領主と吸血鬼20
マリアが武器を携え、エレン・テンダー他、武装した教会所属の悪魔祓いを3名引き連れてスラム街に戻って来た時、そこにロアの姿はなかった。
あるのは無数のゾンビの死骸と、散乱したゴミの山だった。
「これはひどい。回収に時間がいるな、人払いの結界を張ったほうがいい」
後始末には慣れているのか、男達は淡々と人払いの準備を始めた。
そんな彼らを尻目に、エレンは顔面蒼白のマリアに声をかける。
「マグナス、あんた真っ青だけど大丈夫なの」
「……あの4人の遺体がない」
「4人? 吸血鬼の被害者のこと?」
確かに、ここにあるのは有象無象のゾンビの死骸だけだ。
美しい女性たちの遺体はない。
「ロアはここで負傷しました、貴女の感知能力なら血の匂いで辿れるはず、お願い、あの人を探してください」
あれだけ気丈だったマリアが懇願する様子に、エレンは戸惑いながらも頷く。
「わかった、今夜は瘴気がひどいけど、やるだけやる。ついてきなさい」
* * *
ロアが目を覚ますと、彼女は手首を縛られた状態で椅子に座らされていた。脚は両足の腱を斬られてもとより動かない。腰の銃も抜かれていた。
ここに灯りはなく、天井は高い。辺りにはいくつもの木箱が高く積まれていた。
恐らく、輸出品を保管する倉庫だろう。
どれくらい意識を失っていたのか分からないが、窓の外が夜なのを見れば、そこまで居眠っていたわけではなさそうだ。
ふと視線を下に落とすと、ロアを囲むようにあの4人の女性たちが座って控えていた。
スラム街で意識を失ったロアをここまで運んだのも彼女達だろう。
「こんばんは、クロワ様」
そして、目の前に黒いスーツの男が現れる。
ジェフ・ウロボスだ。
「……やっと出てきたね」
流石に血を流しすぎたのか、ロアは出にくい声を絞り出した。
「気丈に振る舞われなくてよいのですよ。こんな状況ですしね」
ジェフは以前会ったときと同じ、優しげな笑みを浮かべる。
「ここで私が泣き喚いたところで逃がしてくれるわけでもあるまいし、下手な優しさは不要だよ」
「潔いのですねクロワ様。大変助かります。実は貴女には死んでいただきたいのです」
ほう、とロアは首を傾げる。
「ただ殺すだけならもっとはやく殺せたと思うのだけど、わざわざどうしてこんなことを?」
「意外と死にたがりなのですね貴女は。貴女は高貴な方ですし、説明もなしにこんな下賤の私に殺されるのは不本意かと思って配慮したのですが」
そんなものは配慮と言わないと、ロアはふてぶてしく言った。
「まあそうおっしゃらず。
貴女には私の最高傑作を壊されてしまいました。作品はいつか壊れるものとわかってはいるのですが、あれは私にとってやはり必要なものだったのです。その代わりを吸血種である貴女に代わっていただきたいと考えています」
それを聞いて、ロアは目を丸くした。
そして笑う。
「まさかそんなことを頼まれる日が来るなんてね! 想像だにしなかったよ」
「意外でしたか? 私は運命を感じていますよ。人形から、吸血種の女性と会いまみえたと聞いたときは驚きました。それも、お嬢様との茶会の日、人形の毒に侵された貴女を見て、それが貴女だったと知ったときは本当に、可笑しくて震えが止まりませんでしたよ。熱はお辛かったでしょう?」
お陰様で大変だったとロアはため息を吐いた。
「私のネクロマンスには、吸血鬼が必要です。私は貴女を殺して貴女の身体をいただく。死人と化した貴女は貴女自身の血を吸いつくし、私のネクロマンスを施される。貴女はその美貌を保ったまま永遠に吸血鬼となれるわけです」
そんなこと別に望んでいないのだけど、と言うだけ無駄だとロアはあきらめた。
ジェフの眼は既に常人のものではない。
「では、処置を始めましょう。出来るだけ痛みなく殺してさしあげますので、どうかご容赦を」
ジェフは手にアイスピックを握った。
ロアの周りにいた女性たちが、ロアの身体を押さえようと立ち上がる。
――今しかないと、ロアは手首の関節を外した。
「!」
ロアは手首に結ばれたロープを瞬時に外すと、女たちに拘束される前にジェフに文字通りの体当たりをする。
そのままジェフを押し倒し、拳を入れようとした刹那
「っ」
背中に相当な衝撃が走った。
背骨を砕く音と、肉を裂かれる音が身体中に響く。
「ぁ」
刺さったものを引き抜かれて、再び激痛が走る。
あまりの痛みに、身体が自然と崩れ落ちた。
ロアの背後には斧を手にした美しい少女が、相変わらず虚ろな瞳で立っていた。
「カロライナ。あまりこの人の身体を毀損してはいけないよ、ネクロマンスに影響が出るかもしれない」
ジェフはロアの身体を転がし、ゆっくりと立ち上がった。
血の気がなくなっていく感覚とともに、ロアの周りに血だまりが出来ていく。
「貴女はもっと利口な方だと思っていたのに、意外と無謀なことをする」
ジェフは血だまりに転がるロアを見て嗤った。
『少しは足掻かないと、怒られるからね』
ロアはそう伝えようとして、喉からせり上がって来た血がその邪魔をした。
さっきの一撃は恐らく肺をも傷つけたのだろう。
「もう声も出ませんか? 安心して。貴女のことは最大限に活用させていただくので」
死がいよいよと近づくのをロアは感じた。
あれほど待ち焦がれていた終わりとは随分と形が違ってしまったけれど、それも仕方がないと、この際になればあきらめもついた。
いや、違う。
『マリアが約束を破っても、私はマリアを嫌いにならないよ』
あんなことを言ったのは、きっとそんな未来を予想していたから。
彼女に殺されることを、やはりロア・ロジェ・クロワは望まない。
だって心優しい彼女はきっと、泣いてしまうだろうから。
そんなことは分かり切っているというのに、いつかロアはマリアに言った。
「最期に瞼を閉じるとき、マリアの泣き顔なんて見たくないからね」と。
だから、とうに約束を違えていたのはロアのほうだったのかもしれない。
だからこそ。
『ごめんね、マリア』
そんな謝罪すら伝えられなかったことを後悔しながら、ロアは静かに瞼を閉じた。
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