど。




 死人が、ロアを見つけて集まって来た。

 おまけにゾンビまで何体か復活している。

 やはりあれらの動きを止めるには、頭を完全に潰すしか方法はないようだ。

 到底まともな感覚では、やっていられない。


 ロアは覚悟を決めて、再び立ち上がった。

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